第百話 黒ノ宿ス心ト手
ホゼが撤退したことで、俺たちの安堵感は計り知れないものになった。それと同時に、去って行ってしまったルデとシンマのことを思い出す。二人は無事に安全な場所まで行けただろうか。
一方で、今目の前にある一番重要な青精珀は、欠けてしまっていた。
「……どうしよう」
『向こうを見てこよう。何か分かれば呼びに来る』
『私も穏慈と共に戻ろう、今は何もできまい』
「……う、うん」
その不安を察知した穏慈と薫は、俺を気遣って、〈暗黒〉に戻った。いや、きっと同じように、不安なのかもしれない。だからこそ、〈暗黒〉の方は任せろと、自分たちが進んで魔石の状態を確認しに戻ってくれたのだろう。
「ザイヴ、帰るのか?」
怪異が姿を消し、静けさから事態の終息を再確認できた。周囲の状況を見回ってから帰ることにし、俺たちは揃って青郡に異変がないか、調べ歩いた。もちろん、ノームさんもルノさんに抱えられて、帰路につく。
少し森の方へ出ると、ほとんど進んでいなかったらしいルデとシンマが並んで座っているのを見つけた。二人ともぐったりしているが、ルデは意識が戻っていて、抉り取られた目の辺りを押さえてもがいていた。生きている。それが確認できただけ、安心した。
「本当に取れるとは……っ痛い……」
怪我こそ酷いが、そうして話せるということは、少しは状態が落ち着いているのだろう。さすが魔族であるだけあって、体の回復は人間よりも優れているようだ。
「ルデ、これからどうするの?」
「おぉ……? 目には目をと言うからのぉ。吾が目の……報いを受けてもらいたいが……シンマは大切な友人じゃ……」
少し唸ってシンマと目を合わせていた。具体的にどうするかは決めていないらしいが、しばらくして、シンマが口を開いた。
「……帰ろうぜ。宮杜に」
「里に、か……。そうじゃな、それが良い……ぐっ」
「ルデ!」
苦しみだしたルデのそばに寄り、様子を窺うと、尋常ではないほどの汗が皮膚を伝っていた。回復はしていても、怪我の程度を考えれば当然だろう。
「待って、何か手当とか……」
幸い青郡は程近い場所にある。治療できるものもあるはずだと用品を取りに行こうとするが、それは止められた。
「やめろ、要らぬ世話じゃ……。その心遣いは……受け取ってやろう。早よぅ行け……貴様への布告は、とうに砕かれておる……。巻き込んで、すまんかった。本当に……感謝する……」
状況から見るに、俺たちがルデを巻き込んでしまったのかもしれないのに。ルデは最後まで自分の責任だと言わんばかりだ。
「ルデはオレが……連れて帰る。安心しな」
涙を流しながら、謝罪と礼を伝えるルデを見ていると、本当に、辛かったんだと思った。友人が絡んだ事態に、当時ルデはどれだけ悔いただろう。どれだけ、痛かっただろう。自身を責めたに違いない彼は、やっと解放されたんだ。
「ザイ君、行きましょう。僕たちが入っていける場ではありません……」
「……回復したら、その面倒くさい顔、また見せろよ」
「何じゃ……それは」
その気持ちを、ぎりぎり流れないところで留まる涙で感じ取った俺は、耐えられなくて目に熱を感じていた。それを見るラオは、俺の背を軽く撫でて、俺が落ち着けるように気を遣っていた。
ルデに「早く行け」と再度促され、俺たちは最後の姿だと、惜しみながら彼らと別れることになった。命を狙ってきた相手だったが、今はもう違う。ここを離れる前にもう一度、彼らの安否を確認できたことで、純粋に、彼らが今後回復していくことを願いながら、そこを去った。
△ ▼ △ ▼
「終わったか……」
ウィンの自然魔で胸の傷を少しだけ癒してから、再び小魔を伝って情報を得続けていた俺は、事態の終息を確認し、やれやれと腰をあげる。小魔を扱うのも楽ではない。今回、気配消しの小魔が争いに巻き込まれなかったことが、俺の中では奇跡に近いことだった。ノームも心配ない、ルノタードたちが連れて帰って来てくれるはずだ。
「良かった……ノームが無事で」
ソムはノームの無事を知り、胸を撫で下ろしていた。それはそれで、帰ってきたら状態を見てやらないといけない。
それから、ホゼの追跡をして、ホゼが狙っているものについて、少しだけ予測ができたことがある。ヴィルスと、真迷いについても、これらは今のホゼに深く関わっていることが、確信に変わる直前までたどり着いていた。
「……オミのことも気になるし、ちょっと書庫に行ってくるぜ」
「うん」
