第百二十八話 黒ノ能ニ宿ル緩
翌、初の四時。前日と同様に講技が行われ、演習の後半戦が開始された。今日の時間計測は、ラナという名の女子応用生だ。以前、俺が指摘したうちの一人であることは覚えている。それ以外の情報は得ていないが、真面目そうな人だ。
今日のトップバッターにはユラが選ばれ、俺が言ったような強気の姿勢を見せてガネさんと向かい合っていた。
「っしゃーやるぜ! ガネ教育師! 負けねえっすよ!」
「初っ端からうるさい人ですね」
そう言われるもお構いなく、いつでもいいと言うガネさんの言葉の直後、ユラは行動を始めた。自分で実力はあると言っていただけあり、それなりの攻防を見せていたが、ガネさんには通用しなかったようで、驚愕の表情を浮かべていた。
「まじかよ!」
「まじですよ」
未だにガネさんから取ることができた応用生はおらず、俺たちの中では誰が取れるかという話題になり始めていた。もちろん、ユラがそれを叶えられるわけもなく、時間になり、三対〇でこちらに戻って来た。
「お疲れ様」
「シリスー! オレはやっぱだめだったー!」
「え? そんなのみんな分かってるよ」
「厳しい!」
悪気があるようには見えないが、シリスも言うものだなと、隣で思った。
思い返せば、ガネさんは血を流しながら平気で戦えるような人だ。そんな人に、応用生とは言え太刀打ちできる人なんて、そうそういないだろう。
「ユラ君、アドバイスくらい聞いてから戻りなさい。君、あの時ザイ君に言われたこと覚えていますか? 名こそ挙げられませんでしたが、あれでは弱いかも、と言われていたでしょう。“決める一打”が欠けています。そこを上げていきましょう」
そう言われるユラは、「そうだったっけ」と言わんばかりに、上方を見ながら困った表情を浮かべている。
思い出そうとする時の無意識に起こる人の行動が、そのまま仕草に現れている。本当に覚えていないのだろう。
「そう言われたら、それを言ったことは覚えてるよ。お前、俺にぐいぐい来るくせにそういうことは覚えてねーのかよ」
「あっははー、オレお気楽だからな」
「自分で言うなよ」
お気楽というよりも、本当にただのお調子者だ。
それから、また順に名を呼ばれていき、シリスの番になる。彼は口調からもかなり穏やかな方だとは思うが、先日の講技中のグループ講技では、チェインの動きを抑える動きを見せていた。俺の中では、シリスがもっともギャップをもっている。その考え通り、シリスはガネさん相手に切れのある動きを見せ、俺と同様に引き分けの結果で戻って来た。俺は、思わず拍手を送っていた。
「ザイ君に拍手されたら、おれ自信もつよ」
「いや、まず応用歴はシリスの方があるんだから。綺麗だった」
「そうですね、シリス君は以前から切れがあるので、僕も見込んでいるんですよ。表情も冷静なままで、相手に心情を読み取らせない、良い素質です。強いて言えば、複雑な動きへの対応が少し遅れがちなことですね。まあ、君に関してはそう厳しい指導はいらないと思います」
「有難うございます」
そういうシリスの顔は、少しだけ綻んでいた。それにつられて顔が緩んでいると、次にはラオが呼ばれ、俺はまたその方に視線を戻した。ラオは俺と試合をする時間が多いため、その実力は俺もよく分かっている。腕は立つ。ガネさんに対抗できるとしたらラオだろうと、俺は勝手に思っている。
「っし、ガネさん、いくよ」
「どうぞ」
何も語ることはないのか、ガネさんはラオの言葉に一言で返し、すぐに演習は開始された。他の応用生と少し違うのは、遠距離手法が得意な傾向があることくらいで、動きにさほど違いはない。慎重で、間を一瞬で詰めることのできるラオは、少し距離をとりながら、ガネさんの動きをよく見ている。
こう見ると、一回一回動きや呼吸を整えながら動いていることがよく分かる。
「間の取り方がうまいですね。さすが、僕の中での応用ナンバーワンですよ」
その言葉から一秒と待たずして、ラオは肩にそれを受けていた。〇対〇の引き分けで終わるかと思っていたところだったが、ラオは気にしていないようだった。
