第百二十四話 黒ノ講ヲ身ニスル力
「あの人、性格で損する人だよな」
休憩時間を過ごす俺たちは、ついでに食事を済ませておくことにし、食堂に来ていた。話題はもちろん、ラクラス教育師。インパクトが強すぎて、話題から逸れるにはまだしばらく時間が必要そうだ。
「まさかあれほどまでとは思わなかったね。ねえ、ところでさ。それ」
ラオの指と、その視線の先に置かれているもの。紛れもなく、俺の好物が当然のように数個並べられているのだが、ラオはそれを呆れた目で見ていた。もちろん、それ以外にもちゃんとした食事は用意してある。
「何? 俺のデザートだけど」
「いや相変わらずだとは思うんだけど、それでよく太っていかないよな」
「そもそも、最近食べてなかったしなー。そういうラオだって、肉まん大量に貰ってんじゃん」
ラオの好物であるそれは、軽く十個は皿に乗っていた。いつもここまでまとめて食べることはないのだが、今日に限ってはそうではないようだ。
「うーん……何でだろ。食べなきゃならない気がして」
「何だそれ」
よく分からない理屈に首を傾げながらも、俺の目の前に並んだプリンを目にし、いつもとは違う感覚に陥った。
こうして、友人と至福の時を共有する時間が、あとどれだけ続くだろうか。それは、思ったよりもすぐそこまで来ているのではないかと。ふと、感じてしまった。
「さ、早く食べちゃおうよ。また絡まれでもしたら嫌だしさ」
「え? あ、うん……そうだね」
そう言うラオの顔は、口元しか笑っていなかった。
恒の零時。講技再開の時間になった俺たちは、グループごとに集まってガネさんが顔を出すのを待っていた。先程とは違い、ラクラス教育師も講技を入れてあるという話で彼はこの場には来ないだろう。しかし、普段講技の時間に遅れることのないガネさんが、十分を過ぎても現れなかった。何かあったのだろうかと、俺は広間を出て教育師室とガネさんの部屋に向かった。
ラオも同行しようとしていたが、ガネさんと約束した“適度な距離”を守るためにも、二人での行動を控えるべく、丁重に断った。
広間を出て、まず向かった先はガネさんの自室。しかし、扉を叩いても反応はなく、施錠もされている上、中からの物音もなかった。入れ違いになって、すでに広間に行っている可能性だってあるが、あれだけ厳しい人が何の知らせもなく遅れるという事態は、嫌でも心配になる。
屋敷内が平穏を取り戻しつつある中で、いつ俺たちにその時が押し迫るか、俺たちにも分からない。もし、その不穏がすぐそこまで来ていて、仮にも彼がそれに巻き込まれていたとしたら。考えが及ばなくても良いだろう点にまで、想像が膨張し、変に不安を煽ってくる。
何事もないことを祈りながら、今度は教育師室の扉を開け、ガネさんを探した。
しかし、姿は見られない。やはり、すでに広間にいるのだろうか。
そうは思いながらも、所在を知っている教育師がいないものかと、そこにいたルノさんや、他の教育師にも尋ねてみるが、「ここには来ていない」と返されてしまった。
(……戻ってみるか)
俺が気にしすぎているだけなのかもしれない。そう思いながら、少し急ぎ足で広間に戻る。ガネさんがいれば、間違いなく弄られるだろうが、事情を説明すれば大丈夫だろう。その想定をしながら、急ぎ足のまま広間に入る。
そこに、ガネさんの姿は、なかった。
「あれ? ザイ、ガネさんは?」
俺が戻って来たことにいち早く気付いたラオが、すぐに駆け寄ってきてその人の行方を尋ねてくる。この状況に、俺も驚いている。
「……部屋は鍵がかかってて反応なかったから何とも言えないけど……教育師室には、来てないって」
「え? だってもう、何分過ぎたと思ってんの? さすがにおかしいよね」
待ちきれなくなった屋敷生たちは、自然と先程のローテーション実践を再開させている。きっと、これまでもガネさんが急遽講技に出られなくなった時も、こんな感じだったのだろう。それで気に留めていないのだろうが、それは俺たちが絡んでのことだ。今は、俺もラオも、ここにいる。
「……やっぱり、探してくる。医療室にはまだ行っていない。もしかしたら、ゲランさんと何か話し込んでるのかも」
「おい、どうした」
