第百四話 黒ノ縛ラレシ者ト内ナル息
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「……真迷い……偽物であり本物でもある、か」
真迷いとは、つまりそういうことだと、私は何となく分かり始めていた。少年を連れて崚泉に帰ってきた頃、もっといえばそれよりも少し前に妙だとは思い始めていたが。そんな理由もあって、少年に近付いたのだが。まさか、こんな重大なものに手を出しているとは思わなかった。
(とにかく……ヴィルスの本性が分かればいいんだな)
様々な本を読み漁った。書庫はいくらか広い。どこかにあるかもしれないという心意気で探していたが、なかなか根気のいる調査だった。そう簡単に見つけられるとも思っていなかったが、これだけ長時間探しておいて得たものが、「真でも偽でもある」ということだけなのは、私の心も折れかかる。
今手にしている本を見終わったら休もうと、再度集中して読んでいると、カタンと嫌に耳につくように響く音が聞こえてきた。
一瞬驚きはしたものの、屋敷の者だろうと特に気に止めなかった。しかし、今度は付近から本が乱雑に落ちるようにどさどさっと音が聞こえたため、不審でならなくなった。
(……屋敷の者、だよな?)
それにしては、やけに息を潜めている。探ろうかとも思ったが、もう一度異変があってからでもいいかもしれないと深く考えず、音の通り落ちている本をすぐ近くにあった机の上に積み置いた。集中も切れてしまい、一度その場を離れ休もうとした時、他の本とは装飾の違う、一冊の本を目にした。
(これは……何だ?)
たまたま顔を上げた時に目に入った本棚の、棚から少しはみ出た不格好な書物。
何となく何かあると思い、その書物に手を伸ばしたその瞬間。後ろに気配を感じ、振り返ろうとしたが、その顔を見ることはできなかった。
「ぐっ」
鈍い音と同時に、後ろから衝撃が伝わってきた。打ち所が悪かったらしく、私の意識は遠のいた。しかし、そんな薄れる意識の中でも、ただ一言。
「……目障りに動くな」
聞こえてきたその言葉だけは、はっきりと覚えている。
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「突然のことで途中までしか記憶にないんだが、間違いなく男の声だったな。内部の奴の仕業だろう」
オミの話を聞いていると、彼が見つけた書物が気になり、俺が書庫に行ってみる、と言うと、ガネさんがそれを止めた。
「話からして、すでに誰かの手に渡っていることも考えられますが? それに、裏切り者がいるのなら、張られている可能性もあります。行くなら数人で行きますよ」
確かに、目的がそれであれば、目立つ本なら尚更持って行くだろう。オミを殴った奴が事情を知った上で動いていたら、おかしくはない。
「……そっか。オミ、他の本は?」
「目星はつけてあるぞ」
その相手のことも気になるが、オミが調べることのできたヴィルスの情報は欲しい。それがホゼの動向に関わっていれば、もしかしたら今後に結び付けられるかもしれない。そんな淡い期待で、俺は苦手な本を自ら読んで調べようと、書庫に向かう決意を固めていた。
「じゃあそれだけでも調べようよ。今日はそれで終わらせてさ。その、オミを殴った奴のことはゲランさんに任せて」
「はあ? 何も情報ねーのにどうしろってんだよ」
「あぁ、それが良い。すぐにでも行こう、ラオガも手伝え」
「流すんじゃねーよ!」
何を調べてほしいというわけでもないが、その男のことはひとまずゲランさんに託し、俺とガネさん、ラオは、オミに続いて書庫に向かった。
書庫は、ある程度使われている形跡と思える乱雑さが見られていた。ある一角に、オミが散らばった本を積み上げたままの机があった。その近くにあったという、少し目立った本というのは、やはり、なかった。
「……そうやってオミを傷つけたってことは、ホゼの手の者かもしれないってことだよね?」
新しく入ってきた屋敷生はいないはず。まして、故意に人を狙ってくる者など、これまでなかったことだ。ラオの言う通り、最初からいた誰かが、ホゼに協力していると考えることもできる。
「ラオ君の言う通りだとすれば、屋敷の情報が漏れている可能性だってありますね」
屋敷にいるその人物が、何をしようとしているのか、何を探しているのか、というのも気になるところだ。情報漏洩があれば、俺たちの行動なんかはホゼには筒抜けだということになる。いや、考えてみれば、そういう場面はこれまでもあったような気がしてならない。
「取り敢えず、本を持っていこう」
オミが集めた本を手分けして持ち運ぶ。それは全て、屋敷について書かれていそうなものだった。書庫にこれだけの情報が眠っていたということに驚くしかない。
