第百十四話 黒ノ賭カル尊
目の前に立つ、その人物。この男が、裏切り者の正体。ゼス=ミュシー。ガネさんにすら態度を変えないところを見ると、相当な自信があってこの場にいるのだろう。
いや、それよりも、注意しなければならない。屋敷で内密に動きながら、俺たちには分からない計画を着実に進めていた奴だ。
『ザイヴ、とりあえずラオガ達を出してやろう。ラオガはともかく、薫がこのままでは……』
怪異にとって、魔を抑えられることは苦痛。怪異の中には妖気を好んで食すそれもいるほどだということは、いつかに聞いている。そもそも、妖気は必須のもの。穏慈の言う通り、扉を解放することが先決だ。
「ガネさん、頼んでいい?」
「もちろん。僕は先にゼス君の相手になります。そうゆっくりと時間はとれませんよ。その間に、策を練るなり壊すなり、お願いします」
すでに剣の柄に添えてあった手で、そのまま剣を掴んで抜き、真っ直ぐにゼスに向かって行った。どう考えても、早さはガネさんの方が上で、余裕を振りまいていたゼスの顔は緊迫した顔になっていた。
ゼスから鍵を取れるとは思っていない。
この時間に、この扉を────壊す。
「ラオ! ガネさんもいるし、俺と穏慈で壊すから離れろ!」
中から了承の声が聞こえ、少し離れていく音を確認する。鎌を解化させ、穏慈とタイミングを合わせるために、目を合わせて呼吸も合わせる。
しかし、ゼスもこの状況を黙っているわけではない。ガネさんから逃げながら、こちらの様子を窺っていたようだ。これでもかという勢いで、穏慈が俺を引っ張ったことで、ゼスの接近に気付く。俺を捕らえようとしたのか、その手は拳を作りかけているところだった。
その目はホゼと変わりない、意識せずとも足がすくんでしまいそうな、冷徹なものだった。
俺たちが近くにいるからか、ガネさんは剣ではなく、針術を使ってゼスの動きを抑えようとしていた。それに伴い、俺もそれに応じて鎌を操り、針術の盾に使う。それが跳ね返ってゼスに当たってくれれば万々歳だ。
『ザイヴ』
「何!」
そんな俺の背後から、穏慈が肩を掴んで俺を少しだけ後方に寄せる。そして、そのまま少しだけ前に乗り出し、小声で俺に指示を出した。
─『“構えて”、動くなよ』
穏慈が俺の前に一瞬で出たと思えば、それを見たガネさんも同時に走った。ゼスは穏慈が離れたことをいいことに、真っ直ぐに俺を目に留めてこちらに向かってきていた。俺は体勢を整え、ゼスの動きを見た。
穏慈が俺に言った言葉の意味──ゼスを引き寄せて止めろ。その察しは、すでについている。
ラオを使って俺を誘い出した、というラオの考えがその通りなら、今のゼスの狙いは俺だということになる。今は敢えてそれを利用し、ゼスを無視して扉を壊す。ラオと薫を部屋から出すことを優先した。
「ぐぅっ!!」
ゼスは穏慈の導きの通り、鎌を盾にしている俺の方に思い切り衝突してきた。その衝撃に耐え、間近に迫るゼスの気を、なるべく長く引き付けるためにこちらも押し返そうと力を入れる。
「意外と力あったんだな。オレを止めるか」
「あのなあ……! 見くびってもらっちゃ、困るんだよ!」
ドンッと、大きな破壊音が響いた。その扉の方からは煙が上がっていて、それは二人が扉を壊したことを示していた。それを見たゼスは、舌打ちをして俺を押す力を加えた。しかし、舌打ちをしたばかりのその顔は、すぐに余裕を見せる表情に変わった。
「っ……!」
「押し負けてんじゃん、ザイヴ=ラスター」
「薫を頼む!」