俺とラオが異変を感じている時、チェインが話しかけてくる。俺たちの様子が違うことに気付いたらしく、ユラとシリスもその後ろにいた。
「他の奴は何とも思ってねーみたいだけど……お前らは違うんだろ? 何?」
「あ、いや……知らせもなくガネさんが来ないのは……やっぱりおかしいんじゃないかって……」
俺たちが気にしすぎているのであれば、それはそれで今目の前にいる三人が止めてくれるはずだ。そう思いながら、俺が感じる異変を正直に伝えると、その三人は、止めるどころか、肯定して頷いた。
「まあ、あの人は厳しい人だもんね。急遽休みになるときも、始まる前には知らせが来ていたし、確かに遅れるっていうのは稀だよ。それで探しに行っていたんだね」
「ザイちゃん、ガネ教育師の行先に心当たりはあるの?」
「え? それは……ないんだけど。待ってたらそのうち来るかも、っていうのも思ってるし」
「そうかもしれねーけど……でも、ずっと一緒に行動してたんだろ? それでいての違和感なら、その違和感を信じた方がいいんじゃねーの」
チェインの言うその言葉は、ガネさんに言われた言葉を連想させた。事情が事情ではあるが、俺たちとガネさんの距離は他の屋敷生と比べて近すぎる。その点から、騒動との関係性を悟られてしまえば、俺たちはこの場に居づらくなってしまうだろうから、適度な距離を保とう。そういう話だった。
しかし、すでにそこに気付いている屋敷生も、やはりいるものだ。
「えっ、何でそう思うの……」
「そりゃあまあ、同時に見なくなって同時に復帰してんだからな。でも、ゼスのこと見破って、こっから追い出してくれてんだから、俺たちは別に何とも思っちゃいねーし、安心しろよ」
不安に駆られながらも、〈暗黒〉のことが知れ渡っているわけではなく、騒動に俺たちが手を貸した、という事実があるだけだ。それを確認できると、俺がもつ違和感を、彼らに話しても良いだろうと判断した。
「……何事もなければそれでいいんだ。ガネさんは、こういうルーズなことも、自分の規律を乱されるのも嫌う人だ。だから、探したい。誰でもいい、一人はここに残って、ガネさんが来たら知らせに走ってほしい」
「そういうことなら、チェインが残るよ。体力かなりあるから、屋敷中を走っておれたちを探せるだろうし」
「あのなあ、オレを何だと思ってんだよ。その通りだよ」
「合ってるんじゃん。じゃあよろしく、チェイン」
シリスの誘導で、チェインを広間に残した俺たち四人は、二手に分かれてその師を探しに行くことになった。
それにしても、一体どこで何をしているのだろうか。見つからないことには、不安しか残らない。“あの人に限って”という心理が、その不安を促進させる。
▽ ▲ ▽ ▲
─おかしい。オカシイ。この教育師は、おかしい。
人を傷つけて喜ぶわけでもなく、人を助けて当然というわけでもない。ただ、自身のもつ興味を、目の前で見たいだけ。それでいて、どうしたいというわけでもない。
一言でいうならば、“冷徹な傲慢さ”。それが、彼そのものなのだろう。
どうして今、こんな状態になっているのだろうか。僕は考える。目の前の、笑顔を見せる教育師の前で。その者が何を考えているのかを定められないまま、その定刻を過ぎている今もそこから動けずに。
「答えてよガネ教育師。私に何度も合同を頼むほど、特別なことをしていたのかい?」
「だから、ホゼやその協力者を罰するために動いていただけです。自分のクラスの屋敷生が巻き込まれれば、否が応でも行動しますよ」
何度も何度も同じことを繰り返しているようで、思考が止まりそうになる。ラクラス教育師は、その自室から僕を出さないように、常に質問を続けてくる。頭が痛い。イライラする。
ここで抜刀してはだめだと、僕はひっそりと己と戦っていた。
「それも本部長指示? 本部長の言うことは絶対?」
「そこまで執着はしていません。信頼はしていますけれど。信頼で言うと、あなたのことも実力上信頼して任せていたんですけれどね、何か不満でもありますか」
「ガネ教育師が、本部長の教え子っていうことは知ってる。その融通の効き目を利用していない? ねえ、どんな関係なんだい? あの二人は、何でそこまで屋敷のために動いているの?」
