第九話 黒ノ武具ノ在処
「この文言なら、ヴィルス管理官の意思で鎌を持ってきたわけじゃないかも」
「うーん、でもわざわざこんなメッセージ性のあるものですよ。計算されてるような気もしますね」
ラオとガネさんは目の前で紙と睨み合い、思うところを互いに口に出して共有している。その議論のような場に呑み込まれかけ、口も開けなくなっていたが、ラオが俺に目配せをしてきた。この時点で、俺が言えることは限られている。
「俺は分かるぞ。俺はもう無理ってことなら」
「……そのスンとした顔は本当に無理なんだね? ごめんね?」
しかし実際、鎌探しをきっかけにこんな謎の事態が存在していたことが露呈したことに対しては、驚かないわけがない。ガネさんが言うことも一理あるとは思うが、だからと言ってその真意のところは全く想像できない。
『その人間を使う必要性があった、っということか』
単純に考えれば、直接の痕跡を残しては白日の下に晒されることが明白だから、自らの手を汚さなかった。しかし、今現在俺をきっかけにして、事実に繋がるものが動き始めている。このヴィルスに関わる痕跡も、どこかにあるはずだ。
「あれ? こんな所で何してるの?」
突如聞こえた、聞き覚えのあるトーンの高い声が、俺を反射的に扉の方へ振り返らせた。その主は、友人と共に歩いていたようで、「先に行って」と断って、倉庫内に入ってきた。
「ウィン……?」
この状況で何もしていない、と言うにはかなりの無理がある。必要以上の説明は省き、ある鎌を探していることを伝えると、教育師も一緒になってそれをしていることに不思議そうな表情を見せていた。
「ザイ、私も手伝っちゃだめ?」
しかしそれ以上の疑問には達さなかったのか、自分も手伝うと協力を申し出た。人手が増えるのは嬉しいものの、俺は現状ウィンを巻き込みたくはない。何も知らないのであれば、そのままでいて欲しい。
「鎌を探しているだけですし、良いんじゃないですか?」
俺の思いをよそに、その程度なら支障はないと言わんばかりの笑顔を浮かべて、ほぼ断言するようにガネさんは言う。もちろん探し物に限った話では反抗の理由もないが、余裕を扱いて言われると、どうも癪に触ってしまった。
「……何かむかつくなぁ」
「おお、はっきり言いますねー」
「ガネさんだって俺に生意気とか言っただろ」
「そうですね。悪気はないですよ。寧ろ呼吸と同レベルです」
「それはどうかと思う」
その最中に、ウィンは穏慈の存在を確認して、じっと観察していた。首を軽く傾げながら、何か考えている。その様子を、どういう心境の中なのか、ラオは複雑そうな表情で見守っていた。そのラオに気づいたのか、我に返ったようにラオと目を合わせ、俺を見た。
「ねえ、もしかしてこの人が噂になってた人? お、おーじみたいな」
「穏慈な」
穏慈に集っていた女子の中に、ウィンの友人が居たようだ。今しがた一緒にいた友人の話題が、長くそれだったと教えてくれた。再度穏慈に目を向けるウィンを横目に、ラオの先程の表情の意味が理解できると、うまく言葉が繋がらなかった。
「うぅん……」
「分かりますよザイ君。あの正体を知らないなんて、幸せですよね」
「全く異論ないね」
俺の心境を小声で代弁したのは、俺に対しての発言に全く悪気のないと言う大人だった。
結局、ウィンにも鎌探しに加わったことで、再び手分けをして捜索を続けている。後々かえって面倒になるかもしれないが、好意で手を貸してくれることを無下にもできず、その時はその時だと自分を無理やり納得させた。
『ザイヴ、向こうに行ってみるぞ』
穏慈が指すのは左側。屋敷長室の方向だった。
そんな頃、彼らの知らないところでは、ある存在が密かに蠢いていた。
何とも不気味で、おぞましい。そんな歪んだ表情を露わにして─……
「えぇー、ほんっとどこにあるんだよ! 鎌ーっ!」
『叫んでも出てこんぞ、うるさい』
現実に置き換えれば、それはそれで遭遇したくない怪奇現象だ。しかし、呼んで出てきてくれるなら、それはそれで何と楽なことか。あり得て欲しくはない状況を想像してしまう程度に、この捜索は長引いている。正直、集中力もほとんど残っていない。
「ん? ザイヴじゃないか。何してるんだこんなところで」
後方から、予期しない低い声が俺にかかってくる。悪さを働いているわけではないが、公にしていない事情を持っている分、心臓は簡単にダメージを負う。隣にいる人を模した怪異の存在も、それを助力する一つだった。
「あんたか……。びっくりしたー」
「その大口久しぶりだなー。この長期休暇の調子はどうだ?」
屋敷でクラス分けされた中で、俺のクラス―基本クラス―担当のおっさん、ホゼ=ジート。俺が屋敷に入ってから、クラスの担当はずっと変わっていないため、よく知った人物だ。
とはいえ、それも偶然に近いものがある。この休暇を挟んでクラスが変わる屋敷生がいれば、担当クラスが変わる教育師がいる時もある。この機会に心機一転、という人も少なからずいることだろうが、生憎俺はその新鮮さを味わったことはない。
「まあ、毎日動いてるし大丈夫だよ」
