第百七話 黒ノ結ブ世ノ印ノ血
─灰色の教育師が鋭いことは、この男もよく知っていた。剣の腕も立ち、彼らに力を貸している厄介な相手の一人。きっと、疑いと言いながらもある程度の確信をもってあの人数を集め、情報を聞き出そうとしたに違いない。侮れない相手が詮索をしてきているため、気の抜きどころがない状態だ。
足は止まらずに、自らの部屋に向かう。その部屋には、オミという教育師を殴ってまで手にいれたものが置いてあった。それが見つかると、さすがに言い逃れはできない。早いうちに処分するか、隠しておくか、手を打つ必要のある代物だ。
(ま、何とかなるだろ……)
男はなお、行動をやめるつもりはない。
△ ▼ △ ▼
「……ゲラン、以降どうなってる?」
裏切りの疑いがある者を絞り、ガネが対応している中、オミが書物の片付けと調査を落ち着かせ、医療室に戻ってきた。少し疲れているような目になっているのが気になるが、見たところ倒れはしないだろう。
「ガネが追い詰めているところだ。そのうち戻ってくると思うぜ。お前の方はどうなんだ?」
「ああ……それが、嫌な文面を見てしまったんだ」
「はあ? 何だそれ」
話をしたいのは山々ではあるが、二人しかいない場で話しても仕方がないと、オミは口を割ろうとはしなかった。とはいっても、ガネが話をしているなら、特定も早いだろう。戻って来るのを待つことにした、その時だ。
「あー……イライラします……」
「……静かに入ってくんな。びびっただろーが」
ガネが、言葉に出した通りの面持ちで医療室に入って来た。それはそれは機嫌が悪く、そこらの屋敷生であれば話しかけることも遠慮するだろう顔だった。
「あの屋敷生……はっきりしないことばかりでほんと埒が明かない。簡単に報告します……」
そう言って、話した内容をまとめてくれた。それは、全員「知らない」「分からない」と答えるばかりで話は進まなかった、というもの。しかし、書庫の利用頻度や目的については聞き出し、ホゼに関わりそうな問いも投げたが、それに対する一人の男の言い方、態度が気に食わなかったらしい。特定まではしなかったようだが、ガネ個人としては、恐らくその男のことが嫌で仕方がないだろう。
「全面的に、書庫は使用禁止にしました。屋敷長には報告済みです。オミが調べるから、という名目にしたので、どうぞ自由に使ってください」
「見張りは立てなくていいのか?」
「見張りなら、ガネが立っとけよ」
「嫌ですよ。僕がこの輪から抜けたら、戦力が薄れます。それに、こういう状況にしてまでホゼに協力するほどの者がいるということが気になって、アーバンアングランドについて少し調べてみたんですが……」
「あ? 何だ」
すると、ガネは顔を顰めながら、俺が座っている机に一冊の本のあるページを開いて置いた。その一か所、ガネが指をさす部分には、わざわざ太字になっている文字があり、俺に読めと言っている文はすぐに分かった。
そのページ、文に、目を通す。そこに書かれていたことはというと。
《世が果てを迎える時、世は暗黒になり。世に定められし末路に終止は無し。されど常無の救いに現れし光あり。是、失うべからず》
そのような内容だった。これを見た時、オミも先程濁したことはこれだ、と言う。偶然にしても、二人が同じものを見たということは、恐らく二人が同じことを考えて調べたはずだ。いやしかし、この文面は、この世の終焉を語っているというのか。
「僕が調べた限り、このアーバンアングランドの終わりには闇が待っています。でも、救いようがなくても、無にしない手がある。これは恐らく、〈暗黒者-デッド-〉を表していると思います」
「お前もそう考えたか。私も偶然同じ物を見て、同じ考えに至っていたんだが……もう少し詳しく分かった方が良さそうだな」
ホゼは、これを知っていたのだろうか。もし知っていたとしたら、これを止めようとした可能性も否めないだろうが、人を無惨に殺した男だ。そんな可愛い考えは、持っていないだろう。
「そうですね。僕も僕でもう少し調べますが、オミの方が得意分野だと思うので、お願いします。僕は屋敷内のことを中心に目を向けるので」
