第百十話 黒ノ覚悟ト時ト結
〈暗黒〉の異変。それは、怪異の姿がぱたりと見られなくなったこと。それは、魔石が向こうで砕かれてからのことだ。何故姿を見ることが無くなってしまったのか、その原因は定かではない。
しかし、難しいことを考えるよりも、適当に探し回ってみた方が案外見つかるのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、私は飛び回る。唯一、吟だけは居場所がつかめていることもあるが、最近は多くの苦労を掛けてしまっている。今回くらい、その力を借りずに何とかできれば良いと、吟の身を案じて、私が自ら動いていた。
そうしてしばらくすると、嗅ぎ覚えのある臭いが付近から発していることに気付き、その臭いを辿って迫る。同時に、何か焦げたような、鼻を突く臭いも漂ってくる。何事かと少しばかり急げば、幸いにも怪異を見つけることができた。
『顔擬に秀蛾! 無事か!』
正直なところ、本当に見つかるとは思っていなかった怪異─その二体が一緒にいるところを捉えて安堵する。しかし、それも束の間。普段は宙に浮く秀蛾が顔擬の上で伏せている。また、苦しそうに助けを求めてきた。
『これ、なあに……なぁに、どうなってる……?』
『ガァ』
よくよく見ると、顔擬の体の下半分が、靄のようになっていて、それはほとんど消えかかっている様子だった。秀蛾に至っても、片目が焼け爛れたようになっている。嫌な臭いはそのせいかと納得する一方で、このような事態は、とても目を疑う光景だった。
『これは……』
『ひい……しんじゃう? うごけない……』
この様子からするに、他の怪異もこうなっているのではないだろうかと、最悪の展開が過る。〈暗黒〉に棲む怪異の消滅。いや、消滅どころではない、絶滅にも、なりかねない。
今回は頼らない。そう思っていたのだが、やはりこういう時こそ、守り神の存在は大きい。
『……待っていろ、吟を呼ぼう。まだ保つだろう』
怪異にこんな異状が出るのは初めてだ。やはり外界からの何かの影響としか考えられない。その検討は、すでについている。
〈暗黒〉に来た俺たちは、その状態に驚いた。俺たちでも分かる異様な気配と、以前にも増して淀んだ空気の重さは、俺たちの心をかき乱すには十分だった。
「気持ち悪い……」
今までも、〈暗黒〉で何かと問題が起きたことはあったものの、俺たちがここまで圧されそうな状態にあるということは、本当に危機的状況だろう。穏慈が言うには、薫はこちら側で色々探っているということで、俺たちもそれに合流することになった。
穏慈の助けを受けて薫を見付けたとき、吟をはじめ、顔擬と秀蛾もいたが、状況を見る限り、吟が二体を介抱しているようだった。訳を聞くと、二体の胴体が何割か崩れていて、動けなくなっているという。確かに話の通り、体の一部が無くなっているにも等しい姿になっていた。
薫が慌てて吟をここに呼んだというが、その吟にもどうすることもできないまま、進行を食い止めようと、励んでいるようだ。
『……コノママデハ、怪異ガ、消エル……』
この場所が、崩壊しかけている。しかし、吟にも明確な原因が分からないのであれば、俺にだって分かるわけがない。
「……やっぱり、青精珀のせい? あれが欠けたから、両側に作用して、世を崩しかねない状態になっているのか?」
『つまり魔石の影響で、二世界の繋がりが危ぶまれていると言いたいのか? いやしかし、魔石は正常に働いているのではないのか?』
『コチラデ、ミル限リハ……ソウダ。ダガ……ソノ影響ニ関ワラズ、繋ギノ必要ガ、ナクナッテキテイル』
それは、俺が穏慈と初めて会った頃に聞いた。二世界を繋ぐ、通常見えることのない繋を保つものを、いつか俺たち〈暗黒者-デッド-〉が正しく断ち、双方の行き来を不可能にしなければならないということ。一方の世界が、それぞれの世界にとって、不必要にならなければならないという、そのこと。
『しかし、いくらなんでも今は危険だろう。こんな、怪異が弱っている中、そんなことはさせられん』
『それに、断つには本来の力で行うからこそできるものだ。主らにとっては、それが一番負担だろう。あの魔石のせいで起きているなら、策はあるはずだ』
穏慈は、俺たちのことを最優先に考えて、今すべきことをまとめてくれている。ただ、吟の言う通りならば、俺たちに残された時間は、きっと少なくなっている。覚悟を、決めなければならない時が、迫っているのかもしれない。
『……早急ニ、カカラナケレバ……私モ危ウイ……ソシテ、闇晴ノ神石……アレハ、崩レルト厄介……ダ。ソレダケハ、ナントシテモ……探シテクレ。ソノ在処スラ、今ハ……定メラレヌ……』
「まずはそれを探し出す必要がありそうだね。それだけでも吟がやりやすくなるだろうから」
「でも探すって……吟に見つけられないのにどうやって? ラオ、良い案出して」
「ザイも頑張って考えてよ」
吟は、〈暗黒〉では守り神。しかし、やはり限界がある。このところ、無理に頼み事をしていたこともあり、その疲労も間違いなくあるだろう。それに、この本体も秀蛾たちのようになってしまう可能性もある。
そんな中、切り出したのは穏慈だった。
『……こいつらは共鳴できたな。それを利用できないか? 魔石は〈暗黒者-デッド-〉を受け入れる。共鳴を通して、探すことはできないだろうか』
『ナルホド……価値ハ、アリソウダ……。ナラバ、穏慈、薫。繋ギハ触レズトモ良イ……安定サセルタメニ、空間ヲ……断ッテクレ』
「空間を? それ、どういうこと? 繋とは関係ないの?」
『繋を断てる状態に向かわせるために、空間を安定させる。そういうことだ。今は繋を断つ時ではない。安心しろ』
それを聞くだけで、安心はできる。俺やラオの手に二つの世界の存続がかかっているのだから。今、俺にはそれを全うできるほどの力は、ないだろう。例えラオと共鳴して断つことになったとしても。それは、迫って来ていることはともかく、まだもう少し先であると、ありがたい。
しかし、この状況を作った発端ともいえるホゼは、分かっていたのだろうか。いずれにしても、ホゼが魔石を欠いたことによるものであることは否定できない。
「……考えるより、まず行動ってね。ザイ、とりあえず現状をどうにかしよう。ここが壊れたら元も子もないよ」
「そうだね。行こう」
......
