第十話 黒ノ壊師ノ招待
「穏慈!!」
『我を甘く見てもらっては困る。どうということはない』
緊迫が場を包む中、何事もなかったように自然に姿を現し、心配損ではある。しかし、平然と言っているその肩から流れ出ているものがあることを、俺は見逃さなかった。それは、見たことのない真っ黒な血だった。
「そうか。貴様は反射神経能力が高いというわけだ」
そして、僅かな時間差で姿が見えたホゼも。目の上を切っているが、穏慈同様に何ともないと言わんばかりの仁王立ちだ。その双方の様子から、戦闘としてのレベルがかなり高いことは、誰に言われるまでもない。
「穏慈、は……?」
「あれ、まだ聞いてないんですか? 怪異は皆、個々に一つ高い能力を持っているらしいですよ」
吟と接触したという時に、俺が今もっている以上の情報を聞き出しているようだ。この時点でどう交渉したのか、それなりに気になるところではある。
「……凄い気になってるって顔してますけど、話ばかりしてられませんよ」
顔に出ていたことを的確に察しているところ、ガネさんは人をよく見ているのだろう。その本人の意識が俺から逸れたことで、俺も穏慈の方に目を向ける。二人の殴り合い、蹴り合いは、依然激しさを増している。
「ザイ、体平気?」
「僕たちも戦いましょう」
「うん」
ラオの手には、今の間で持ってきたであろう実物の剣が握られていた。ガネさんは、既に腰に携えてある剣の柄に手を添えていた。
打ち付けた体の痛みに耐え、深い呼吸で気持ちを整える。そして、俺にできることを探すため、ホゼの動きを読むことに集中していると、あの不気味な顔がこちらを見た。そのあまりにも冷たい視線に集中力が削ぎ落とされ、背筋が凍る。
「ホゼ教育師! あんたは何をしようとしてるんだ!」
怯んだ俺を見たラオは、代わりにいつもと違った口調で問いかけた。不気味な笑みを浮かべたままのホゼには、何も響いていない様が見て取れる。
「私の勝手だろう。この行動に理由がいるか?」
「そんな壊すには打ってつけなんて言っておいて、そこに理由がないわけがないでしょう。屋敷生に手を出した以上は、覚悟してくださいよ」
「全く……五月蝿い奴ら……っ!」
『お前……!』
俺も俺で、鎌が意図的に誰かに持って行かれていることくらいは頭に入っているわけで、万が一にと丸腰ではない。言葉の攻防をしている間に接近を試み、腰に隠し持っていた短剣は今、ホゼの首元にある。
「驚いた。お前がそこまでできるとは」
「知ってること、さっさと吐いたら良いんじゃないの」
短剣を突きつけたまま、俺は絶対に友人には向けない目でホゼを睨んだ。しかし、相手は何枚も上手の教育師だ。ものともせずに逆に俺を睨み付けてくるホゼに、手元が緩みそうになるのを必死で耐えていた。俺が師に敵わないことは分かっているが、こう差が出ると自分に自信をもてなくなってくる。
そして俺が聞きたくないことを、平気で言ったのだ。
「……鎌が欲しいというのなら、ためらわず人を殺すことだ。例えば……そこの友人とかな!」
「な……っ」
『貴様……っ!』
不意の動きに反応できず、俺の持つ短剣は一瞬でホゼの手に渡り、形勢逆転した。目の前で動いているはずのそれについていけなかったがために、横の壁に押し付けられたかと思えば、右肩にそれが深々と刺された。その間は、体感で寸秒足らずだ。
「あ゛ぐっ!!」
「ザイ!!」
「待ってくださいラオ君、耳を貸してください」
銀に輝く刃が、俺の体でほぼ見えなくなっている。言葉に表せないほど強烈な痛みが、全身を襲っていた。穏慈がすぐに動き出したのを確認すると、筋肉に深く刺さった短剣を抜いてホゼから距離を作っていた。
肩の流血を手で必死に押さえ、壁を頼りに床に座り込む。苦しい。込み上げてくる緊張感が気持ち悪い。
「ぐぅ……っ」
「さあどうするザイヴ。待ってやってるんだぞ……?」
こいつは本当に、俺が教えを受けていた教育師なのだろうか。信じられない。こんな顔もこんな行動も、身近な人だからこそ考えたくはない。
『……我を甘く見過ぎたな、人間』
穏慈の持つ妖気が溢れ、その本性が現れる。大きな体は、それまで余裕を見せていたホゼを圧倒した。
「何だと……!」
「穏、慈ぃ……っ」
『ガアアアアアアアッ!!!!』
俺の声は聞こえていない様だった。大きく叫び、目にも止まらぬ速さでホゼの腕に噛みつく。そして、引きちぎった。