「あぁ。そういうことならそっちは任せよう」
オミは再び書庫へ。ガネは、おそらく容疑のある者についての情報収集へと向かい、俺は医療室に残された。ラオガとザイヴは、来訪者としてうろついている男を追い出そうと尽力していることだろう。聞いたところ、ラオガの血縁ということで、俺がわざわざ出向く必要もない。本人たちで、どうにかしてもらうしかなく、俺は自分ができることを適当に考え始めた。
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本部での職に取り掛かった俺は、すでに山積みの仕事の量に目を疑っていた。少し空けただけで、ここまで溜まってしまうものなのかと、本部長の立場を改めて大きく感じていた。
加えて、他の屋敷からホゼの件について詳しく知りたいという要請もあるらしく、騒ぎは大きくなっているらしい。
確かにホゼのような裏切りが報告されれば、他所でも気にはなるものか。調査や警備を強化しても良いだろうとだけ助言を返しておくよう指示を出し、目の前の書類に再度目を向ける。俺も、用を手早く終わらせなければ。正直、五日以上離れるのは避けたい。
また、一人の本部員が紐で纏められた書類を持ってきた。それは、他の屋敷に関する教育師の調査報告書だった。
「……どこの屋敷にも、今のところ問題なし、か。となれば、やっぱりあの屋敷だけに特定されていることになるな……」
あの少年たちが関係しているとしたら、必然的にそうなるものだが。
しかし、世界というのは面倒なものだ。表と裏。表裏一体の鏡。それでも、同じ世界が二つというわけではなく、全く反対の空間。そして、それを繋ぐ存在。この世界そのものが、今回の事件の元となってしまったのかもしれない。
「これ、片付けた書類だ。あと頼む」
「了解です」
残る仕事はまだまだ山積みだ。
△ ▼ △ ▼
俺たちの身すらも包囲するほどに広がる、ウィンの胸元で輝く色は、淡く美しく、俺たちに清い温もりを加えるように放たれていた。ゆらりと広がっていく、自然の力。俺たちの力を支えていると言っても過言ではないほど、鎌に力が溢れる感覚を、俺は感じ取っていた。
その色が引いていき、ウィンの手の中に収まるのを見届けると、ガントは突然笑い始めた。
「っくく、はははははは!!! おもしれえ!」
ガントはまずウィンを狙ったようで、腕はその方向に伸びていた。それを、ラオが自らの鋼槍で止める。それは一瞬とも言える動きで、大きく鋼槍を振ったラオは、そのままガントの喉元に刃先をおいた。
「こいつらを傷つけたら、俺がてめぇに倍以上で返してやる、死にたくねぇなら手出すな!」
「待って! 私の力が使える。この場を、“正せる”!」
その時だった。ウィンを纏う気配が一変して、鎌と鋼槍にそれぞれある気を預け始めた。それはおそらく、ウィンの操る自然魔。循環はそのものの流れ、つまり正しく機能してこそ循環が成り立つというものだ。この場でいえば、漂う複数の殺気を、正常に戻そうとする働きが起きているのだろう。
「え……っ」
ウィンは、同じ自然魔士のノームさんの指導を受けている。その成果だろうか、ウィン自身の力として、確実に発揮されていた。ウィンが言うには、その自然魔を纏うことで能力も上がるらしい。つまり、ルノさんが作ったというあの粉末状の豊刈と似たような性質をもっている、ということだ。
「うるせぇよてめーら。……殺さねーなんて甘いこと考えんなよ? 殺し合いなんだぜ?」
ガントの容赦ない圧力は、ラオを圧倒し、鋼槍を弾いてラオに急接近し、拳を振るった。やはり、ガントはラオを集中的に狙っている。
「ウィン!」
「うん!」
ウィンが玉石を両手で包み込み、その淡い光を周囲に満ちさせた。それに伴って、俺とラオの共鳴が更に上がったらしく、武具のもつ妖気はただならぬものにまでなっていた。それを見たラオは、弾かれた武具を持ち直し、ガントを強く弾き飛ばした。
「……くっ!」
「ウィンはサポートを頼んだ!」
─【鎌裂き】!
