第百十八話 黒ノ弱サト伏セル強サ
目を覚ましたと同時に、頭部の痛みを感じる。痛む部位に触れると、ピリッとした感覚と、僅かに腫れているのか盛り上がっているような手触りがあった。その上から包帯が巻かれているようで、それが出血の有無を表していた。
そこまで思考が追いついたところで、ハッとして周りを見渡す。そこは、今朝までいた医療室。どうやら誰かが見つけて運んでくれたらしい。ただ、そこで安心できないことが一つある。あの場にいた、ザイの姿がない。
「お、ラオガ。目ぇ覚めたか。一応氷枕にしといたんだがどうだ?」
俺が起きたことに気付き、ゲランさんがすぐに気にかけてくる。該当部の状態を見ると言って、俺の包帯を外し、髪を上げながら確認していった。
「ゲランさん、俺」
「……オミが見つけてくれたんだ。お前がザイヴの部屋に行くって言ってたのを心配してやがったからな」
「じゃあ……!」
「今、ザイヴはどこにいるか分からねえ。ガネとソムが探してるところだ。ついでに、オミがルノタードに報告に行ってる」
頭部については、傷こそあるものの問題はなさそうだ、ということで、再度包帯を巻きなおすゲランさんを他所に、俺の背筋は凍った。同時に襲われていながらザイがいないということは、ゼスに連れて行かれた可能性が高い。
それに、ゼスがウィンの名を使って来たところや、俺の性格を把握していたところからして、俺たちの弱点まで知っているはずだ。その上でザイを標的にしたのだとしたら──俺の頭には、最悪の事態が浮かび上がって来た。
「やべ……っ俺も行ってくる、あいつがやってんなら、急がないと……!」
「おい、そんな急に起きると倒れんぞ!」
立ち上がった瞬間に頭がぐらりとし、足元が覚束なくなった。しかし今は、そんなことを気にしていられない。ザイが、死んでしまうかもしれない。その弱点は俺もよく知っているし、本人が一番よく分かっている。確実に狙って連れていくとしたら、思い当たる場所は一つしかない。
俺は医療室を飛び出した。どれくらい眠っていたのかは、氷枕が少し溶けていたことが語っている。あれからすぐに連れて行かれたんだとすると、ゆっくりしていられない。
速く、早く、行かないと。もし、意識がはっきりしないうちにその中にいれば、穏慈を呼ぶ余裕なんてないはずだ。
「ザイ……間に合って……!」
▽ ▲ ▽ ▲
いつもより多めに張られた水溜槽の水。水対応で使う時には、深さに余裕をもって水を張っているが、今は縁の並々にまで張ってある。溜めなおすのに時間はかかるが、まともな講技がされない中で、ここに忍び込むことは難しくはない。
─もがくくらいするかと思ったが、どうやらそんな体力はなかったらしい。
「つまんねー……」
こう簡単に思い通りに行くと、全く面白くない。もう少し違う策で追い込めば良かったかもしれないと、表情を暗くする彼は、水溜槽に背を向けた。
「じゃーな、ザイヴ=ラスター」
ゼス=ミュシーの行動と、ラオ君から聞いた限りで分かる、彼のもつ情報。それを組み合わせてたどり着いた、彼らの居場所。どうやら、正解だったようだ。
「動かないで!」
「ソム、少しの間頼む!」
ソムにゼスの相手を任せ、僕はまっすぐにザイ君の救出に向かう。この場にゼスが一人でいることから、ザイ君が水中にいるということは察しがついた。腰にかけていた剣は、一度床に捨てる。優先すべきは、目の前の生だ。
ソムに指示を出しながら、内心は、凄く焦っているのが分かる。ザイ君にとって、水の中にいる状況は相当苦しいはずだ。そして、水中にいるにしては静かすぎることが、僕の不安を更に煽ってきた。
並々に張られた水の中に、自身を潜らせる。入水してすぐにザイ君を見つけ、ぞっとした。
(……!!)