「いって! ……ていうかまじで! 初耳!」
その事実に俺も驚きながら、それでも友人が受ける高評価に、気持ちが高揚する。
「まじで! 俺も初耳! ラオ天才!」
「やめろ! 外野から褒めるな気が散る!」
そう言いながらも、その手は休まることなく、その時間を迎えようとした。その時だ。
「えっ」
その一瞬起きたことに、思わず目を疑った。
偶然かもしれないが、ラオの持つ竹剣は間違いなくガネさんの右腕を掠った。
「……終了です」
ラナの合図は、その直後にかかった。思わず立ち上がって、羨望の眼差しを向ける。
「すげえ! ラオがとった!」
「……ガネさん、どうしたんだ」
「素直に喜びなさい。迂闊ではありましたがちゃんと取られましたし、何なら教育師になれそうですね。ただ、遠距離型に近い動きがあるので、扱う武器は剣でない方がいいですね」
「……教育師。俺、なれるのか」
放たれたその言葉に、ラオは動揺していた。教育師になれそうだ、なんて、現役の教育師から言われれば、それはそのまま自信になる。
ラオの目の前まで行き、背中を軽く叩いて俺の存在を気付かせる。ラオと目が合うと、その目はまだ揺らいでいた。
「良かったじゃんラオ。この際、教育師になってみなよ。俺、ラオの講技なら受けるよ」
「待って待って、話が飛躍してる。確かに結果はそうだけど、俺そんなの想像できないし……それに」
─それどころじゃないだろ。
その言葉だけは、俺以外に聞こえないように、吐息のように呟いた。
次に控える応用生で、今回の演習は終了となる。ガネさんは、俺たちにその場を離れるように言い、俺たちは素直にそれに従った。周囲にいた応用生は、ラオの実力を認め、「凄いな」と言って、笑っていた。
「─以上で、今回の演習は終了です。お疲れ様でした。今回の評価から再演習の人はいませんが、それぞれ課題を提示しましたね。明日からは、それをメインに進めていきますので、そのつもりでお願いします。今日は解散して結構です」
最後にガネさんが招集をかけ、俺たちはその言葉を耳に入れる。今日の講技は昨日よりも早い切り上げとなり、解散の声がかかると同時に、一斉に散らばって行く応用生。その場には、俺とラオ、ガネさんの、三人だけが残った。
「お疲れ様でした。二人とも、やっぱり経験が他とは違いますね」
残った俺たちに歩み寄り、俺たちとしか話せないような口でそう言った。
自分でも思う異能力を、俺たちは身に宿している。扱う武器が違うとはいえ、その腕は、確実に並行して伸びていた。
「ガネさん、あの時なんか油断したの?」
「ラオ君のあれですか? 油断はしていませんよ。それまでとは急に違う間隔できたせいかもしれません。結果的には引き分けですけどね」
「俺もびっくりしたんだよ……ガネさん最後まで無敵でいて……」
「それは無茶がありますよ。僕よりも質のいい教育師なんていくらでも育成できますからね。それよりもザイ君、今日はこのまま話に入りましょう。ラオ君も交えて」
昨日も時間を取ったその話。それにラオが加わるということは、何となく俺には理解できた。
その事態を目の前にして、自分を責めたのは、紛れもないラオだから。
「そうしよ、ね、ラオ」
「でも、何で」
「あの時のラオ君を見ていて、気にならないわけないですよ。弱ったザイ君を見て、ラオ君の弱点になっていてもおかしくありません」
「そりゃあまあ……。ザイから目離すの怖いけど」
「お前は俺の保護者かってんだよ。脱フレコンならずか」
ラオのフレンドコンプレックスからの脱却はいつになるのか。それはまだ、先になりそうだ。
いっそのこと本当に教育師になってしまえば、本当に距離ができるかもしれない。距離を望むわけではないけれど、ラオが俺たちに縛られるような生き方になってしまってはならない。
「その話まだ生きてたの!? もういいからフレコンとか!」
それから、一時間ほどだろうか。広間から出るわけでもなく、他愛のない話で盛り上がる。昨日した、知らなくても良いような、そんなもの。
