第百二十三話 黒ノ出デル毒ニ惑ウ講
翌朝、初の三時。昨日知らされた通り、今日の講技は通常通り広間で行われるということで、俺はラオと共にそこへ向かう。すでに半数以上の人が集まっていて、竹剣を片手に練習をしている者もいた。
その集団の中に、ユラもいた。こちらには気付いていないようで、真剣な表情のまま続けている。気付かれると厄介だと、視界に入らないような場所まで移動し、講技が始まるのを待った。
「こうやって講技に来られたの、本当に久しぶりだね」
俺の横を定位置に立つラオの言う通り、どれほどの期間講技に出ていなかったのかと考えると、他の応用生に申し訳ない反面、俺たちのおかれている状態を再認識させられる。きっと、また近いうちに講技を放り出して奔走しなければならない日が来るだろう。
「そうだね……俺、応用に上がってからすぐそうなったから、みんなの顔も名前もほとんど覚えてない」
「仕方ないよ。ていうか、俺たちが来たことにびっくりしてる人の方が多いと思うよ。さっきから、視線が凄いしね」
それこそ仕方のないことだ。普段通り過ごす屋敷生にとって、ほとんど講技に顔を出さない俺たちは異例で、悪い意味で視線を集めてしまっている。個人的な事情を屋敷生に広めるつもりもないし、こればかりは何も言い訳ができないだろう。ガネさんに、うまく話を落ち着けてもらった方が良いかもしれない。
それから数分が経ち、ガネさんが広間に入って来た。久しぶりの講技の感覚を取り戻すべく気合を入れるが、その後ろからついてきた人物にゾッとする。
─ラクラス=モック教育師だ。なぜ一緒に入って来たのか、その理由は全く分からないが、俺の気持ちは一気に削がれてしまった。
「何でいるの」
「俺に聞かないで。帰りたい」
ラオでさえそう言う始末。昨日のあの一度の接触で、思った以上の衝撃を受けたのだから、これも仕方ない部類に入れたいところだ。
「揃っていますか? 集まってください」
ガネさんの招集で、わらわらと屋敷生がその周りを囲うように集まる。俺たちも恐る恐る、集まる屋敷生の後方で立ち止まり、笑顔を絶やさないラクラス教育師と、いつも通りのガネさんを数回見比べる。やはり、パッと見て雰囲気だけではガネさんの方が厳しそうなものだが、あの笑顔の裏に隠れているものを想像すると、目を合わせないようにするしかなかった。
「……今日は久しぶりに全員いますね。ここ最近、立て続いて起きていた騒動も一応落着き、僕もやっと講技に復帰できそうです。それから、そこにいる二人もね」
目が合ったガネさんは、僅かに口角を上げていた。その目に相当の安心感をもってしまう俺たちは、事情を知って動いてくれているガネさんに、感謝するしかない。
「ただ、みなさんに分かってほしいことは、彼らは必死に裏切り者と戦っていてくれたことです。異例の事態ではありましたが、そのことで彼らを責めないように」
そうやって、初めに俺たちを気遣ってくれたから。
ただ、その横に立っている教育師を連れてきた意図がどうであれ、ここにいるということ自体で硬直してしまっていた。
「あの……ラクラス教育師は、今日はどうして」
そう切り出したのは、ユラだった。その顔色を窺ってみるとかなり緊張していて、顔の筋肉が軽い痙攣でも起こしているように微動していた。その心境には同感する。
「僕にもさっぱり。急に講技を見たいと言い出して、ラクラスの講技は昼食後に変更しているみたいですよ。僕としては迷惑なんですけれどね」
「酷いなあ。見るくらいいいでしょ? あ、本部長に許可を取ったら快く見せてくれるの?」
「では、以前のグループに分かれてください。講技に入ります」
「あれ? 無視してるの? 耳の穴塞っっい!!!」
何が起きたのか。ガネさんが彼の足に針術をかけたようで、痛みを訴えながらしゃがみこんだ。その横で、平然と講技を進めようとするガネさんの性格は、やはり相変わらずだった。
その光景に心底すっきりした俺は、組んでいたグループに混ざろうと歩を進める。
「ザイ君、久しぶり」
「あ……シリス! シリスだ!」