煙が濃く残る場所から、ラオの声を微かに耳にする。ラオが出てきたとなれば、数的にもこちらがさらに優勢になる。腰を落として踏ん張り、ゼスを押し飛ばす勢いで力を入れた。俺が思う以上に、鎌が頑張ってくれている。俺が加える力に比例して、それはゼスに対する怒りを表すように、圧していた。
「っぁぁあああああああ!!!!」
ぶつかり合うそれを無理やり振り、ゼスを抑えていた側面は、刃に変わる。弾くように振り上げた鎌の刃は、ゼスの胸から左肩にかけて浅く傷を作った。反動で距離を作ったゼスは、すぐに体勢を戻す。その後ろから、ラオとガネさんが、ゼスを挟むように剣と鋼槍を振りあげて接近してきた。対して、反応が遅れたようで、その体にまた、同じような深さの傷ができていた。
「さすがです、よく耐えましたね」
「ごめん、ザイ。助かった!」
二人が俺と並び、それぞれが口にする。ラオは大丈夫そうだが、穏慈が来ないところを見ると、薫の状態が芳しくないのかもしれない。ラオも居心地が悪かったんじゃないだろうか、いつもと、顔色が少し違って見える。
「ラオ大丈夫? 薫は……」
「俺はまあまあ平気だよ。薫は穏慈に任せた。怪異のことは、怪異に任せたほうが確実だろ」
「あーあ、出てきちゃったか」
どうやら、薫の心配をしている場合ではないようだ。ただ、ゼスは今のところ、俺たちに対応するための武器は手にしていない。先程、鎌にぶつかって来た時も、素手だった。わざとらしく考える素振りを見せながら、「んー」と声を出して頭を傾げる。その行動は、俺でも気に障る。
「……誰がどう動こうと別にいいけどさあ。教育師は相手にしたくねーな」
「教育師を何だと思ってるんですか? 僕がこの事態に動かないなんて、そんな話あり得ませんね」
「ま、やり方はいくらでもあるし。オレもそこまで馬鹿じゃねえ。素直に引く奴を追うほど、お前らも野暮じゃねーだろ?」
その発言は、自分が優位に立たない限りは、何もしない。そう言っているように聞こえる。頭は切れる男のようだ。今だって、ラオ単体というよりも、厄介なものを一緒に封じてしまおうとした策だろう。展開を操作する、厄介な男だ。
「つまり、逃げると?」
「オレは屋敷の敵だろ? 表立った動きに切り替えたんだ、顔が割れちまった今、ここに居場所はない。けどそんなもん、いくらでも利用できる」
「何の騒ぎだ!」
扉の破壊音が大きかったためか、駆けつけてくるルノさんの姿。俺たちと別に、ゼスがいることを確認すると、ルノさんは状況を把握したようで、まず俺たちの身を案じた。
「良かった、まだ何事もないようだな」
「ルノ、説明は必要ですか?」
「いや、必要ない。要するにあいつを止めればいい話だろう」
そう、ゼスを今捕らえれば、今後ゼスによる騒動は終息する。しかし、ルノさんが駆けつけるほどの大きな音だ。俺たちがいる場所は、屋敷生の部屋からもさほど遠くはない。“何かが起きた”という程度は、屋敷内には知れ渡ったはずだ。この場にぞろぞろと人が集まっても、俺たちも動きが取りにくくなってしまう。一度、屋敷の空気を立て直したほうが良いかもしれない。
「ルノさん、一回待って」
「へえ、聞いた通りだ。そこそこ頭は回んだな。話が分かるじゃねーの」
俺の言葉に、ルノさんは素直に足を止めた。ただ、剣銃はその手に持ったまま。ガネさんと目を見合わせて、何か双方で行っている。その状況の中、笑みを捨てた奴が、口を開いて俺たちを脅す。
「次は、逃げないし逃がさない。殺すか殺されるか、その生を賭けようぜ……」
そう言うと、ゼスは大人しくその場を去った。俺はというと、目の前から敵がいなくなったことで、力が抜けて座り込んだ。ゼスから感じた殺気。そして、言い表せない冷徹さ。俺は確実に、目と力で感じた。だからこその、恐怖だった。