足の重りが目に入る。そのせいで底に近いところでぐったりとし、力なく波に揺られている彼の状態に、僕の心臓が止まりそうになる。手早く抱き上げ、水面まで引き上げる。その顔色を見ると、真っ青で、呼吸を確認することができなかった。心拍も、弱っている。
「くそ……!」
水溜槽から出て、床に寝かせる。どれほどの時間水中にいたのか、事態は一刻を争う状態だ。気道を確保し、飲んだ水を出せるように手を施す。
「ザイ君起きてください! ザイ君!」
時折呼びかけながら胸部圧迫のために手を動かすが、それに対する反応はない。少しでも回復してくれればと、口元に手をあててみると、ほんのわずかに呼吸がかかってくる気がした。そう感じたい、僕の希望なのかもしれないが、それでもその意識を回復させるために、とにかく必死だった。
「ザイ!」
「! ラオ君、怪我は……」
「俺はどうでもいい! ザイ、ザイは……!?」
頭に怪我をしているはずのラオ君も、目が覚めてすぐに事態を察したようで、走ってきた。息が、これでもかと言うほど上がっている。
「意識は見ての通り、呼吸はほとんど確認できません。ザイ君、しっかりしてください!」
「ザイ……! 起きろよ、ザイ!」
何とか酸素を届けなければ、脳が死んでしまうかもしれない。そうなると、僕にもさすがに手段がなくなってしまう。飲んだ水を出してあげたいのも山々だが、ここはザイ君の体がどうにか吐き出してくれるのを待つしかない。
「……ラオ君、包めるほどのタオルを持ってきてください。急いで!」
このままの状態が続くなら救命行為が必要になるが、少しでも呼吸が安定してくれればどうとでもなる。そのためには、タオルで体を温めてやる必要がある。こうしている間にも、ザイ君の命はどんどんか細くなっていっている。焦りばかりが生まれ、それに伴って苛つきさえついてくる。
一方のソムも、ゼスをこちらに近づけないように時間を稼いでくれている。あちらにも加勢が必要だ、ザイ君さえ息を戻してくれれば、僕は動ける。
(頼むから、目を開けてくれ……!)
「ゴボッ」
「! ザイ君!」
嘔吐物のように出てくる水は、僕を一気に安心させた。すぐに顔を横に向けてやると、続けて数回に分けて水が排出された。
ザイ君は、ゆっくりとした呼吸を始めた。
「僕の声聞こえますか!?」
目が開くことはなく、僕の呼び掛けには相変わらず応じない。水を出しただけで、状態的には、芳しくない。
「ガネさん、持ってきた!」
ラオ君が持ってきた数枚のタオルを受け取り、ザイ君の衣服を脱がしてタオルで包む。三枚ほどで十分に包み、使わないタオルで顔や口を拭いたところで、細く目が開いた。
「良かった……ザイ君、僕が分かりますか?」
「……ガ、ネ……さ」
その弱っている声に、罪悪感を覚えた。苦しい、と感じる許容を超えた、生気を失うほどのそれを分かっているラオ君は、泣いて謝っていた。こんなに辛い顔になる前に、助けることだってできたかもしれないのに。そう思うだけで、自分を責める。
「……もう大丈夫です。大丈夫。安心してください。ラオ君、ゲランのところまで運んでやってください。それから、ルノをここに呼んでほしいです。この場で彼に制裁を下します」
「分かった……」
ザイ君を背に担いだラオ君が、部屋を出て行ったことを確認する。ザイ君の命を奪おうとした男は、ソムと交戦中だ。舌打ちをし、僕を睨みつけてくる。邪魔をされて機嫌が悪くなったようだが、僕の知ったことではない。ザイ君を殺そうとした報いを、受けてもらわなければならない。
ソムの元へ向かいながら、ここに来た時に放り出した剣を拾い、その目の前まで歩みを進めた。
「ソム、助かりました。ザイ君は大丈夫でしょう。しばらくは安静にさせます」
「良かった。……全く、あなたも限度があるでしょ。殺人未遂よ。警師に突き出させてもらうからね」
「くそっ、あんたらさえいなきゃあ……!」
それはこちらのセリフだ。裏切り者がいなければ、彼らに危険が及ぶことはなかったはずで、この男の処罰については、警師に任せるべきでも、僕がその裁きを決定したいほどだ。
「……お前さえいなければ、混乱を招くことはなかった。お互い様じゃないですか。仲良くしましょうよ」
針術を放ち、ゼスの動きを封じようとしてみるが、やはり身のこなしは応用生。数本しか、その身に刺さらなかった。遠距離は難しい相手らしい。それならば、近距離で応戦するまで。剣を抜くと、それを見たゼスも短刀を取り出した。恐らく、屋敷の武器庫から持ってきたものだろう。