「正解。よく名前が出てきたね。色々あったみたいだけど、大丈夫?」
ほとんど顔を合わせたことのないシリスは、俺を目の前にして真っ先に心配をしてくれた。ただ、穏やかそうな雰囲気というか、表面的なところがあの教育師に似ていて、思わず目を細めて睨んでいた。
「え、何々、どうしたの」
「……ザイ、考えていることは分かるけど。シリスは見た通りだから安心して」
ラオには俺の考えが筒抜けだったようだが、お墨付きとあれば安心して良さそうだ。
「……ああ、そういうことね。ラクラス教育師怖いよね。おれも苦手なんだよ」
「シリスも?」
「ていうか、苦手じゃない屋敷生なんていないんじゃない? 今の針術にはせいせいさせられたし」
思ったことも、俺と同じだったようだ。どうやら、ラクラス教育師のことはほとんどの屋敷生が把握しているようで、周りでも俺以上にラクラス教育師への視線が多かった。
「ほらよ、竹剣持ってきたぜ」
場にいないと思っていた二人、ユラとチェインは、人数分の竹剣を取りに行っていたようだ。シリスが「ありがとう」と言って受け取り、続けて一つずつ手にする。
「ったく、ずっと見ねーと思ってたらやっと登場かよ。腕は鈍ってねーだろうな」
「ザイちゃん、最初にあれだけ指摘したんだから、腕が落ちるわけにいかないんじゃないのー?」
「……物理的にお前の腕落としてやってもいいけど」
「ザイちゃんしばらく見ないうちに、めっちゃ怖くなってる!」
ユラに対して冷たくなってしまう自分に、講技中くらいはそれなりに関わらなければ、と言い聞かせながら、聞こえてくるガネさんの声に耳を傾けた。先程までしゃがみこんでいたラクラス教育師はというと、ガネさんに部屋の隅に追いやられたようで、転がったまま放置されていた。
「何したの」
「え? 君もよくご存じの麻痺術ですよ。しばらく動けないので、彼はあのまま触れないでください。ついてくるだけならまだしも、僕の講技を邪魔するつもりならただじゃおけないので」
やはり、この教育師たちは似たところがあるようだ。自分よりも怖い時があると言っていたが、平然と今の状態を作ってしまったガネさんも、十分恐ろしい。しかし、俺たちに直接的害が及ばないようにしているところを見れば、ラクラス教育師との違いは歴然としていた。
「それでは、しばらく前に行う予定だったローテーションの実践をしてください。組み合わせは自由です。二対二、一人は判定の役割で三本勝負を、僕が声をかけるまで回しながら続けてください。見て回りながら、助言などはしていきます。始めてください」
久しぶりに、本格的な講技に参加する俺とラオは、どんな組み合わせでも構わないが、俺とラオが組むことは控えた方が良いだろうということで、まずは俺とシリス、ユラとチェインの実戦で、ラオには判定を任せることにした。
昨日ラオと試合をした時のように、俺の体は思い通りに軽く動く。ユラの攻め手に掠ることもなく、すべて弾いて柄で顎下を何度か取った。チェインの動きは乱暴な方で、動きが読み切れずに苦戦したものの、シリスの手助けあって、その動きは抑えることができていた。ユラよりもチェインの方が上手なようで、何度も俺の背後を取ろうと俊敏に動いてきていた。シリスがそれを庇いながら、何とか三対一の結果で勝つことができた。
「はー、おれこんなに動いたの久しぶり。ザイ君の能力が高いっていうのが凄く分かるよ」
「いや、チェインの動き止められたシリスも凄いよ。あんな乱暴なの」
「伊達に乱暴さに付き合ってないからね。いつものことだよ」
「おい! ちょっとバカにしてんだろてめえ!!」
「まあまあ」とラオの仲裁が入り、そんな調子のチェインに落ち着いてもらうべく判定をしてもらうことにし、俺とユラ、ラオとシリスの組み合わせで次の実戦へ移った。ガネさんの言う通り、組み合わせを変えながら何度も何度も繰り返し、そのうち、最初に体力が尽きるのは誰か、という名目で競い始めた俺たちは、かなりの数の実戦を行った。
「はあっ! はあああ!! あーーーー疲れた! 勝てなくていい! オレ降参!」
