第九十九話 黒ノ真価ノ圧ト欠ケルモノ
ラオの溢れるような感情が、俺の心も引っ張っていく。あまりにも突然のことで、俺もラオも、制御しきれなかった。しかし、ただ自我を失っていた以前とは違い、引っ張られながらも、俺自身の意識はしっかり残っていた。
ラオの考えが読める。ラオの動きが分かる。それはきっと、鎌と鋼槍でもできた“共鳴”というものが、俺たち〈暗黒者-デッド-〉同士で起こっているのだということが、俺なりに理解できていた。
「ザイヴ……」
俺の耳に届く、ギカの声。それは、驚きを隠せていない声色で、横目でその姿を捉えたが、目を見開いて動揺していた。しかし、それに対して何も思うことはない。ホゼの方に視線を戻し、鎌と鋼槍を前に突き出すように構える。俺は右手に、ラオは左手にそれを持ち、合わせるように立っていた。武具が紺色を纏い、怪しく揺らいでいた。
共鳴を通して、俺たちの内なる存在が、ひとつの力を現そうとしている。
「その力、私に見せてみろ!」
背を合わせた態勢を保ち、ホゼの目の前まで接近する。体感ですら、一瞬とも言えないほどの速さでそこに辿り着き、外側に向けた武具を、同時に内側に向けて大きく振る。
武具は、ホゼを挟むように交差する。一瞬の間をおいて、呼吸を合わせた俺たちは、一気にそれを自らの方に引いた。
「ぐぅ……っ!」
ホゼは足を一歩後方に移動させようとしていたが、十分な時間はなく、音を立てて真っ赤な液体をこぼしながら、右腕が地に落ちた。それを見たホゼは、俺たちから距離をとってヤブに前進させた。
「ちっ……しゃーねえな!」
引いた武具を、今度はヤブに対して振る。ラオは上に、俺は下に構え、それぞれ行き交うように縦に振った。すると、えぐり混むように肉が断たれ、あれだけ手こずった男は、そのまま倒れこんだ。
「がふ……っ」
指先すら、ピクリとも動かない。辛うじて息をしている状態だった。その男の横を通り、再度ホゼの前に向かおうと足を進める。ちょうどその時、空を切るような音が、耳に届いた。
その二体は、俺たちの名を呼んで、戻って来た。
二人の覚醒状態になす術もない僕たちは、ただ、見守ることしかできなかった。〈暗黒者-デッド-〉本来の力を知らない僕たちが下手に踏み込めば、どうなるだろうか。
『連れてきたぞ。休ませた方が良さそうだ。それから……他のやつは、やはり……』
「ノームだけでも無事なら、救われたもんだ」
薫が背に乗せて運んできたノームさんの状態は、呼吸は確認でき、顔色は悪くないものの意識がなかった。傷具合から、ホゼの攻撃を直接的に受けたわけではなく、手遅れではないことが幸いだ。とにかく、この場で巻き込まれないよう、離れたところで降ろして来てもらいたいと頼むと、薫はすぐに場を離れた。
「……それにしても、ああなってから動きがまるで違うな」
『だが、止めねばならん。体が崩壊しかねん』
そういうことならば、見守っている場合ではない。穏慈くんたちが戻って来たことに気付いた二人は、今は動きを止めている。今のうちにこちらに戻って来てもらうほかないだろう。そう思って向かい始めた瞬間に、ラオ君が吐血した。
「がはっ……」
「! ラオ君!」
ラオが吐血し、俺は目から血が流れ出てくるのが分かった。涙とは全然違う感覚で、どろりと頬を伝うそれは、鼻につく鉄の臭いだ。
「ザイヴ! ラオガ!」
俺の腕を、ラオの腕を、力いっぱい掴んで呼びかけてくるのは、ギカだった。体内から血が流れ出たためか、少しだけ冷静になった頭でその顔を見ることができた。戸惑い、今こうして俺たちの横にいることが正しいことなのか、悩んでいる顔だった。それに続くように、後方にいた面々が俺たちの横に立つ。