「ソム、行きますよ」
「いつでもいいよ」
僕がソムに合図を出すと、杖を構えて、息がかかるように回し始めた。僕はすぐにゼスと刃を交え、殺してしまわないように調整して動いていた。身軽な彼は、ひょいと飛び跳ねて避けると、僕の行動を読み取ったのか、余裕の笑みを見せた。
「屋敷生は殺せねーのか、教育師」
「お前には、ここにいるうちは生きたまま苦痛を味わってもらわないといけませんから。重りをつけてまでザイ君を水中に入れるなんて、殺意がないとしませんよね」
しかし、その余裕。すぐに見せられなくすることくらい、こちらには簡単にできる。後ろに控えるソムは、いつでもそれを行える。
「大事な屋敷生に、手を出した報いです。ソム、やれ!」
「時間稼ぎ、ありがと!」
僕の背後から、ソムの氷風が飛び、ゼスを囲う。少し驚いた様子のゼスは、打開しようと足で氷を壊していっていた。そんなもので氷風が収まるはずもなく、そのままぐるぐると上方へと渦を巻きながら伸びる氷は、徐々に氷柱を作っていき、彼を閉じ込めるように、何本もの先鋭を向けて止まった。
「くっ!」
「僕たちのことを調べて勝った気でいたようですが……甘かったですね。相手が悪いですよ」
「……ゼス=ミュシー、殺人未遂に裏切り行為、加えて暴力行為に爆発騒動。これはもう世間には出られねーかもな?」
彼の行動に関してまとめたと思われる書類を、ペラペラと捲りながら、ルノが部屋に入ってきた。パタン、と書類を閉じる音を立て、ルノは僕たちの前に立った。
「ルノ! 今までどこで……」
「オミから事情を聞いて、俺もここだろうと思って向かっていた。ラオガ君とザイヴ君にはその途中で出くわしたし、何があったのかも聞いた。体力が戻れば大丈夫だろう。助かった、ガネ」
「その書類、どうしたんですか」
「警師に任せる時に必要だからな、纏めていたんだ。警師にこのまま渡したいが……その前に色々と聞きたいことがある。ゼス=ミュシー、お前が知っている限りのホゼのこと。お前の動きのこと。聞かせろ。黙秘は許さない、本部長命令だ」
「……そんなんで口割るなら、そこの教育師にも言ってるぜ」
「……そうか」
瞬間、何をしたのか、僕でも目に留められないほどの一瞬で、ソムが作った氷柱の数個が割れた。同時に、ゼスの顔や足など、数か所に切り傷が生まれ、よろめいた拍子にその足は自ら氷柱に刺されていた。
「あ゛っっでぇ……」
「黙秘は許さない。俺は言ったぞ」
ルノの手に握られた剣銃は、はらはらと落ちていく氷の破片をつけている。反抗するゼスを、今の間で追い込み、冷めた表情で彼を睨んでいた。
「チィッ……。あいつの目的は“統合化”だよ! それを手助けするためにやっただけだ、それ以上は知らねえ、これでいいか!」
「……統合化、だと? 何の統合だ」
「そんなもん、こっちと〈暗黒〉に決まってんだろ。……オレはこれで終わらねーぞ。困るのは、お前らかもしれねーぜ……」
ニヤリと笑んだゼスは、僕たちの反応を窺っている。驚くと思ったのだろうが、ルノは「そうか」とだけ答えると、すぐ近くに待機してさせていたらしい警師を呼び、身柄を預けるためにソムの能力を解かせた。
ようやく拘束されたゼス=ミュシーは、五十年の刑、脱刑すれば年数加算、または一生の刑への変更を命じられ、この場は大人しく、警師に連れられて屋敷を離れた。
その目は、また続きを仕向けてきそうな鋭利さで、その言葉通り、再び目にする日も必ずやってくるだろうと、僕は一人思っていた。
「……ここと、〈暗黒〉の統合化……。そんなもの、どうしてわざわざこちらの手でする必要が……」
この時の僕は、この計画をホゼが仕組んだものであるということに疑いを持った。前に感じた、異なる力が関与しているような違和感。そして、〈暗黒〉を知っているとはいえ、知識を持ちすぎている点。それは、ゼスにも問うたそれにも関わってくる。
─「君は、本当にホゼの協力者なんですか?」
確実性に欠けるものの、僕がそう感じる理由。“真迷いの関係”、“表裏の統合化”、そして“ゼスに裏世界の知識をもたせるだけの情報”。それらは、一人間であるホゼが辿り着き、考え、実行するには、あまりに無謀であることに思えてならない。
考えれば考えるだけ、多くの可能性が浮かんでくる。ただ、ゼスが屋敷から去った今は、ザイ君の状態を回復させることに目を向けるべきだろう。彼には、無理をさせてしまった。
今後に影響しないことを願うが、それはザイ君の心の強さに左右されるもので。僕は、それを援助していかなければならない。