「オミ、よくこんなに目をつけてたな」
「結構時間があったからな。少年たちが出ている間は、ずっと書庫にいた」
「よくそんな長時間書庫に入り浸れるな……俺なら無理だ」
オミがすでに読んだという数冊の本も持ち帰ることにし、何冊もの重たさを感じながら、医療室に戻った。
医療室にいた面々は、俺たちが持ってきた本の量に驚いた。これだけで、オミの働きぶりは十分評価できる。
場にいたウィンは俺よりも本を読む方ではあるが、さすがに顔を引きつらせていた。
「……ねえ、これ、こんなに……」
「そういう反応になるよね。俺もびっくりしてるよ」
「目を光らせていたからな」
どんなに光らせても、持ってきたすべての本を机上に重ねたら俺では一番上に届かないだろうと思えるほどの数だ。何度も言うが、オミの収集能力は凄い。
「まるで鷹ね。私はもう大丈夫だから、問題の男のことを調べるわ。ソムちゃんとウィンちゃんも連れていくね〜」
「えっ!? ちょっと、私も調べるのに! ノーム!?」
ノームさんはベッドから出ると、有無を言わさずソムさんを引っ張っていた。ウィンのことは優しく連れて行っているあたり、仲が良いからこその扱いの差を感じる。
こんな状況になり、オミやホゼのこともある程度分かっているのであれば、この場にいても何の問題もないのだが、ソムさんが止めるのを全く聞かずに医療室を出ていった。
「まあ、同時進行の方が助かるし、任せるか。で、その本の数々はどう処理していくつもりだ?」
「そうですね。ルノは聞いているだけでもいいかもしれないですよ。オミ、お願いします」
「あぁ」
まずは、オミがすでに見た書物の中から、オミが気になったというページをいくつか開いて見せた。
真迷い、という現象は一般的には知られていないものの、ある程度価値の高い本になるとその記述があり、研究から分かったことなどの掲載もされていた。結果的に、真迷いについて少しだけ明るみになった。
「真迷いの条件を満たした人間が殺されると、高確率で魂が縛られる……か」
「ヴィルス=ザガルと真迷い、なかなか結びつきが濃いようですね。なぜ亡くなったのか……鍵はそこです。自然死ではなく、殺されたのなら……」
ヴィルスは自然に亡くなったものとばかり思っていたが、そうとも限らなくなった。そして、真迷いが成立する際に、どのような死を遂げたのか。これが大きく関わってくるようだ。
読み進める内に分かったのは、“死の真相”と“真迷いの発生”。この二つだった。
「ザイ死ななくて良かったな」
「うん……。なあ、縛られるって、死ねないってこと?」
「うぅん……そこまでは。ただ、確かにヴィルスは殺され、戻って来た真迷いのヴィルスはホゼに操られた、ということになるだろう。〈暗黒〉の鎌をこちらに持ってきた際にそこに行けたのも、一度は人の身を手放して、死んでいるからかもしれないな」
「ここにも書いてあるが、自然死の者の場合は魂のみでも自由に動き回り、己を見つけられると本当の意味で死んでいくらしい。ヴィルスが殺された、というのは間違いないだろう」
頭が混乱してきている。つまり、己を偽り、真の己が分からない状態で殺されてしまった場合、その魂は生ける者の世界に戻ってくることに変わりはない。ただ一点、他者に利用される可能性が高くなる、というわけだ。
そこからどうなるかは分からない。俺が分かったのはそこまでだ。ヤブのことも、恐らくこれを利用したに過ぎないのだろう。
そんな世の理が存在するなど、頭を抱えざるを得ない。
「きっとまだ何かありますが……ザイ君、ラオ君、大丈夫ですか?」
俺の頭がショート寸前なのが分かったのか、ガネさんは一度話を切り上げようと提案してきた。これ以上難しい情報が入ってくると、脳内の整理が追い付かないだろう。
「ガネさん、今回はあんたの把握力を称賛する」
「そんな言葉が使えるなら、もう少しいけそうですね。続けましょうか」
「ざけんな! 無理なの分かってて言ってんだろ!」
ガネさんの、冗談めいていても本気そうな言葉は、俺にとって恐怖そのものだ。この人のことは未だに読み切れない。
「……あと、別件でガントを追い出す。もっと言えば殺したいくらいだ」
一通り話が終わったところで、ラオはガントの話に戻す。落着きはしたものの、ラオの頭にはそれしかないようにも見える。
「それは、……まあ、先に退場願いましょうか。ラオ君の士気にも関わりますからね」
「あ、もしかして見たことない奴ってラオガ君の関係者か。……気になりながらも流してしまったな」
本部長であるルノさんが流した、ということは、ルノさんが見た時には害があるようには見えなかった、ということなのだろう。すれ違った教育師たちも「実力者みたい」と言っていたほどだ。人は見かけによらない、というのは本当に能く言ったものだ。
