第百十一話 黒ノ揺ラグ軸ト繋
暗界編
─屋敷内で出没してきた、裏切り者の存在。〈暗黒〉で起きる、怪異の損壊の姿。どちらかが、どちらかに作用しているわけではないものの、双方を繋ぐようにある魔石は、確かに影響を及ぼしあっていた。
本部での情報収集に努めるとして、屋敷長が直々に本部に向かって一夜が明けた屋敷では、統率者不在のまま、捜査は続けられることとなっていた。
時は遡って、その前夜。屋敷長が本部に到着すると、本部長はそれを迎え、現状の報告が飛び交う中で手を進め、仕事を順調にこなしていっている。その中でやりとりされた、屋敷長が一教育師から授かっていた言伝は、本部内でも一気に話題に上がり、ホゼの一件に加えて手を回すことが増えたと、じっとしていられない本部員が早々と調べに取り掛かった。
しかし、それは偶然屋敷の書庫にあった書物の中に記述されていた限られた一文で、それに届く手がかりは、日を越しても見つかることはなかった。
屋敷の人間が活発に動き始めるころ。普段であれば、通常通りの講技や座学を講じているところではあるが、現在、基本クラスの簡易講技、応用クラスの簡易座学、といったように、丸一日を充てられることはなくなっていた。実際に、屋敷長が留守の今、不在中のことを任されたガネは、講技どころではない。他のクラスとの合同をとり、屋敷生たちはその力に磨きをかけていた。
その中で、講技に参加しながらも集中できていない屋敷生が一人。睨むような目で周囲を見渡し、聞こえないほどの声で呟く。
─やっぱり、あいつらはいないのか。
こう見ると平常に見える屋敷でも、事実、いるはずの者はここにはいない。つまり、まだ事は治まっていない。いや、治まらせていない。
一人の青年が不敵に笑む。この状況を、素直に喜びとして受け止めていると言わんばかりに。
「まずは……あいつ、だな」
その時、いつかもガネ教育師のクラスを見ていた、この日の合同講技を見ていたラクラス教育師からの招集の声がかかり、大勢の中に、青年は紛れ込む。
......
俺は不安な心理状態のまま、穏慈の背に乗っていた。ラオは、薫の方にいる。話し合った通り、まずは二つの世界の繋を断つことができる状態へと回復させるために、特殊な空間に向かうことになっている。
能力で“空間を断つ”、そうは言えど、何をすれば良いのか不安なところだ。ただ、〈暗黒者-デッド-〉本来の力で斬らなければ危ういもの、ということだけは明確だ。
「ラオ」
「何?」
気持ちを落ち着けようと、ラオに適当な話を振ろうとしたが、その手に握られているものを見ると、その気は一気になくなった。つられて、俺も胸元にかかる自身の武具に手が伸びる。瞬きをしながらも、ラオの手からは目が離れなかった。
「お前、何でもう鋼槍持ってんの?」
表情からは読み取れないが、俺と同様か、俺よりもまだ良いくらいの圧力と戦っていたのか、薫の背に乗りながら、器用に鋼槍を自身の体と薫で挟むように持ち直した。
「何かな、嫌な予感がするんだ。向こうで何か起きようとしてるんじゃないかって。教育師がいるから安心はできるけど、もしまた危ないことが起きるなら、ウィンのことも心配だし……」
一応、ウィンも自然魔を使うことができるから、安心こそしていないが不安でもない。と、いうのは強がりだ。そうとでも思っていないと、俺の精神が崩壊してしまいそうな気がして。どうしても自分に嘘をつきながら、自身を保っている。
『心配するなという方が無理か。私も久々に落ち着かない。おい穏慈』
『我に振るな、ザイヴも参ってきているだろう。あまり触れたくない』
穏慈が優しいのはいつものことだが、今回はそれだけではない気がする。気が立っているというか、恐れているというか。しかし、穏慈が何を、恐れているというのだろうか。
分からない。分からない。ワカラナイ。そんなこと、考えられない。
(共鳴……)
「しないと、いけないんだ……」
あまりはっきり言わないように、小さく呟く。心で思うだけでは、思い込めない。何かしていないと、不安に押しつぶされてしまいそうで。それを、穏慈はしっかり聞いていた。もちろん、穏慈の背にいるのだから、穏慈には聞こえても当然ではあるのだが、俺の言葉にはそれに力を添えるような言葉が返って来た。
『ザイヴ、大丈夫だ。我らが支えてやれる。少しくらい、息抜き程度の会話でもしろ』
初めは俺もそのつもりだった。ラオの様子を見て、気圧されて不安に巻かれてしまったけれど、それでは俺たちの役割は務まらない。
「ねえ、ラオ」
だから俺は、向かう道中でいろいろ話をしようと、重い口を開き、少しずつ元の調子を取り戻していこうと、努力することにした。
......