ルノさんだけは俺たちの前に出て、ホゼの対応をする。剣銃の弾を何発か発砲し、一発当たったようで、苦痛を表す声が聞こえた。
「っ……」
「……ギ、カ……離……」
『呑まれるぞ、帰ってこい』
穏慈がその大きな体で、俺とラオの二人を包み込む。すると、以前と同様に、大きな力がすっと体から出て行くように、解放されていった。
「ごふっ……はぁ、ハァ……」
しかし今回違うことは、落ち着いたにもかかわらず吐血したということ。
「ザイヴ……」
「ぁ……?」
そんな状態でギカに話しかけられた俺は、自分の意識を取り戻し、俺とラオが作り上げた状態を確認した。倒れているヤブに、落ちているホゼの腕。そうしたのが自分であると分かっていても、それは目を瞑りたくなるものだった。
「……ラオガ?」
「え……あぁ……。今、俺……」
ラオは完全に呑まれていたようで、おかれている状況を簡単には把握できていなかった。ラオに説明すると、顔はさっと青ざめ、口元を手で覆っていた。自分ではないものが表に出てくるのだから、無理もない。
「良かった……オレ、どうにもできなくて」
「二人とも、体は大丈夫ですか? その血……」
衣服にこびりつく血は、自らのものなのか、返り血なのか、それすらも分からない。ただ、目や口から出てきた血の意味は、言われずとも分かっていた。
『中身が強すぎるための反動だな。全く少し目を離せば危険極まりないな』
強い力を宿すのも、あまり良いものではない。我に返った今、自分が持つ力の強大さに、とてつもなく身が震える思いになった。
「……俺はもう大丈夫。それより、ホゼは」
ホゼは、前に立つルノさんが応戦し、圧されていた。以前持っていた大剣は手放しているようだったが、あの黒靄を使ってルノさんに対抗していた。
「ルノ、手伝います」
俺たちが落ち着いたこともあり、ガネさんもルノさんに加勢するために剣と針を手に横に並んだ。ルノさんの剣裁きは、目で追えないような速さで次々と繰り広げられていく。剣銃を巧みに操って、付け入る隙を出さなかった。教育師同士の衝突の壮絶さを感じる他ない。
「さて、まずヤブが生きている理由を聞かせてもらいたいですね。僕が始末したはずですが」
俺たちの目の前に現れて、最も驚かされたのはその存在。死人が蘇ったなんてことは常識的には考えられないが、事実、倒したはずなのだ。
「……あいつに聞けよ、伸びてるけどな」
「あんな状態ですよ? 慈悲も何もないというわけですか」
「ひひっ……がほっ、バカに、すんなよ……」
これにもまた、驚いた。呼吸もままならないような状態だったのに、そう言葉を発したのだ。味方であれば「それ以上喋るな」と言うところだが、血を吐きながら、ヤブの言葉は止まらない。
「俺様の……“別のもの”……ぶぇっ……って……言ったら……」
「……まだ話せたんですね。僕は敵に慈悲をかけられるほど優しくないので、安心してください」
ガネさんも劣らず冷酷な部分はあるが、ヤブの口から出る情報は貰いたいもので、とどめは刺さずに聞いていた。
「じゃああの時のは……何?」
「さぁ……な……おい、殺し屋ぁ……ごほっ、ごほっ……立てん、だろ」
「……もちろん」
足に受けていたと見える怪我を庇いながらも、しっかりと立ってこちらに迫ってくる一人の女。“殺し屋”と呼ばれたことから、どういった人物なのかは簡単に掴むことができる。その片手には、どこから取り出したのか小さめの杭が握られていた。まさかそれで、刺してくるのではないだろうかと、体が強張った。
ヤブは話すことを止め、ぜほぜほと血を吐きながら懸命に呼吸をし始めた。
「……あの魔石、運んでもらうよ」
女は俺たちの後方から歩み寄ってくる。俺とラオ、そしてギカは、怪異と並んで向き合った。
ラオが一歩引いて、俺が一歩前に出る。穏慈は俺を庇うように立った。