こんな時間が、いつまでも続けばいいのに。そう思いながらも、時間は、待ってはくれない。じわじわと何かが迫ってきている気がしてならない。
それが背負っているものの大きさなのか、また、別の違う予感なのか。俺には判断しかねるところで、その不安定な闇に、身を流されないように思考を逸らす。
まだ、その闇に操られてはならないと、必死に。
「時間を取らせましたね、もう昼食時も過ぎてしまいました」
恒の一時。思った以上に話が弾んだ俺たちは、遅れて食堂に来ていた。ほとんど埋まっていない机の数々を前に、俺たちは迷いなく最も出入り口に近いところを選んで座った。
食事を進めながら、小声で今後の動きについて、ルノさんが言っていたことをラオに話す。ある程度の共有はなされた方が良いという、ガネさんの意向に従って、だ。
ラオが真剣に話を聞いていると、食堂の扉が開く音が聞こえる。誰が入って来ようと、気にする必要もなく、俺たちは話に集中していた。
「何だか久しぶりだな」
「え? あ、オミ! 何日ぶりだろ」
その人物は、数日顔を見なかったオミだった。つい最近まで毎日のように顔を合わせていたのだから、たった数日でも久しく思えるのも無理はない。
「調子は悪くはなさそうだな。講技にも出られているようで良かった」
「オミこそ、本職できたの?」
「お陰様でな。基本クラスの補助をしている。ソムとは別のクラスだがな。こうして話すのも不思議な感じだ、あれだけホゼのことで頭を悩ませていたのに」
今ちょうど、その話をしているところではあるけれど。この機会にと、ガネさんはオミも輪に入れて話を続けた。
それは、ルノさんが本部から人を動かしていること。これ以上、ホゼを自由に動かさないようにするために。
「……そうか、本部長が動くとなると、私たちもいつまでもこうはしていられないというわけだ。いつまた、どんな難がきても拒否はできない」
「うん。でも、今はまだもう少しだけ、このままでいさせてほしいな……。何か、次の騒動が起きたら、日常に戻って来るのも難しいんじゃないかって……何となく思う」
ラオは、何とも言えない表情でそう言った。俺の目をまっすぐに見て。俺はそれに、何も返せなかった。
「ともあれ、今この時間があるのなら、良いんじゃないですかね。僕はこんな間があるとは思っていなかったので。屋敷に残る問題は、ホゼのことだけですし。そもそも、君たちが抱えるには重すぎるものなんです。今はこの時間に甘えて、後でまた力を発揮してください」
この先に何が控えているのかは分からない。分かっていることは、俺たちの〈暗黒者-デッド-〉として果たさなければならない役割と、ホゼとの戦いが待っているということ。
ホゼが企てている統合化を、俺たちの力を介して止めなければ。そのために、協力してくれる教育師の力も借りなければ。
俺たちが背負っているものは、剥がすことも、逃げることも許されない。ただ、それを成し遂げることしか、許されない。
「だから、今のうちに、ラオ君は教育師になれるように勉強してはどうですか?」
「おっ!? その話引っ張るのか!」
「何、教育師に? お前ならなれそうだな、私も応援する」
「ねえちょっと、だから飛躍してるってば。……まあなれたら嬉しいし、全否定はしないけどさ……」
少し重くなってしまった空気を持ち直すかのように放たれた言葉は、また俺たちを、日常の話に引き戻した。
どういう形であっても、こうして、今いる仲間といられたらそれでいい。そう感じながら、その日常に身をうずめることにした。
「ではまた、明日。明日は座学を組んでますので、その部屋に来てくださいね」
「はーい」
昼食を終え、俺たちはそれぞれの行動に移る。俺とラオは、ウィンを訪ねて時間を潰そうと、静かに食堂から遠ざかった。
─もしも、この日常が完全に崩壊する時が来たら、俺はどうするのだろうか。
そんな恐ろしい想像は、俺の脳裏から、無理やり押しのけてやった。
しかし、崩壊までいかずとも、日常が異常に変わるときは、確実に目の前に現れようとしている。その現実まで、あと、数日に迫っていることも、当然、俺たちは知らない。
日常編 了