第百二話 黒ノ染ミツク能
心傷編
青郡からホゼを退けて、ヤブと殺し屋の絶命を目にして数時間。屋敷への帰路を辿りながら、俺は色々なことを考えていた。
今回、ルデとシンマの件で動き、最終的にホゼに青精珀の一部を砕かれてしまったわけだが、もしこれが、ホゼの仕向けた想定済みの流れだとしたら。まんまとそれに流されてしまい、結果としてそうなってしまったことになる。ホゼがどこまで計画を組み立て実行し、俺たちの動きをコントロールしていたのかと考えるだけで、背筋が凍る。
そして、ルデとシンマ。二人は和解し、宮杜に戻ると言い俺たちと別れた。あの様子を見る限り、二人で何とか永らえていくのだろうとは思うが、あの怪我だ。しばらくは体を癒さなければ、脆い体は崩壊することだろう。俺たちは、本当に二人の力になれたのだろうかと。もっと力を貸せたのではないかと、少しだけ後悔していた。
そんなことを考えているうちに、穏慈に屋敷が見えたことを知らされる。かなり遅れを取った時間に、俺と穏慈は屋敷に帰って来た。
穏慈は何も言わずとも人の姿をとり、一番痛む肩の傷を見てもらおうと医療室に向かうと、そこには先に屋敷に着いていたラオたちも集まっていた。ソムさんは俺たちを心配して、ずっと起きていたらしい。
「あ、ザイ帰ってきた。大丈夫?」
すでに治療をしてもらったようで、ラオの腕には包帯が巻かれていた。ルノさんの腿にも、治療の形跡が見られる。ガネさんは途中で倒れた後、目を覚ましていないのか、ベッドの上で横になっていた。その近くのベッドには、ノームさんが眠っている。
「もう大丈夫。俺も怪我見て……ん?」
そして、もう一人。頭に包帯を巻いているオミが、ガネさんが寝ている横のベッドにいた。何事かと近くに寄って見てみると、髪の毛に埋もれるようにして巻かれた包帯の下のガーゼが、赤黒く染みていた。
「何でオミが……!?」
聞けば、ゲランさんが書庫で倒れているのを発見し今に至るらしい。状況から、悪意を持った何者かが故意にオミに怪我を負わせた可能性が高いという。
ゲランさんに座れと促され、怪我を見てもらうべく上着を脱いだ。
「でも、侵入者の形跡はないみたいなの。内部の人のものだろうって」
「内部に裏切り者でもいるのかって話してたとこなんだ。ザイ、心当たりない?」
当然、俺は知る由もない。そんな動きがあることは考えもしなかった。
首を横に振ったところで、ゲランさんは肩の傷口を見て、すぐに処置を施そうとした。
「ああああ痛っでえええええ!!」
しかし、抉られたそこは痛みを堪えていただけで相当痛む。消毒薬がそこに軽く触れただけで、俺は頭の先から足の先までが緊張し、激しくなる脈を必死で抑えようとした。
「あぁバカ動くな。これ何されたんだよ、もはや穴じゃねーか……」
「……杭で思いきり、うううおおおおお」
「こんな怪我してんならさっさと帰ってこいよ、菌でも入ってたらたまんねーぞ。耐えな」
唸り声に近い声を出しながら、染みてくるそれに懸命に耐える。骨は辛うじて砕かれていなかったが、肉が引き裂かれ、痛々しい傷となっていた。「もはや穴」というゲランさんの言葉は、正確そのものだった。
「そういえば、ヤブは何で生きてたんだろうね」
「さぁ……」
現地にいなかった面々は、その件については把握していなかったようで、驚いて事情を尋ねてくる。簡単に説明すると、ソムさんは眉を顰めた。
“ヤブの別のもの”という言葉が最も気になるが、それがどういう意味かは想像がつかない。屋敷に来た時のヤブも、青郡で見たヤブも、確かにその同一のものだったのだから。
その時、ガネさんがむくりと起き上がった。腹部が痛むのか、抑えながらゆっくりと呼吸を整えた。
「……真迷いは、関係ありますかね」
「ガネさん大丈夫なの? いつ起きた?」
「ちょっと体が重くて動かせなかっただけです。問題ありませんよ」
その言葉の真偽はともかく、表情を変えないまま俺の心配を軽く流した。俺が“真迷い”という言葉を聞いたことがないことを分かってか、俺がいないときにルノさんたちに説明したという、そのことを話してくれた。
「君も一時はその一員だったんです。他人事にはできません」
「まあ……名前知らないって確かにそうだろうけど。でも、ヤブがそうだったとしたら、やっぱり一度は死んだ身ってこと?」
「そこは何とも言えませんけど、真迷いを知った上で自身を偽っていたとしたら、可能性としてはないこともないです。現象を逆手にとれば利用できますからね」