俺は躊躇なく、鎌の力を解放していた。それはラオも同じ。全力とまではいかなくても、それなりに本気で討つつもりでかかっていっている。それでもなかなかガントが引かないのは、俺たちの押しが弱いのか、ガントの諦めが悪いのか。ガントは、自然魔の補助が加わった【鎌裂き】を、受け身を取りながら避けて躱し、体勢を整えて俺たちを見た。
「甘い甘い、簡単にいくと思ったか」
「別に簡単に行くと思ってるなんて、一言も言ってない。……一つだけ答えろよ。今更……何しに来たんだよ」
「さぁ、教えたくねーな」
「だったらさっさと出ていけ!」
突然、その場の状態がひっくり返った。ラオが、思いきりガントの肩を目掛けて鋼槍を振り、見事に貫通したその肩からは、迷いなく赤い液体が飛び散るように出てきたのだ。
「!」
「あっ……!」
一瞬だったもので、逆転した瞬間、俺は動けなかった。それでも、ガントが膝をついた瞬間に、自由に動けないようにと、首を取れる位置に鎌をつけた。ウィンの自然魔のお陰か、鎌自体がリラックスをしているかのように操りやすかった。
「……おいおい、物騒もんだな」
ガントは鎌を弾こうと、思いきり足を蹴り上げる。が、俺は軽くそれを避けると、また大きく振り、彼の真上に刃を向けて、置き直した。自然魔の力かどうかは、この際考える必要はない。俺自身でも、軽い動きだったのが分かった。ラオは俺の動きを見て、動きを止められたガントに接近する。
「ちっ……」
俺の目の前にいる男は、舌打ちをした割に、表情は口から出たそれに全く相応しいとは言えないものだった。
それはもはや、追い詰められているとは思えない。ただ余裕を見せているそれは、俺の背中を強張らせる。俺が感じる場の空気は、殺気と言うには簡潔で、何と表現したら良いのか。とにかく、色があるとすれば真っ黒で、有無を言わさない鋭いその目に、違和感しか覚えなかった。
「な、何だ……?」
「え……!?」
ラオの動きも、一瞬止まった。その次の瞬間だった。ウィンが叫ぶ声が聞こえてきた。俺たちが見えていない“何か”を、ウィンは見たのだろう。それはいわゆる、特殊技というもので、俺はそれにまんまと嵌ってしまっていたらしい。
「ああぁあああぁ!!!!!」
ウィンの危険を示す声は、俺の耳に届くも行動は間に合わず、俺の体は、ズタズタに切り裂かれた。痛みと倦怠感で、息が荒みながら床に膝をつける。ガントは一体何をしたのだろうか。武器など、持っていなかったはずなのに。そう思いながら、彼の顔をもう一度見ようと、痛みを堪えながら顔を上げる。
「ザイ、平気?!」
「俺は、何とか大丈夫……でも、今のは……何」
「ふー、参ったね。思ったより手こずらせ……何だよ、それ」
ラオはもちろんのこと、ウィンも俺の横に寄ってきて、俺の傷を見たその顔がさっと青ざめたことに、気付かないわけがない。痛みに気を取られて、至る所から出てくる血液は視界に入らなかったが、ウィンが言葉を失った理由はただ一つ。
「……!!!」
俺ですら、言葉を失う。目の前のガントも、予想を超える俺の身に起こったそれに、顔を引きつらせていた。それもそのはず。問題は、俺の血液にある。
「変……だよ……? これ……」
「……うっ」
思わず吐き気がした。視界に入るはずの当然の赤は、俺の体には見当たらない。切り刻まれるだけで、血は出なかったのかとも思ったが、確かにどろりとした感覚はある。恐る恐る触れたそれは、確かに鉄分の臭いを発していて、それでも、いつもの色を保たないそれは、俺に現実を突きつけた。
「えっ……! ザイ、これ、血……!?」
俺の血は、赤みをもたない。いや、赤みどころか、何の色ももたない。つい昨晩に刺された肩からは確かに赤い血が出ていたのに、今、無色透明の不気味な液体が、俺の体内から流れ出ていた。それは、確かに斬られたことによる出血に変わりはないのに、この短時間で、その姿は変貌を遂げていた。