あれから一夜が過ぎたものの、一日の長さに疲れを取り切れず、怠い体を無理やり引き摺るように書庫に向かった。
途中、ゲランを訪ねると、ベッドに横になるザイ君とラオ君の姿があり、事の状態の報告を受けた。ひとまず、兄弟喧嘩は落ち着いたようで何よりだ。しかし、〈暗黒〉の方での問題の対応に行っているという。
そういうことならば仕方がない。〈暗黒〉から戻って来た時に、彼らには伝えて警戒を促しておかなければ。
書庫にいるオミは、相変わらず本を探っていた。前に目についたという本は、やはりないのだろう。ひっきりなしに動きながら、新しい情報を探すべく、多くの本を手に取っていた。
「……はあ。なかなかに骨が折れるな」
「そうですね」
僕が書庫に来ていることに気付いていなかったのか、呟いたオミの一言に返すと、肩が跳ね、驚愕した顔で僕を見た。それほど集中していたということだが、なるほど、ここまで気を取られると、殴られてもおかしくはなかっただろう。
「びっくりしました?」
「侮れないな……お前じゃなかったら、私はまた倒れていたかもしれない」
「僕で良かったですね。それよりオミ、あの文面、どう思いましたか」
オミも見つけていたという、アーバンアングランドの行く末についての文面。あれは、さすがに僕も動揺した。まさか、自分のいる世界が闇に落ちるかもしれないなんて、目にするとは思わなかった。
「……どう思うも何も、結局は少年たちの存在自体が鍵、そういうことだろう。まあ、驚かなかったかと聞かれれば、もちろん驚いたと答えるぞ」
「まぁ本当のところはどうであれ、これがホゼを動かしたという可能性もあるかもしれませんね。〈暗黒〉のことを知っていたのであれば、このことも知っていてもおかしくはありません」
「そうだな……私もあいつに関して考えれば、思い当たる節はある。何年か前のことだがな。この世界のことをやたら気にし、調べ回っている時期があった。その時は私も何も疑問を抱かなかったが、お前の言う可能性を考えれば、あの行動にも納得ができる」
半ば強引な結び付けかもしれないが、そう纏めると一つに繋がる気がする。そうだとすれば、初めこそ〈暗黒者-デッド-〉を狙ったものの、途中で用済みだと切り捨てたことにも理解はできる。あの二人がいなければそもそも世界が保たない、それは恐らく変わらない事実だ。
ただ、世界をどうするつもりで行動に移しているのかという点に関しては、まだ情報が足りない。もう少し、多方面で集めなければならないものが多いようだ。
そうして、二人で話をしながら考え込んでいると、書庫の扉が重く開いた。
「……ゼス君、立ち入り禁止と言ったはずですが」
そこに現れたのは、ゼス=ミュシー。全面的に出入り禁止にしたはずの書庫に屋敷生がやって来たことに、僕が何とも思わないわけがない。しかし、彼は悪びれる様子もなく、堂々と入って来た。
「勉強できねーッスよ。それくらい許せ」
生意気な口を利くものだと思いながら、僕の言葉を聞こうとする様子がないため、もしかしたら何か別の話を引き出せるかもしれないと、前日の話を広げることにした。
「最近は講技どころではないでしょう。ところで、何か興味があることでも? 何を調べているんですか?」
「……別に、オレはオレなりに知りたいことがあるってだけだ」
そう濁して、そそくさと帰ろうとする。現状でこのような輩を警戒しないでいる方が無理な話だ。
僕の勘というものや、裏切り者への見方などは、こういう場面では結構当たるものだが、慎重になりすぎているのか、決定打を見つけるまでは三人共を泳がせるほかない。
「まぁいいでしょう。一つ、君は容疑を掛けられていることを、もう少し自覚して行動を自粛した方がいいですよ」
「……一応覚えときまーす」
扉が閉まる音が耳に届く。屋敷生の情報を洗うためにも、昨日ほとんど聞き込みをしなかった教育師を呼んで、話を聞かなければならないと、ゼス君を追うような形で書庫を出ようとした。オミには引き続き、調査を進めてもらうことに。
「……私は苦ではないが……何しに来たんだ」
「分かりません。でもはっきり言って、僕の中で彼は黒に近いです」
「そうか。……いやそうじゃない。お前が何をしに来たんだ」
僕もオミに協力しようと来たわけだが、あの屋敷生のお陰で自分の仕事を思い出した。任せきりなことを軽く謝罪し、オミを残して、場を離れた。
─裏切りと、真実と、その行動。すべてが一つに繋がりかけた時。彼らはまた、一つの災厄に誘われる。灰の師は、それを止めるべく、奔走を始める。
心傷編 了