にわかに信じ難いが、そう考えれば今回現れたヤブのことは辻褄が合いそうだ。しかし、本来の自分を探しに戻ってくる真迷いを利用して現れた、もう一人のヤブが今回ホゼに見捨てられるように放置された理由。それが、そういう意味で使えなくなったからだとすれば、屋敷で討たれたヤブをわざわざ回収していたことにも頷ける。
『……少し、〈暗黒者-デッド-〉と似ているな』
「え?」
『お前たちも、自己ははっきりと分かっているだろうが、時折出てくる〈暗黒者-デッド-〉の本来の力。そういう意味でのもう一つの存在。しかも、今のそれは分裂している。つまり、一方の奴が死ねば、もう一方の存在と融合し戻る……それが理だ』
元々一つのものが分かれているならば、そういう結末になることも道理かと、何事もないように聞いていた。しかしよくよく考えてみると、それは俺かラオ、どちらかの生命活動が止まれば、生きている〈暗黒者-デッド-〉の方に溶け込むということ。存在がなくなるように思え、冷や汗が流れた。
「……そんなこと、初めて聞いたけど」
『いや、理としては聞くまでもなかろう。死ななければいいだけの話でもある』
穏慈の言う通り、俺たちがもっと自己を守り、命を落とすことがなければ、その結末にもならないだろう。しかし、人はいつかはそこに辿り着く。〈暗黒者-デッド-〉がそのうち移り行くもので、俺たちの中から消滅していくものであれば何の問題もないだろうが、そう簡単な話でもない。
「ザイヴ、痛むか?」
「あ、いや……大丈夫……」
怪我をした部分に包帯が巻かれ、処置が終わる。肩に巻かれている包帯と、止血されほとんど滲んでこない液体。大きな怪我をすることにも何とも思わなくなってきているが、考えを改める必要がある。
「なあラオ、怪我大丈夫?」
「ありがとう、俺は大丈夫。……考えすぎたらだめだよ。お互いあっての俺たちなんだから」
穏慈の発言から、俺が不安になっていることが分かったのか、ラオはそう言ってフォローしてくれた。俺を庇って負った怪我のことは余計に気にしてしまうだけだが、お互いで支えていけばと、その言葉に甘えた。
オミとノームさんの方に目を向けるが、やはり起きる気配はない。俺をきっかけにするように始まったホゼの行動で、周囲の大人までも巻き込まれている。多くの教育師も、その命を落としてしまった。そう考えると、甘えるだけではいけないことも、理解した。
「二人とも、起きないね……」
「……しばらく寝かせておこう。外の教育師のことは本部に任せろ。夜明けまでには対処が終わるはずだ。今回のことは、残念だったが……今は、内部で何か起きてる。ソム、屋敷長に報告して、探ってみてくれ」
「分かった」
「怪我人のお前らは、取り敢えず体を休めろ。部屋に戻りな」
続きはオミとノームさんが目を覚ましてからだと言われ、場にルノさんを残して、俺たちは各部屋に向かった。
穏慈には、一人になりたいと断り〈暗黒〉に戻ってもらい、俺は自室のベッドに横になる。丸一日眠っていないため、それなりの疲労を感じている。それでも、今の状況をどう打開すればいいのか。俺たちができることは何だろうかと、頭が隠れるくらいまで布団を被り、一人で悶々と考えた。
(駄目だ、頭が回らない……寝よう)
疲れた頭で考えても、大雑把なことしか浮かばない。いや、俺の頭では疲れていなくても良い考えは浮かばないかもしれない。
仕方なく、俺はそのまま眠りについた。だけど、それは夢の中でも俺を苦しめる。
狂気に溢れたものに命を狙われる。安眠も許さないと、誰かに咎められているかのように。
─どうして、俺は〈暗黒者-デッド-〉として存在しているのだろうか。そんな、どうにもならないことを夢の中で思う程には、余裕を欠いていた。
それから、何時間が経ったか。ラオが俺の部屋を訪ねてきた音で、俺は目を覚ます。外はすっかり明るくなり、すでに恒の零時を回っている。
「肩は痛む?」
「平気。ラオの腕は?」
「俺も、もう全然何ともないよ。寝られた?」
「……まぁまぁ」
ラオの服は、寝る前のものとは違ってラフで、リラックスモードという様子だ。俺も汚れた衣服を取り換えようと、一度シャワーを浴びるとだけ伝えると、ラオは適当にくつろぎながら待ってくれた。
手早くシャワーを浴びて戻ると、ラオはすぐに立ち上がって部屋の扉に手を掛けた。
「教育師が動き始めてる、医療室に行ってみよう」