屋敷では講技が終了したようで、ざわざわと屋敷生が歩き回る声も聞こえてくる。
働き詰めのオミには休息も兼ねて食事を勧め、ソムと自室でアーバンアングランドの件、真迷いの件、それ以外にも今、僕たちが今状況下において、関係のある事柄をまとめようと奮闘した。
名の挙がった教育師たちの話は、特に怪しい点もなく情報を聞き出す程度に留まったが、書き出すことで、少しだけ明確になったことがある。
─ヴィルスの『真迷い』と〈暗黒〉の存在は、関わりがある。
真迷いとして利用されたヴィルスが、〈暗黒〉に行くことができた。というこの事実は、仮にでも〈暗黒者-デッド-〉に関わる者であっただろう、ということが想定される。向こうは、怪異しか存在できないのだから。その特類としてのそれは、つまりそういうことになる。
そして、今回の騒動の発端になっている者。背丈や特徴から、容疑の中に挙がった教育師に聞いた話から、ジェック君は外しても良さそうだということも、結論として出た。ジェック君の友人との行動範囲や、ひたむきな剣術への姿勢、何より、ホゼとの関わりが全くないというところから、そう至った。
そこまで纏まったところで、僕たちも食事をとるために食堂に向かった。そこには、ちょうど食事を始めたばかりと思えるオミが座っていた。僕の勧めを受けた後も、しばらく調べを進めていたのだろう。
「オミ、進捗は?」
「……限界だな。あるだけのことは調べた。もう出てこないだろう。今あるだけのもので整理するしかない。ただ、真迷いはこの世のみで成立するものでもないようだ。それに、世の果てに関してはあれ以上の記述はない」
この数日間でよく調べを進めてくれたものだと、申し訳なさそうにするオミに感心する。十分な働きだ。もう書庫での調べは不必要だとだけ伝えると、やはり疲労はたまっていたようで肩の荷を下ろすように大きなため息を吐いた。
「すみません、ずっと頼りきりで」
「後で手合わせでもする? 体鈍ってるんじゃない? ていうか手合わせしてほしい。私もう動きたくて仕方がないの」
それには僕も同感だ。本来の職務を他人に任せて、表を動き回る暗躍者を見つけるために動いているのだから、やるせない。
それを晴らすためには、ちょうど良いところだ。
「私は構わないが……いいのか? 加減しなくても」
「ソムに加減はいりません。加減してたら焼かれ、凍り、電気が通るかもしれませんよ」
「……なるべく相手にしたくないな」
「手合わせに自然魔使わないから! 竹剣使うもん!」
適当に食事を済ませ、講技の済んだ広間で、三人。それぞれが相手を決め、短い時間で、三人で同時に竹剣を持ち、鈍った足、手の感覚を確実に戻した。
そうして、この日も眠った二人が戻ってくることはなく、夜を迎え、合同講技をしてくれたラクラスに礼を言いに行ってから、僕は自室で体を休めた。
翌、本部─
屋敷長を交えた情報共有を進める中、ある程度仕事を消化した俺は、やっと屋敷に向かう余裕ができていた。それに、屋敷長が今本部に泊まってまでいるということは、実質のトップは屋敷には不在、ということになる。その状況が続くことはあまりよくない。
屋敷長が出向いてきて、こうまでして行動に移しているということは、俺がこのまま屋敷に出向いた方が賢明であるかもしれないと考え、屋敷長に確認を取ってから、本部員に長期で本部を離れることを伝えた。
その申請書への記述も速やかに済ませ、片付いた仕事の管理と、彼らのいる屋敷とは別の屋敷の長への連絡事項などの伝達を頼み、俺は足早に本部を後にした。
三日で戻ることは無理だと思っていたが、現に今そのタイミングで戻ろうとしている。
期待に応える力量は持っているようだ。と、こんな時に自画自賛をしてみる。
▽ ▲ ▽ ▲
時は恒の二時。本部を出てからそれなりに時間は経ち、屋敷が視界に映ったことで、急ぐ足が緩さを取り戻す。息を整えながら、俺は屋敷の玄関口を通った。
中に入り、管理の者とのやり取りを済ませ、まずはガネを探すために歩き回る。屋敷長から伝言で聞いたこと。
─いつか、アーバンアングランドは闇となるかもしれない。
そんな情報を鵜呑みにするわけではないが、調べてみないことには始まらない。現在、本部員も調べを進めている最中だ。とにかく、状況を知るためにも、彼らと合流することが先決だ。