きっとこれまでも、俺たちどころか、屋敷内にいながら、ひっそりとホゼに屋敷の状態を伝えていたに違いない。多くの情報がホゼに渡っていることも、そう結び付ければ納得ができる。どこでホゼが聞いているかではない。どこで、あのゼスが聞いていたのか。
屋敷内に手の内を残していた、それを利用した行動に過ぎなかったのだ。
「ザイヴ君、大丈夫か」
「だいじょ、ぶ、だけど……震え、止まんな、い……」
自分で抑えようにも、全くうまくいかない。ゼスの圧力は、俺の思考を完全に負の方に向かわせるほどのものだった。そんな状況の俺を見てか、ルノさんは剣銃をしまい、座り込む俺に合わせて横に膝をつき、俺の肩を大きな手で支えるように持った。ガネさんに向こうの様子を見るように指示を出すと、ガネさんは駆け足で穏慈と薫の方に向かった。それを見たラオも、「薫を見てくる」と一言残し、ガネさんを追うように俺の前を離れた。
「……ザイヴ君、何があった。あの扉、鍵はどうした」
「あれ、ゼスが……。ラオと薫が、閉じ込められて……。駆けつけたら、あいつが」
俺を誘き出すためとはいえ、怪異までもを部屋に閉じ込めてしまうなんて、本当に、やることがこれまでの奴とは違う。俺たちのことも、怪異のことも、恐らくすべて把握した上で策を実行したはず。その収集力は、屋敷生単体で行うには考えられないものだ。そこには、おそらくホゼの手があったのだろう。
「……分かった。とりあえず落ち着け、大丈夫。お前たちには教育師や屋敷が味方についている。お前たちも強いんだ、気持ちで負けるな」
軽く頭に手を乗せ、俺の震えか治まるのを静かに見守ってくれていた。大きく深呼吸をしながら、何事もなく落ち着いたという事実を何とか受け入れ、自身に危険が迫っていること。屋敷自体を敵に回して一人で行動を始めたゼスがいることを冷静に整理し、徐々に体に入る力は抜けていった。
「……良さそうだな」
「ありがとう……ございます……」
「うわっ、ザイヴ君が敬語になると気持ち悪い。やっぱりまだ大丈夫じゃないな? 休むか?」
気持ちが弱っていたら言葉と思考が追い付かないもので。休めるのなら一分でいい。何も考えない時間が欲しい、とそんなことを考える。ただ、少しの間をおいて、ルノさんの言葉の中に拾わざるを得ないものを見つけてしまう。
「……ん? ちょっと待って。今バカにしたよな?」
「敬語が出るなんて、そりゃあもう一大事だろ。ガネにも言っておこう」
「やめろ、同じこと言われるだけだからやめろ! ちょっと!」
俺の横にいたルノさんは、立ち上がってガネさんたちがいる方へ足を進めようとする。俺はそれを止めるために、素早く立ち上がって背の部分の衣服を引いた。
何だかんだ、冗談でそんなことを言うルノさんだが、俺はそのお陰か少しだけ立ち直った。
いざという時には頼りになって、人の様子を見て必要なものを与えようとしてくれる。ガネさんが頼る理由も、分かる。
「今折れるわけにはいかないだろ。あいつは、これから更に狙ってくる」
「……うん、大丈夫。とりあえず、気持ちは片付いた」
「サポートはいくらでもできる。お前は自分が持つ力を、前面に出して戦え。ホゼに協力して屋敷を乱す者に、俺たちは負けねーよ」
ルノさんは、そう言って俺に背を向けた。そのまま、前に歩み出し、俺との間に距離ができる。危機的状況にいる中での、ルノさんの存在の大きさをしみじみと感じながら、俺も、薫の様子を見るために、集まっている方へと歩を進めた。
タイトルの読み
賭カル尊