「あ、それより気になってたんだけどよ。ルノタード、そろそろ……」
「え? あぁーやっぱバレたか」
ゲランさんとルノさんのやりとりの意味の分からなさに、思わず首をかしげる。ガネさんですら、「どういうことですか」と尋ねた。
「すまない、一応立場があるんだ。長い間空けていると面倒なことになる。今の状況で、その面倒をやっている暇はない。ホゼの資格剥奪の報告も兼ねて、一度本部に戻る」
「えっ……?」
どうやら、本部長としての立場、というのも厄介らしい。しかし、職は職。規律はあって当然だ。本部での処理というものがあるらしく、手早く済ませたらすぐにでも戻って来ると、俺たちに約束してくれた。
この状況でルノさんが一時的に外れることは惜しいが、仕方ない。
「……そういうことなら、気をつけて」
どこか寂しそうなガネさんを見て、ゲランさんが一言。
「ルノタードが死んだら、ガネも死にそうだな」
その言葉を聞き逃さなかったガネさんは、睨み付けながら舌打ちをしていた。ゲランさんに対する、ガネさんの相変わらずな態度に、思わず笑ってしまいそうになる。
「ゲランに言われたら死のうにも死ねませんね。負けた気がします」
いや、こうしてガネさんをからかうゲランさんも、相変わらずなのか。
とにもかくにも、ルノさんはこの屋敷から一時的に離脱。本部は銘郡の隣、朱郡と呼ばれる地にあるとのことで、急ぎ足で医療室を出て行こうと扉を開けた。
「五日以内には戻るからな、ゲランと仲良くしろよ」
「何でよりによって去り際がそれなんですか! 絶対嫌です! 三日以内に戻ってきてください!」
「無理がある。ガネ、任せたぞ」
そう言って、ルノさんはさらりと医療室を後にした。
ちょうどルノさんが部屋からいなくなった時。俺にもやりとした感覚が襲って来た。もう慣れたものだが、穏慈がこちらに来ようとしているのだろう。
その通りに、いつもの要領でそこに姿を現し、穏慈は早口で本題に入った。
『急だが、知らせがある。聞くだけでいい、知っておけ』
「えっ、何? 急ぎ?」
〈暗黒〉のことが気にならないわけではない。青精珀が砕かれ、〈暗黒〉でもいつどんなことになっても、おかしくはない。
しかし、その口から慌ただしく知らされたことは、俺たちを驚かせた。
「穏慈くん、それは……っ」
『言った通りだ。怪異は身を隠しているのか、たまたま見掛けないだけなのかは分からん。ただ、ザイヴには問題ないと言ったが、魔石そのものの姿は〈暗黒〉から消えてしまっている。それが何を意味するのかは、吟にも分からんようだ』
ホゼの強引な行動は、こうした明らかな状況からも分かるように、両世界に様々な影響をもたらしているのだ。青精珀は、〈暗黒〉とは確実に繋がっている。よくもここまで引っ搔き回してくれるものだ。
『まだ時間はある。情報として持っておいてくれ』
「時間はあるんだな? ザイ、屋敷の件が終わったらすぐ行こう」
「うん……そうだな。穏慈、ありがとう」
そのことを言うためだけに、穏慈は俺たちの元に出てきてくれたようで、俺たちが情報を得るとすぐに〈暗黒〉に戻っていってしまった。穏慈なりの気遣いだったのだろう。
「話は終わったな? じゃあソムたちに続いて裏切り者探しだ。ホゼにも繋がるかもしれねーしな」
「一瞬しか見ていないが、身長は私よりも低い。ラオガくらいだったと思う」
ということは、大体絞られてくる。声を聞いたと言うし、男の確率は高い。屋敷内の男は総調べした方がいいだろうというガネさんの提案の元、ゲランさんとオミで屋敷生を、ガネさんが教育師を調査し、情報を寄せ合うと言う方法に落ち着いた。
三人が動き出した。となれば、俺とラオがすることは、自ずと決まった。
「ガントをどうにかする。ザイは」
「俺も行くに決まってんだろ」
「でも」
「ラオがあいつを前にしてあんなんじゃ、俺も安心できねーよ。何言われてもついて行くからな」
今もどこかでうろついているガントを、屋敷から出て行ってもらうために探しに行く。ホゼに裏切り者にガントに、一気に事が押し寄せてきてしまっては俺たちの行動も分散され、纏まらなくなってしまう。この状態を一刻も早く打開するため、最も早くケリをつけて、戻って来なくてはならない。
「……ラオ、お前がこの前言ってたこと覚えてるよね? 人が人を殺すほど、自分を殺すものはないって。あれ、本当にそうだと思う。だから、間違っても……」
「善処はするよ。ありがとう」
ただ、あの様子のガントが素直に退いてくれるとは思えない。ある程度の骨折りになることは、予想できていた。
─そして、全員が分かれ、本捜査が開始となる。