もしかしたらオミたちが目を覚ましているかもしれない。そう思うと、その足は無意識にでも速くなる。部屋を出て歩いていると、通りすがりに教育師が気になる会話をしているのを耳にした。
「さっきの男、見ない顔だったな」
「えぇ……でも、ちょっと実力者って感じしなかった?」
それは、外部から何者かが屋敷に入って来ている、というものだった。教育師の話し方からしても警戒をしているわけではないようだが、ホゼの一件があったばかりだ。その正体は気にならないわけがない。
「気になるけど……ガネさんたちの耳にも入ってるだろうね」
教育師同士でそんなやりとりが行われているのだ。確かに、ラオの言うことにも頷ける。
再び歩みの速度を上げ、到着した医療室の扉を開けた。
そこには、意外にも元気そうに起きているオミがいた。頭に巻かれている包帯には、未だに血が滲んではいるものの、僅かに笑いかけてくるオミを見て、安心した。
「……心配をかけたみたいだな」
「オミ……書庫で何があったの?」
「ヴィルスの件を調査していたんだ。そうしたら、突然頭に激痛が走って、気付いたらここにいた。まさか血まで出るとは」
包帯を触りながら、軽い冗談ぽく言っているが、これは大きな問題だ。負傷しただけで済んだことは幸いだが、屋敷内で教育師が襲われた、という事実に変わりはない。
「お前らにも言った通り、極秘行為の可能性が高いっつーわけで、ルノタードとガネは巡回中だ」
ゲランさんがオミの言葉に付け足すように、二人の動きを教えてくれた。ゲランさんもようやく休めると思っていた矢先のことで、少し不機嫌そうだ。
「あぁ、あと聞いてるかもしれねーけど、一人屋敷内をうろついてる奴がいる。一応管理の奴が正式に通してるみてーだから、大丈夫だとは思うけどよ」
「ここに来る時、話してる教育師がいたけど……放ってる感じだったね」
「ある程度案内受けたら、自由に見て回りたいって、今の状態になってるらしいぜ。……あーちょうど、ラオガみたいな髪色で、左目に眼帯をしてるって話だ。構わなくてもそのうち……」
「左目に眼帯?」
ゲランさんの情報を聞いた途端、ラオの顔色が変わった。俺たちには向けたことのない、怖い顔。声色も普段よりも低く、冷たかった。
「ラオ……?」
「もしかしたら……」
「心当たりでもあんのか?」
変わりようからしても、そうだとは思う。しかし、心当たりがあるにしては、良い意味でというわけではなさそうで、声を掛けるのも遠慮したくなるように表情を変えなかった。
「どこで見た?」
「俺が見たのは屋敷長室付近だったな。……ラオガ?」
「見てくる」
ラオはくるりと向きを変え、俺がいることを忘れているかのように医療室を出ていった。そんな状態のラオを放っておくこともできず、オミのことを気遣ってから後を追った。
いつもよりも速足のラオを、小走りで追った。そんな俺に気付いたラオは、ついてこなくていいと言って、俺を引き返させようとする。しかし、それで帰る俺ではない。黙ってラオについて行った。
「……仕方ないなぁ。じゃあ念の為、俺の前には出て行かないでね」
それが何を意味しているのかは、俺には分からない。ラオの注意を軽く受け止めてしまった俺は、後に現実を見ることになった。
屋敷長室のある辺りまで来ると、前を歩くラオは、突然足を止めた。驚きながらも同様に立ち止まると、今度は胸元を軽く後ろに押されて、少しだけふらつく。単純に気になって覗き込もうとしたが、ラオにそれを阻まれた。
「そこにいて」
「え……?」
俺の前に出された腕が引かれ、恐る恐る視線をラオの前方に向けると、ラオと向き合うように、ゲランさんが言っていた身なり通りの男性が立っていた。
教育師の話で聞いたように、確かに実力者らしい雰囲気はあるが、それだけではない気がする。それは、ラオの表情でも読み取れた。そのラオを見る、相手の冷めた目も、警戒するには申し分なかった。
口を閉ざしたまま、その人物をじっと観察していると、後方から巡回中のガネさんが俺たちを見つけて声を掛けてきた。目の前の二人の状況にも、すぐに気付いた。
「……ザイ君、あの人は誰ですか? 管理者が入れた者、ですか?」
「そうみたいなんだけど……、何かラオが……」
そんな時、その侵入者は口角をあげて……しかし、ただの笑みではない表情で、言った。
「そっか……久しぶりじゃん」
「確認のために探しただけだけど……てめぇには、もう会いたくなかったよ」
これは、ラオにとって最悪な事態だったことを、俺たちはすぐに知ることになる。