第百十九話 黒ノ恐レト妖影
医療室。
ことの成り行きを伝えられた少女は、不安げな面持ちで少年を見つめる。自分の知らないところで、命を落としかねない騒ぎが起きていたことを、本人は悔しがっている。
「……水への恐怖心がどこまで上り詰めたか、分かったもんじゃねーな」
ベッドには、少年が横になっている。特に気にかかるのは、体温低下と衰弱。手はつくされ今は落ち着いているものの、トラウマになってもおかしくはない騒動になってしまった。体は癒えるが、心がどうなるか分からない。
それは本人にしか分からない。死ぬ思いをした、本人にしか。
あの場にいた人たちと、ゲランさんを加えて話をまとめようと、俺たちは顔を見合わせていた。起こってしまったことを引き摺っても仕方がない、そうけじめをつけようとするが、目を覚まさないザイに、どうしても気持ちを引っ張られる。
「……すみません、僕の責任でもあります。目の届く範囲においておけば良かったですね」
ガネさんも責任を感じている。俺だってもう少し何とかできたのではないかと、大きな後悔をしている。眠っている彼の呼吸は安定して、一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
ガネさんの話から、ゼスは警師のもとに行き、ホゼの目的は“表裏の世界の統合化”だということが分かり、屋敷の騒動は収まった。
しかし、ガネさんは言う。「ホゼが統合化なんて言うとは思えない」と。ゼスがしようとしていたことは、ホゼへの協力。その手段としての、〈暗黒者-デッド-〉の排除。そこまでは分かったが、その計画を立てたのがホゼというのが引っかかるという。
「以前にも少し感じていたんですが、さっきのゼスの言葉で確証を得ました。“協力者の矛盾”です」
「矛盾……」
「思い出してみてください。僕たちの知る限り、一人間であるホゼが裏の世を知るには限度があります。それなのに、統合化なんてしようとすることに繋がったのは何故か。そして、ゼスを動かすだけの情報があったのは何故か。それに、統合のために君たちに手をかけようとしたのなら、それは逆に世界の崩落に繋がりかねませんよね?」
「……そこがはっきりすれば、すべて繋がるだろうな」
ガネさんとルノさんが言うように、そう考えれば、ゼスとホゼの間の行動には謎が多い。
ホゼがザイを攫っていった時には、「協力を強いられた」というようなことをザイは言っていた。殺そうとまではしていない。
しかし、その後のことだ。「必要なくなった」と言い、それこそ命の危機に面したこともある。思えば、ホゼの動向が掴めなくなったのはその頃からだっただろうか。ルノさんが来て、屋敷からの追放を受けたからというのもあるかもしれないが、不可解なところが多い。
「何か、もっと繋がるものがあればいいんですけど……」
「薫は……どう思ってるんだろうか」
単純にそう気になり、さっそく俺は薫を呼んだ。薫が来てから事情を説明し、本題について尋ねると、首を傾げた。
『意味が分からん』
「……意味が分からんなりに何か」
ザイがこの状態になっているということを、薫自身も気にしたようで、俺の話を他所にザイの様子を窺っていた。その契約した怪異も、相当気にするだろう、という予想は安易に立つ。落ち着いて眠っていることを確認できて満足したのか、薫は俺に向き直り、一度考え込んだ。
『……そもそもおかしい』
「何がですか?」
考え込んだかと思えば、時間をおいて、俺の投げかけに対してそう返してくる。どこに納得がいっていないのか、薫はそう考えた理由を、続けて語った。
『小僧どもが不要になることなど、まずない。協力を強いたと思えば殺そうと襲い、私の魔を封じた協力者を使って統合化だと? 散らばりすぎている、複数が関与してるとしか思えん』
「……それは、僕も不審に思っている部分です。……でも、ホゼ以外に僕たちにここまで迫ってくる者に、全く心当たりもないんですよ」
『だが貴様は、あいつに言っていただろう。“本当にホゼの協力者なのか”と』
「もっと別のものが関与しているように思えてきている、昨日そうとも言ってたよね」
ガネさんは、ホゼとは別の「何か」によるものだと考え始めているらしい。昨日の話の中でも、確かに匂わせるようなことは言っていたが、仮にそうだとして、ホゼの他に誰がいるだろうか。想像がつかなかった。
『……意外と、吟に聞いてみたほうが分かるかもしれんな。そこの小僧は……』
「ザイは少し休ませてやってくれ。俺が行く」
そのように話がまとまると、俺は早速〈暗黒〉に行くことにした。教育師たちは引き続き、話を進めているようだった。
......