「ゲラン、二人の様子はどうです?」
調査が一段落し、ザイ君とラオ君が〈暗黒〉に行ってから、すでに一日は経ち、思っていたよりも時間がかかっている。
何が起きているのか、ということに関しては心配、というよりもある種の興味が出た。こちらの時間に対する、〈暗黒〉の時間の経ち方は、純粋に気になるものだ。
「見た通りでしかねえな。そういえば、屋敷長が不在らしいじゃねーの。大丈夫なのかよ」
「そのうち戻って来るでしょうし、僕がいるので大丈夫です」
「てめーの自信もすげーよな……」
目の前にはいくつもの難題がある。まず、僕とソムとで導き出したことをゲランにも伝える。その結果にゲランも納得しながらも、ヴィルスと〈暗黒〉の接点に頭を悩ませていた。
「……ヴィルスのことを知らねーわけじゃねーんだよ。でも、俺じゃあ接点がなさすぎんだよな……どうしようもねえ」
「やっぱりゲランは役に立ちませ……っ痛った!! 踵落としをした足はそれですか! 落とします!」
「るせえな!! 年上に対してもっと敬いねーのかよ!!」
「やってるやってる」
「あ゛ぁ!?」
たった数日聞いていなかった声だが、もはや懐かしさすら感じるその声の主は、医療室の扉を開けてそこに立っていた。途中で出くわしたというソムも、その隣にいる。屋敷長に預けた伝言も耳に入ったようで、僕とゲランの元に近寄り、流れる汗を拭って話を進めた。
「早速だがヴィルスの件だ。結局真迷いみたいだからな。あいつ、まだうろうろしてるかもしれ」
「恐怖体験は別の機会にお願いします」
「……まあ、伝言のことについては、本部でも調査が進んでいる。限界はあるがな」
「ザイヴ君とラオガ君に、かかってることかも知れないもんね」
その二人は、と尋ねられ、〈暗黒〉だと告げると後回しだと言われた。二人は、やはり起きる気配を見せない。
本題だ、とルノが改めてヴィルスの件に関して口を開いた。
そして、僕たちとは明らかに違う視点が一つ。ルノは、ヴィルスを知っている。僕たちの知らない部分を補うことができるため、助かった。
ただ、意見的にはルノも変わらず、強いて言えば、〈暗黒〉という裏の存在が、『真迷い』の成立に影響している、というものが、僕たちには新たな情報だった。
これをもとに考えると、ヴィルスはやはり〈暗黒〉の関係者だった可能性が高まる。殺された際に、自分が偽りの存在であった場合に生ずる現象『真迷い』。もしかして、世が闇へと向かう、というのは、この真迷いの現象が導くと言っても過言ではないのかもしれない。
生を纏わぬ者が、裏の世界を介してこちらに戻ってきている、と。
「まあ、話を聞いている様子を見ると……分からないわけではなさそうだな?」
「はい。というより、ほとんど同意見です。それに、彼が……繋ぎ止めている者であるのなら……命を落としたことも、計画の一つという線も」
有り得ない話ではない。そう考えると、今回ホゼがこうして、公に追われる立場になっただけであって、事の発端自体は、このヴィルスだったのではないだろうかと、僕の中に少しだけ芽が生えた。
「その件に関してはそのくらいだ。それよりも、気を付けろ。まだ影があるんだろう?」
「うん、ちょっと怖いよね。ねえルノ、また本部に戻るの?」
「しばらくはいるさ。ここは少々不安でな」
他愛もない話をしたいのは山々だが、仕方がない。今の屋敷の動きは、ルノが離れる前とほとんど変わっていないことを伝えた。
「そうか……。今は裏切り者の動きが見られない分、警戒点が分散してぐらつくか……。どうあれ、ホゼは厄介な立場であることに変わりはない。その裏切り者が動けば、屋敷の誰かが標的になることも事実だ。加え、今ザイヴ君とラオガ君は無防備すぎる。ゲランがいるとはいえ、安全ではないからな。一つ、策を用意しよう」
ゲランも、いつかの傷が順調に癒えているのだろうか。僕たちの話を黙って聞いているゲランに目を向けるが、「何だ」と嫌な笑い方をしながら見返してきた。途端面倒になった僕は、目を逸らした。
彼は自分の弱点に関して表に出さない。僕の知ったことではないが、心配くらいはしている。
ザイ君とラオ君も、いつ戻ってくるのか見当もつかない。悩むよりも、行動できることを行う方がいい。
「分かりました、その策聞かせてください」