「まさか。彼は彼、僕は僕、彼らは彼らで行動しているだけですよ」
実力があるだけあって、へらへらとしていながらも疎いわけではないらしい。その点の繋がりの有無に、興味を示しているようだ。こんな面倒ごと、さっさと回避して立ち去りたい。そうできない理由は、その脅し文句だ。
─僕が応じないのならば、実力のある彼らを自身のクラスに移動する。
以前までなら、僕はそれでも構わないと、この場を立ち去ったかもしれない。しかしそうできないのも、きっと、彼らと無関係ではないから。ここに僕がとどまっていること自体が、ラクラスにとって、僕の答えとして受け取られているのかもしれない。
「……あなたに脅されるとは思っていませんでしたね。そんなに気に障りました? 仲良いとは思っていないと言った、アレ」
「それは意地が悪いなあ。……私は気に食わないだけなんだよ。教育師と屋敷生はちゃんと区別されるべきだ。なのに、トップクラスのガネ教育師に対してのあの態度、何とも思わないの?」
「ああ、それで更生でもしようっていう理由でクラス移動の脅しですか? そういうことなら、僕はあなたの配置変更を要請してきますけど。外出管理とかどうです?」
「脅しに脅しで返してくる? ガネ教育師らしい」
「そういう話でしたら、僕がここにいる必要はありません。講技も待たせてあるでしょう、あなたもさっさと職を全うしたらどうですか」
僕も粘った方だ。ラクラスにここまで時間を縛られるとは思ってみなかったが、「自身の道理に反していること」を、その自身より上にいる僕が許容していたことが不快だったようだ。それが、今回のことの理由と取れる。
ルノと僕、そしてザイ君とラオ君との関わりについては二の次の話だったのか、あれ以上の話はしてこない。
「ガネ教育師。厳しく、恐れられるとも聞くけれど。それとは真逆で、心が広くて優しい人なんだね。それさ、何で作ってるの? 恐れられるなら、とことんそうなった方が心地いいんじゃない?」
「……それは、誰に言うつもりもない、しまうべきものですよ。ただ一つ言えることは、作っているわけではなく、人に教える身としての心と力量。僕にそれを教えてくれた人への、せめてもの恩返しです」
「……へえ」
しょうもないことに時間を使ってしまった。ラクラスのことは、しばらく気を付けておいた方が良さそうだ。講技後にでも、ルノと屋敷長に報告させてもらう。
今はとにかく、待たせてある講技に向かわなければならない。もしかしたら、彼らに心配をかけているかもしれないから。
やっと解放された部屋から出て、軽い仕返しにと、以前森にかけたのと同様の針術、【針境】をラクラスの部屋周りに張る。一時的にラクラスの部屋への途絶が行われたわけだが、張ってしばらくは中からも出られない仕組みになっている。
森で使用した時はある程度時間も経っていたため、そこから出る際に自動的に術が解けただけだ。今回はそうはいかない。僕の大事な時間を邪魔した報いだ。
「ガネ教育師!」
講技に向かおうとしたところ、聞き覚えのある声が近くから聞こえてきた。どうやら、僕を探しているらしい。この声は、ザイ君でもラオ君でもない。しかし、バタつく足音は一人のものとは思えず、声のした方に歩いていくと、声の主であろうユラ君と、目が合った。
「あ! ラオス! こっち!」
「その呼び方何とかしろ、ザイの気持ちがすっげえ分かる! あ! ガネさん見つけた!」
「……君たち、遊んでいるのか探しているのかどっちなんですか」
話を聞くと、心配したザイ君を筆頭に、そのグループが僕を探して回っていたという。やはり、心配をかけてしまっていたようだ。
とにかく早く広間へ行こうと、その方へ進んでいる途中で、ザイ君とシリス君と合流することもできた。その時の、ザイ君の安心した顔といったら、ひと騒動終えたかのようなものだった。そんな大袈裟な、と笑うと、ザイ君も「そうだよな」と言って笑った。
ラクラスには分からないのかもしれないが、僕は、この構築された信頼関係を気に入っている。
ラクラスが理解できないままでも、それはそれで、どうだっていい。
僕の講技は、約三十分程遅れた中で、再開された。