「断固拒否だね!」
「誰が手を貸すかよ。【歪鎌】!」
鎌の能力は、怪異ではなく人間相手に放たれる。俺の後方からラオが鋼槍を思いきり投げ、ギカも二本の武器で応戦。一斉の攻撃に、女も少しは怯んだ様子。しかし、余裕はあるような感じだった。すべての攻撃を避けたのだから。
「くっ……!」
「ラオガ!」
ギカは女に躱されたのを逆に利用し、飛んでいったラオの鋼槍を拾い、ラオに投げ返すついでに女を狙った。
「……くっ、こんな場所にお前みたいな男がいるなんてね」
「悪いラオガ、外した!」
「問題ないよ!」
ギカに気をとられた一瞬に、鎌を女の喉元に当て、刃先のギリギリで止めた。これには動きを封じられざるを得ず、大人しく両手を上に挙げた。
「青精珀を何に使うんだよ」
「……何で使うと思う?」
ラオとギカは俺を案じたようで、近くまで来ていた。
青精珀を使うために現れた、という考えに至ったのは、ヤブが俺たちの前に現れ、俺かラオを使って青精珀を退かしたいと言ってきたにも関わらず、ヤブがホゼからの伝言だと言って青郡と青精珀を天秤にかけてきたことが大きい。
退けるだけならば、わざわざ天秤にかける必要もない。そのため、目的は青精珀だということに絞られたが、その理由までは知り得ないところだ。
「俺なりに考えた結果だよ。用途は?」
「リーダーに聞けよ」
その一瞬だった。鎌を杭で弾き飛ばされ、俺の首に女の腕が巻かれた。
「わっ!」
『! ザイヴ!』
次いで、杭を寸前まで突きつけられてしまう。手から離れたことで、鎌が封化したのが見える。この状況から逃げ出すのには苦労しないだろうが、目の前の杭が刺さってくるかもしれないことを考えると、うまく動けなくなった。
つまり、人質のようなものになってしまったのだ。これにはラオもギカも手を出せず、ジリジリと距離を保つばかりだった。そこに薫が戻って来て、この状況の説明を要求していた。
簡単にラオが話しているのが聞こえるが、今はそれを気にしている余裕はない。
『貴様……それをどうする気だ』
薫の言葉に、全く耳を傾ける様子のない女は、力いっぱい俺を引っ張りながら移動する。もちろん俺も無抵抗ではない。何とか脱しようともがくが、変に力んでしまってうまくいかなかった。
「離せ……っ!」
「ザイ、動かないで、落ち着いて」
冷静に言っているつもりだろうが、顔を見れば、声色を聞けば分かる。一番焦っているのは、ラオだ。回避できたかもしれない状況を作ってしまったのは俺なのに。そのまま青精珀の方に進みながら、ホゼに接近していった。
「リーダー」
「あ? ……私がやる」
「ザイ君……!」
ホゼの相手をしていたガネさんとルノさんは、その手を止める。身動きが取れなくなったことをいいことに、女からホゼの手に渡る俺は、ズルズルと引っ張られ、無理矢理青精珀のところに連れてこられた。
「おい、やれ」
「誰が……あ゛っ!」
抵抗すると、女の持つ杭が容赦なく右肩に深く刺さった。更にぐりぐりと捻るものだから、また痛みが増す。声にならないが、たまらない痛みで頭がおかしくなる。
「ザイ! くそっ、てめぇ……!」
ある程度抉られると杭が抜かれ、前のめりになる俺の腕を掴む。背後のホゼと女を睨むなり蹴るなりしてやろうとその方に目をやると、今度は背に刺そうとしているのか、大きく杭を持つ手を振り上げていた。
「チッ……【蝕害針】!」
「ぐっ!? この……っ!!」
ガネさんの針術で殺し屋の女の動きが一時的に止まるが、片腕が落ちているとはいえホゼに自由を奪われている以上、俺自身で防ぐ術はない。
女が無理矢理に体を動かし、杭を振り下ろした瞬間。
「やめろ!!」
『調子に乗るな人間が!!』