そんな勝負の末、声を上げたのはユラだった。一番粘ってくるかと思っていたのだが、汗を流す俺たちの中で、ただ一人腰を下ろし、荒い息を必死で落ち着けようとしていた。
「あんだけ調子乗ってるくせにね」
「オレは短期決戦型なの!」
「都合よく言うなよ。短期で決着つくわけないだろ」
そのタイミングで回って来たガネさんには、本筋とずれている、と呆れられた。
実戦を始めて、すでに一時間を過ぎていたようで、意味のない勝負をしていた俺たちに休憩をするようにと催促してきた。見ると、他のグループもいくつか体を休めていて、そういうことならばと、しばらく休むことにした。
「やあ、休憩中だね」
そんな俺たちの前に来たのは、麻痺術をかけられて転がっていた教育師だった。一瞬で全員の顔が真顔になる。ラオに至っては、もはやどこを見ているのか分からないように、ただ一点を虚無のごとく見つめていた。
「見てたよー。君たち面白い勝負してたね。で? 誰か私と勝負してくれる人はいない?」
全員それを拒否したいがために、目を逸らして他面に助けを求める。どうしてこの人は俺たちに関わろうとしてくるのか、かなり疑問を抱いているところだが、お構いなしにぐいぐいと圧してくる。
「えー合わない眼球は刳り抜くんだけど……」
そんな脅しに乗ってしまえば負けだ、俺は自分の中でそう戦っていた。恐ろしいことを言われようと、この場は俺が勝つ。そう念じながらひたすら耐えていると、ガネさんが状況に気付いて戻って来てくれた。
「ラクラス、麻痺が解けたからって自由にしないでください」
「だって、この二人強いんだろ? 私も勝負してみたいんだけど」
この人の目的は俺かラオ、どちらかとの実戦だったようだ。こんなに執拗に目の前から動かなかったのもそのため。引きずり出されても絶対に断るところではあったが、ガネさんがそれを止めたことで、俺には神様のように見えていた。
(ありがとう……本当に……顔は合わせないけど……)
顔を向ける勇気までは湧いてこず、二人の話だけでその空気を感じ取るが、ガネさんの機嫌がよくないということだけは、言われるまでもない。
「今は僕の講技中です。そんな勝手は許しません。あなたの性格であれ、屋敷生に恐怖を与え続けるのは感心しませんので、もう出て行ってください」
「じゃあガネ教育師が相手になってよ」
「話を聞いてないのはあなたの方じゃないですか。その耳ごとばっさり切り落としましょうか」
俺が神様に見えた教育師の口からは、そんな物騒な言葉が聞こえてくる。昨日の二人のやりとりとはまるで違った喧嘩腰モードに、俺は思わず顔を上げてしまった。
「うわー怖いな。じゃあ私はその腕をへし折ればいいかな?」
広間にいる応用生は何事かと、こちらの様子を静かに見守っている。近寄りたくないのは凄く分かるし、俺もこの場から逃げ去りたい。ユラは、すでに遠方に逃げ、別の友人の横で顔を隠していた。こういう時の足は速いらしい。
「ちっ、話にならない。僕はあなたと仲良しでいるわけではないんですよ。あなたの勝手を許容できると思わないでください。……ゲランの方がまだマシですよ……全く」
そんな空気を制裁するように、壁に穴が空きそうな音を立てながら、その広間の扉が開かれた。屋敷生も身を引く二人の険悪さをどこからか感じ取った教育師が、両手を広げて立っていた。
「何事だー!」
「……何ですか、またただならないものを感じたんですか?」
「そうなんだけど……あれ? 何かデジャヴ的なものを感じる。ん? 何でラクラス教育師がここにいるの?」
その人物は、ソムさんだった。どこで何を察したのか、慌てた様子で駆けてきたらしく、息が上がっていた。ただならないものを感じたというが、どう考えてもこの場において、その空気を察してここに来たソムさんの方がただならない。
「……あーあ、邪魔が入っちゃった。また今度相手になってよ」
しかし、そのただならないソムさんのお陰で、しつこかったラクラス教育師はその場を諦め、広間から出て行った。結局、最後までラクラス教育師の行動は全くつかめず、講技はかき乱されてしまったため、休憩時間を挟み、恒の零時からの再開が決まった。