「嬢ちゃんは、……まあ、気に病まねーように、ゆっくり休みな」
「はい……そうします」
ウィンのことをソムに任せ、医療室に残したまま書庫に向かった。オミがヴィルスについて少しでも情報を集めることができていれば、もう少し詳細なところまで分かるはずだ。
そう考えながら足の進みを早め、勢いよく書庫の扉を開ける。当然のように大きな音が立ち、そこにいるのであればオミがすぐにでも反応するかと思っていたが、全く反応がない。むしろ、静まり返っていた。
「……いねーのか?」
いや、もしある程度の区切りがついて調べを止めたのであれば、すぐにでも報告に来る奴だ。静かな書庫で、見回しながら机が置かれているところまで足を進める。その机には、何冊もの書物が重なっていた。片付けまでされていないところを見ると、やはりオミはまだいるだろう。だとすれば、近くにいるはずだと、棚が並ぶ一つの通路を覗いた。ふと影を感じ、目線を下にやると、そこには俺が探していた男が、うつ伏せで倒れていた。
「オミ!? おい、大丈夫か!」
体を揺するが、反応がない。仰向けに体を返すと、頭から流れる血が顔を伝っているのが目に入った。何かの事故とは考えにくい。他人の手が加わったはずで、一体、誰がこんなことをしたのか。放置されていたところを見ても、明らかな悪意が感じられる。
俺はすぐにオミを担ぎ、医療室に急いだ。
△ ▼ △ ▼
その後、特に以上も見つからず、怪我人もいるため引き上げることになった俺たちは、ギカに見送られようとしていた。
「ごめんな、そんな怪我させちまって」
「何言ってんの、俺の役目だからいいんだよ。これでも筋肉ついてきたんだから。これくらい何とも……あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ギカに心配を掛けまいとしている時に、後ろからガネさんが肩を軽く叩いてきて、喉を傷めるような声が出た。衝撃が加わると心臓が止まりそうだ。
「……強がってそれは格好悪いですね」
「っせえな! あんたが台無しにしたんだろ!」
腹を傷つけたガネさんは平然と立っていて、格差を見せつけられている気がした。とにかく、ギカには心配ないということを伝えると、「気を付けて」という言と共に手を振られる。
ギカに大きな怪我がなかった事が救いだ。その手に振り返し、屋敷に向かって歩き始めた。
しばらく歩いていると、ガネさんの足取りが怪しくなってきた。先程までとは違って汗が頬を伝っている。傷が影響し始めたのだろうか。
「ガネさん、大丈夫?」
「……何が」
俺の心配に対しても冷たくあしらうように、目を合わせず眉を顰めて答えた。その体はふらついていて、このまま歩き続けるのは無理ではないかと考え、休む時間を取ろうと提案したが、拒否されてしまった。
「ガネ、腹の傷見せろ」
ノームさんを背負うルノさんは、ラオに預けてガネさんの心配をした。汗のかき方が明らかに異常で、拒否はされたものの、休ませずにはいられない。それでも頑なに、ルノさんの言葉ですら聞き入れずに先へ先へと進んでいた。
「おい、無理するな。これ以上は……ガネ?」
ルノさんに肩を掴まれたガネさんの足が、ふっと止まった。しつこく止められて休む気になったのかと思ったが、次の瞬間、前傾姿勢を取り始めた。
「ガネ!」
「ガネさん!?」
ルノさんが回り込んで受け止め、見てみると、ガネさんの腹からは血が滲み出ていた。あの─屋敷で【無の針】を使ったと思われる─時の傷よりも酷い出血だった。
「酷使しすぎだ……いくら針術使いだからって。急ぐぞ」
ガネさんを背負うルノさんの足に目をやる。ホゼが付けた深い傷は、人を背負うには負担が大きいようで、その本人もまた、血を流し始めた。
「ルノさん、足……」
「ガネに比べたらなんてことないものだ。ガネは体内に術を入れて無効化している。それに、こいつが使った【劫】も、無影響じゃない」
周りの人間が、どんどん傷付いていく。俺が狙われているから、屋敷も狙われてしまったわけで。俺のせいで巻き込んでいるのだと思うと、このまま屋敷には戻ることができず、後方で一人、足を止めた。それに気付いたラオが、振り返って俺を呼ぶ。少し考えて、俺はラオの目を見た。
「ごめん、あのさ……少し青郡にいるよ。ギカだって怪我したし」
「え?」
「……大丈夫だろう。俺たちだけでも戻ろう」
俺は、二人の返事を待たずにその道を引き返し、青郡に戻った。
......