引きちぎられた腕は、重力のままにぼとりと床に落ち、辺りは真っ赤に染まった。
その視界に、新たに一直線に風を切るものが映った。
「ぐ……!?」
右胸に重く刺さった剣。それは、ラオが持っていたそれだった。飛んできた方向を見ると、穏慈の体を死角にするように立つラオがいた。
その上半身への反動で、ホゼの足はぐらぐらと不安定になった。
─「あなたの遠距離型を活かしましょう」、そう耳打ちを受けた俺は、遠方より狙いを定めて、的中させた。
「ごふっ……っ!」
口からは、相応に大量の血が流れ出る。息は荒々しく、無事とは言い難いことを物語るには十分だった。次いで、ガネさんの声が聞こえてきた。
「僕の針術の効果くらい、あなたは知っているでしょう!」
「この……!」
ガネさんが追い打ちをかけるように、手に持つ多数の鋭い針をホゼ目がけて投げ飛ばした。
ホゼはそれを必死に避けようとするも、防ぎきれなかった針が体のあらゆる所に刺さっていく。同時に、焼けるような音を立て、衣服や皮膚が小範囲に溶けていった。見るからに分かる、毒だ。
「ぐっ……、ガネぇえ!」
そこに穏慈がトドメを刺すかのような牙を、落ちた腕とは反対の肩に食い込ませている。俺の周りで、明らかな“殺し合い”というものが、展開されている。どうにかこの場を収めたいが、怪我で満足に動けない俺ができることは、限られている。
「くそ……っ!」
「もういいだろ……! これ以上、やる意味ねえよ!」
「ザイ喋るな!」
俺は、出血に構わずにホゼを睨みつけた。必死で言を発する俺に駆け寄ってきたラオは、流れるように着ているジャケットを脱ぎ、俺の止血のために肩に巻いた。
『グルルル……!』
「次はただですまんぞ……!」
一言だけ言い捨てると、ホゼは去るためか黒靄を放つ。滅多と使わないため見慣れないものの、爆発の時に見たものはこれだったようだ。
「待ちなさい!」
ガネさんの制止の声には応じることなく、黒靄とともに消えていった。その場には、ホゼが残した血痕と、腕が残っていた。
人の姿に戻った穏慈は、本性を剥き出しにしたことと、怪我をした俺のことをかなり気にしていた。
『つい取り乱した。すまん、ザイヴ。痛むだろ』
「……別に、普通じゃねーの。痛むよそりゃあ」
あの後、ホゼの自室を調べに行き、地下倉庫に繋がる場所が部屋の横にあることを突き止めた俺たちは、ある程度の確証もあってそこに向かっていた。血塗れの場所のことも含め、すぐに事態は屋敷内に広がるだろうが、今は鎌を優先した。
「ここから降りれば、ホゼの倉庫のようです。行きましょう」
そのノブを回して押すと、重量感のある音と、古く軋むような鈍い音が耳についた。絶妙な暗さで倉庫の中を見回している中で、ラオは堂々と目の前にある大きな鎌を見つけた。
『確かにこれが探していた鎌だ。こんなところにあったのか』
近づくと、その大きさは圧巻そのものだった。大きさだけではない、その存在感というものが、何とも言えない。
鎌を手にすると、どういうわけか鎌はポケットにすら入る程度のサイズになり、手のひらに乗っていた。
『これで契約も成立だな』
「良かった。でも凄いハラハラしたよ? ザイはそんな怪我するし」
「うん。ごめん」
「怪我こそ酷いですけど、とりあえずは安心して休養してください。彼の処遇については、僕から報告を上げておきます」
鎌を探すだけで、かなりの時間を費やしてしまった。一つの大きな仕事を終えた達成感で倉庫を後にした時には、既にあの血に塗れた場所は、教育師や屋敷生たちが集っていた。
「……さて、この状況ですし、僕は仕事に戻ります。またその内に」
「はい……」
ホゼ=ジート。思った以上に勝手な男で、それが俺たちを掻き回した。それに、対峙したときのホゼは、こうなることは前から分かっていたようにも思える。
─そして、意味深くありそうな言葉も、そこには残されていたのだ。
用件も済み、地下倉庫を出るために階段を上がって行くザイ君とラオ君の背を見ていた時。
『ガネ。これを見ろ』
「え? ……これは?」
名を呼ぶ怪異と顔を合わせると、彼があるものを示した。指を追うと、先程まで鎌が置いてあったすぐ近くに、それは残されていた。
─ワタシヲオッテコイ。オモシロイモノヲミセテヤロウ。
......
「……乗ってみても、悪くないかも知れませんね」
報告も兼ね屋敷長室に向かいながら、僕は一人思っていた。