穏慈と同時に出てきたラオが、自らの腕を犠牲にして、俺を庇っていた。穏慈は女をその大きな体で突き飛ばし、ラオは刺さった杭を引き抜いた。それをいいことに、ホゼがラオを蹴り飛ばすと、簡単に地に叩きつけられた。
「っ痛ええええ……」
抜いたショックで出てくる血は、俺に罪悪感を残す。俺がホゼの手に捕まっているせいで、ラオが傷を負ってしまったのだ。
「……ラオガ、別にお前でもいいんだぞ?」
次に聞こえてくる言葉は、また俺を焦らせる。早く、この場を切り抜けなければ、ラオまで俺と同じ目に遭ってしまう。その思考が巡り始めた俺は、軽いパニック状態だった。
『その残った片腕も引きちぎってやるわ』
しかし、その低い声が聞こえたと思えば、薫の大きな口が目の前にあり、その直後、俺は解放された。薫の体に倒れかかる俺を心配して声を掛けてくるラオだが、それは俺のセリフでもある。
「お前、いくら何でも無理やり……」
「ザイがあんななったら、飛び込んでくるしかねーだろ! 穏慈に任せて離れるよ。薫、頼む」
痛む肩を抑えながら、薫に引かれてガネさんたちがいるところまで駆ける。教育師の後ろにいるようにと促され、そこから穏慈を見守った。
─〈宵枷〉!
例によって大きな揺れがこちらにまで伝わってくる。俺たちは穏慈のそれが聞こえた瞬間に伏せたため影響を受けなかったが、ホゼと女は耐えられずに倒れた。そして、あの紫掛かった黒い光が現れ、穏慈の左眼を強調させていた。
「何っ……!」
次いで起こった爆発で、女が吹き飛ぶのを視界の端で見た。女の身はぼろぼろになり、地に伏せてピクリとも動かなくなった。
「ちっ、あと一歩のものを……!」
「僕のことを忘れてもらっては困りますよ!」
大量の針を上空に向けて投げ、ガネさんはある程度ホゼに接近したところで、剣を抜き地に刺した。更に一本の針を取り出したその動作から、ルノさんはガネさんの行動に気付き、止めようとしたもののすでに遅く。
「ガネ、負担を考えろ!」
ガネさんは自身の腹に、自身で針を刺していた。
「ガネさん!?」
「自分で刺したのは【無の針】、体内に影響する外部からの衝撃を無効化する能力だが……あれは負担がでかい。無闇にやっていいものじゃない」
それを聞いた時、屋敷でヤブを討った時にガネさんが腹部に怪我を負っていたことを思い出した。ソムさんには濁されたが、そういうことだったのだろう。それが分かると、俺はいたたまれなくなる。しかし、剣を強く握り直すガネさんが次いで発する言葉で、俺の行動はルノさんによって封じられた。
「晧陽、白く広まる聖を成す。【劫】、解け!」
ガネさんがそう言い放つと、ホゼはまずいと思ったのか、黒靄を使って動きを止めようとしたのだろう。しかし、今度は【聖の針】によって黒靄は散らされた。
「僕は針術使いですよ……?」
直後。上から大量の針が、ホゼ目掛けて落ちてきた。鋭く、白い光を纏って。ガネさんもその術の影響下にある場所に立つが、降る針はある程度の時間はガネさんの術により自在に動き回り、ホゼを攻撃し続ける。すぐにはやまないそれに、ホゼも手を打てずに数えきれない数の針が刺さっていく。
「ごぁっ」
一方で、術者のガネさんは塊のような血を吐いた。腹の傷が来ているのか、【無の針】の術のせいか。ガネさんの顔を見ていられなかったが、先にルノさんが動き、【劫】を鎮めさせた。
「無茶しすぎだ!」
術が止まったのをいいことに、ホゼはズタズタな体で、魔石に触れた。当然、拒絶されていたのだが、それに構わず触れ続ける。
─嫌な予感がした。「やめろ」と、言葉を浴びせるところだったが。
バリッと、痛い音を響かせて、欠ける音がした。
「……貰っていくぞ」
「! お前!」
ヤブと女を見捨てるように、その欠片だけを持って、ホゼはその場を去っていった。それもまた、嫌な笑みを浮かべながら。