〈暗黒〉側で、魔石がどうなったのかを確認するべく飛び回る我と薫は、なかなかその物の姿を見つけることができずにいた。ザイヴたちがこちら側に収めたのは間違いない。しかし、以前それを見たであろう場所にも、なかったのだ。
痺れを切らせた薫は、吟に尋ねると言って鼻を頼りに探し出した。
『……闇晴ノ神石はどこだ』
『ワカラヌ……シカシ、失シテハオラン』
吟によれば、魔石は姿こそないがなくなることはしていないという。しかし、姿のないもののそれをどう信じることができようか。それに、魔石を探す中で気付いたが、アーバンアングランドとここを繋いでいた、あの光の筋も消えていた。あれを使ってザイヴたちがあちらに戻ることなどほとんどないが、我々が送れない場合にあれは必要不可欠だ。そうだというのに、それ自体が“ない”のだ。
『ちっ、あぁも無理矢理取りに来るとは思わなかったが……くそ、狂わされる』
『全くだな……。吟、実は』
魔石が向こうで、敵によって割られた現実を吟に伝えると、姿が見えなくなったのは確かにそのせいだと言う。それ以外の理由も考えられなかったが、両世界の繋がりには今のところ影響はないため、心配する必要もないらしい。
『懸念スベキハ……欠片ヲ悪用サレヌカドウカ、ダガ……』
どちらにせよ、あの男は放置できぬというわけだ。結果的に魔石を壊しに来ていたようなものだ。悪用されたらただでは済まない。
『とにかく、ザイヴに知らせに行ってくる』
『ならば、任せたぞ』
吟に聞いたことと、闇晴ノ神石の現状を伝えるべく、我はもう一度、ザイヴのもとに戻ることにした。
......
青郡に戻った俺は、真っ先に別れたばかりのギカを探した。案外簡単に見つけることができ、戻って来たことに驚かれながら、互いの傷を改めて心配しあった。こんな薄暗い中で、よくあそこまで戦えたものだと感心こそする。明かりがないわけでもないためではあるが、今は、先程よりも暗くなっていた。
「……夜が明けるまで丸っとあんだろ。早く戻って休めよ」
「その心配はありがたいよ。でも、俺を守るために傷つく人がいるって。そう思ったら、屋敷に戻りづらくなって」
「……誰も迷惑はしてねぇだろ」
実際に、ギカだって怪我をしている。そもそも、俺が狙われているのなら、俺が犠牲になればいいだけの話なのかもしれない。そう考えてしまう程、俺やラオの存在を狙ったホゼの行動は、俺の周りを傷つけている。
「ザイヴ」
「……ごめん、俺のせいで」
「落ち着け。青郡を守りたいのはオレだって同じだ。ダチだって大切だ。お前のせいじゃねぇよ。この程度で折れたら、守りきれねぇぜ」
ホゼをどうにかしたいのに、自分の力でどうにもならないことに、歯痒さを感じているのだろう。俺が助けなければいけないギカに、俺がフォローされてしまった。
「……ありがとう。……でも戻ってきちゃったし、青精珀の状態、もう一回見せて。半分は俺のせいだし」
「まあ、それくらいなら……分かった」
欠けた青精珀がどんな影響を及ぼしてしまうのか、俺は知らないといけない。もしも、これが〈暗黒〉にとって悪影響になるなら、俺ができることをしなければ。そう思いながら青精珀の前まで足を運び、手を伸ばそうとした時だ。
「……あ」
何か気配がした。もやっとした、不思議な感覚。俺が呼ばないときに、勝手にあいつが出てくると、言い表せない感覚と共に姿を現す。
『む? ラオガたちはどうした』
出てきた穏慈が一番に気にしたのは、その場に俺とギカしか居なかったことだった。事情を説明すると、俺らしい考えだと鼻で笑った。
「笑うなよ。……魔石は大丈夫だった?」
『今のところはな。悪用されんとも限らんから何とも言えんが』
俺が触ることができるのは分かっている。以前触った時に、色の具合からも、守護が働いたのだろうということを思い出し、触れてみれば何か変わるかもしれないと、軽く手を添えた。すると、思った通り強い光を放ち、特に欠けたところからは、強く色が輝き始めた。
驚きはしたがそのまま触れていると、欠けた部分を、透明な膜のようなものが覆った。
「何だこれ」
「穏慈……」
『お前が触れたことで、確かに力が働いているようだ。断言はできんが、奴の手元にある欠片にも保護がかかった可能性があるな……』
「ザイヴ、やっぱり早く屋敷に戻った方がいい。それが、解決するためには必要なことだ。そうだろ?」
ギカの言うことにも頷けたため、その促しに従って、暗がりの中、俺は屋敷に帰ることにした。
俺は、飛ぶほど急ぐ必要もないとだけ言い、穏慈の足でその道を辿った。