『ああ!? ザイヴが死にかけただと!? 何故我を呼ばん!』
薫のみが呼ばれることは、これまでになかったことでもあり、穏慈に会って早々、ザイのことを聞かれた。状況を説明すると、こんな感じで声を荒げた。呼べる状況になかったことを伝えても、納得してはくれなかった。
「いやでも、もう大丈夫だから。今は、さっき説明したとおり、違うことでこっちに来た。吟を探したい」
『チッ……。分かった、それならば我も一つ知恵を貸す。あくまでも可能性の一つだが、怪異の中には我ら同様変異できるやつも少なくない。姿をいくらか写せる怪異もいる。そいつらがアーバンアングランドに行けることは考えにくいが、他に目星がつかないのならば、怪異の可能性も考えていいんじゃないか』
怪異にはいろんな特性を持ったモノがいる。それは以前聞いているから驚くことはないが、穏慈の言う可能性は頭ごなしには否定できない。影響を与える奴がまた現れたと考えると、嫌な展開だ。
「そうか……なるほど」
穏慈の知恵を受けたところで、一応吟にも尋ねてみようと、薫の背を借りて目的の怪異を探しにいくことにする。それに同行する形で、穏慈も俺たちの横に張り付いていた。
『おい。騒ぎが広がっていくことを……あいつは病んでいなかったか』
「え?」
『ザイヴは、そういうのを気にして怖がるだろう。自分のせいでなんて落ち込んでいないかと思っただけだ。そうでないなら良い。まだ寝ているのだったな』
そんなことを言い出した穏慈に、少しだけ自分を重ねてしまった。俺もなかなか過保護だと思うけど、穏慈も俺と似たところがあるようだ。俺の口から聞いた話で心配になり、本当はザイの様子を見たいのかもしれない。
「今は……分からないな」
俺は、そう答えるしかなかった。
しばらく移動していると、薫が吟を見つけた。俺のことを確認するなり、吟は、〈暗黒〉の落ち着きを知らせてくれた。数日前に俺とザイで、〈暗黒〉を正すために行ったことは、どうやら無駄ではなかったらしい。闇晴ノ神石についても、正常にあの場所に存在し、輝きを放っているという。怪異たちの容体も安定し、徐々に怪異の姿が確認できるようになったようで、吟も安心していた。
吟の話を聞いたのちに、こちらの事情を説明すると、ううんと唸って考え始めた。しばらくアーバンアングランドにいた深火からは、何も聞かないと言う。心当たりはないんだろう。
『スマナイ……、今ノ私ニハ、ワカラヌ……。シカシ……ソウ難シイコトデハ、ナイキモスルノダ……。ナニカテガカリニ、ナルモノ……近クニ、アルヤモシレン……』
吟でも、俺たちが知りたいその答えは分からない。確かに、アーバンアングランドで起こっていることだ。そこのことまで手に取るように分かるほど万能では、さすがにないだろう。
それはそれで仕方がない。しかし、吟の言う通り、手掛かりになりそうなものを俺たちが知っているとしたら、何とか突き止めて、早いうちに真相へとたどり着かなければ。このままずるずると問題を長引かせるわけにはいかない。
「ありがとう」
『イヤ……力ニナレズ、スマン……』
吟があまりにも申し訳なさそうに首を落とすから、俺も申し訳なくなってしまう。このままの状況を続かせることは、俺たちだけではなく、怪異にも負担をかけてしまうだろう。そのことを肝に銘じ、俺は屋敷に戻ることにした。
ザイのことを心配する穏慈は、薫と共にこちらについてきた。
......
戻ってくると、場の人数は減っていた。ゲランさんはオミに呼ばれて留守。ウィンは相変わらずザイの横に付きっ切りで、ガネさんとソムさんが、それを見守るようにそこにいた。
吟から得た知らせを報告し、ザイの様子を窺うと、先程よりも少しだけ顔色が良くなっている気がした。ひとまず、ほっと胸を撫で下ろす。
「吟からの収穫はなしですか……。でも、穏慈くんの言う怪異の可能性は、捨てずにとっておきましょう。あと、今ある問題は、ホゼの目的と矛盾、〈真迷い〉とヴィルス、そしてホゼとヴィルスの関係性、おおまかにこの三点ですね」
「そうみたいね。まだまだ問題は山積みってことか」
纏まり切ることはないが、話を一度区切る。そして穏慈は、ザイの様子を見るためにその近くに行った。その顔は、本当に心配そうで、その気持ちは俺にも伝わってきた。
『……ザイヴはずっとこうなのか』
「助けてから、もう二時間は経ちます。とりあえずは落ち着いて……?」
「う、……ぐ……」
穏やかに眠っていたザイの顔は、急激に変化し、苦痛の表情を見せて唸り声をあげた。悪夢を見ているのか、それとも何か、苦しさと戦っているのか。
「……っ、て、……か、た……けて」
─助けて。
そう言っているようだ。恐らく、まだ水中にいるような感覚なのだろう。堪らなくなったのか、ウィンはザイの肩を持って軽く揺する。
「ザイ、大丈夫だよ」
「ザイ君」
ウィンに続いて、ガネさんが被っている布団の上から体に手を添えて、さする。二人の呼びかけで落ち着いたのか、ザイの表情は落ち着き、ゆっくりと重たそうな瞼が開いた。
「ザイ!」
『ザイヴ、大丈夫なのか』
周囲を見渡し、ここが医療室だと分かったようで、大きく息を吐きながらのっそりと体を起こした。頭が痛いのか、手で額を押さえて俯いていた。一瞬見えた目は虚ろではあったが、何とか元気になりそうだ。
「良かった、ザイ君。心配しましたよ。体が起こせるのなら、温かいスープでも飲みますか?」
「……ん。布団被ってるだけで温かいから……大丈夫……」
「ザイ、ごめんな。俺が一緒だったのに」
「ううん……俺も、何もできなかった……」
細い声ではあるが、意識も戻って応対ができるようだ。今日一日はザイのことを考慮して、もう解散にした方が良さそうだと、明日にでもルノを交えて、もう一度集まることになった。
ホゼとゼスの行動の説明をつけることができれば、すぐにでも謎が解明しそうで。それなのに、あと少しというところでそこに手が届かないという歯がゆさに、頭を悩ませなければならなかった。
─失敗した。使えない。全く、せっかく面白くできそうだったことを。弱点を知っている、という油断は、やはりどこかに持っていたようだ。また違うナニカを考えなければ。
「もう、失敗はしない」
ソウダ、私がこれ以上の失敗をする訳にはいかない─