「そうか。それなら良いが。……横のそいつは見かけない奴だな」
「……悪いけど今取り込み中だから。ってかあんたに関わると面倒だし」
ガネさんの一件があったことで、穏慈のことがばれるかも、と緊迫したが、すぐにその前を立ち去ったことで追求されることは避けられた。
「あーくっそ……見つからないもんだなあ」
疲れてきている俺をよそに、かなり真剣な表情のウィンは、苦にもせず無言で探していた。それもそのはず、彼女は探し物が得意。隅々まで見落としなく、気になるものを目に入れる。
しばらく続けていると、ウィンが何かが書かれた紙を見つけたと、俺に見せてきた。
「何これ?」
「分かんないけど……“鎌は……沈む”? って、書いてあるよ」
「沈む……暗喩の線が濃厚な言葉ですね」
「つまりまた違う場所にってこと……? あぁーもう、ガネ教育師……俺もう集中力もたないです……」
この部屋に鎌が置いてあったという推測ができるような一文に、より一層の絶望に似た感覚を覚える。ここまで匂わせておいて、痛すぎることこの上ない。
「……あ、ちょっと待って下さい。もう少し集中力もちますか? 少々荒いですが、この筆跡……」
「え、もしかして見覚えがあるんですか?」
問いに口答はなかったが、代わりにじっくりと文字と向き合い、癖を見抜いていく。そしてその結論にたどり着いたようで、顔をしかめて言った。
「……この字は……」
その字が、彼に深く関わっている人物、ここの教育師のものであることを。
「彼を探しますよ!」
「はい!」
こんなに一生懸命に探しているにも関わらず、見つかる気配すらないのは、精神的に辛い。横を歩く穏慈は、腕を組んで歩いていた。彼なりに色々考えていたのか、やっと開いた口からは、普段以上に低い声が出た。
『あの人間、嫌な臭いがした』
「ん? ……ああ、さっきの奴のこと? 好きか嫌いかって言われたらどうでもいいな」
『あれは……好かん』
穏慈の言う「嫌な臭い」というものが、この時までは俺には分からなかった。穏慈にも苦手な対象があるのだと、その程度に捉えていた。
「……なあ、こんだけ探してないって、もう屋敷にはないってことなんじゃ」
『んん……まあ可能性としては捨てきれ……ん?』
俺には分からないが、穏慈は明確な何かを感じ取っているようだ。俺が呼びかけても、先程曲がってきた角をじっと睨みつけ、動かなくなった。その表情により険しさが増した時、穏慈が眼球のみをこちらに向けた。
『ザイヴ』
「な、何」
思わず硬直してしまう威圧感だったが、そんな俺に構わず、突然勢いに任せて俺を張り倒した。当然ながら、床に思いっ切り背中を打ち付けてしまい、痛みが全身に伝っていった。
「痛ったあっ?! なっ……に……」
穏慈は素速く俺の前を離れ、睨んでいた先の壁、その奥に蹴りかかった。その足さばきはかなりのキレを見せていた。勿論俺は、尻餅をついた状態でそこに居たが、その先に現れた者は、また俺を驚かせた。
「勘がいいな」
「お前……!?」
そこにいたのは、クラス担当教育師。ホゼ=ジートその人だった。あの時点で、やはり穏慈のことを察してついてきたのだろうか。
『お前の臭いは好かんからな。胸くそ悪いと思ったまでだ』
「ザイヴ。こいつは何だ? 人間か?」
『……その口、黙らせてやろう』
穏慈はまたも素速い動きでホゼ相手に武術を繰り出す。止まらない動きに目を惹かれつつ、何が起きているのか、という思考は全く進まなかった。
「ザイ!」
後方からラオの声。振り返ると、ウィンを除いた二人が走ってきていた。ここまで走ってくるということは、何か突き止めたのか。
「ウィンさんには退席して頂いたので安心してください。それよりザイ君、どういう状況ですか?」
「分からない。何か勘づいたっぽくて、いきなり……」
ラオが俺の手を引いて、立たせてくれる。
穏慈は、俺が気づかないところで、ホゼの“異様さ”に、本能的に気付いたのだろう。その動作は休まず、どんどん激しい乱闘になっていっていた。
「穏慈くん!」
『む……?』
ガネさんの声に反応し、今までにないほどの蹴りをホゼに当てると、軽快な動きで俺の前に戻ってきた。
「何か分かったんですか?」
『ふん、回りくどいことをしてくれる。奴は我が人間かと聞いてきたが、そっくり返してやるところだ』
「えっ……!?」
「その言葉が出てくるというのは……やはり人間では無い、か」
ホゼは一歩一歩距離を詰めてくる。対抗して、穏慈は一歩前に出て、壁のように動かない。この状況を好機と見てか、ガネさんが穏慈の横から一枚の紙を突き出した。
「ホゼ教育師、これはあなたが記したものですか?」
それを見たホゼは、間違いなく不意を突かれた表情を見せた。しかし余裕綽々に、口角を上げた。
「よく分かったな、ガネ。確かに私が書いたものだ。筆跡の鑑定でもできるのか?」
「余計な話に花を咲かせるつもりはありません。単刀直入に言います。鎌は、どこですか」
「ガネさん、それって……!」
「言った通り、この屋敷にある状態の鎌を持って行ったのは、このホゼです」
「ザイヴ、何故こんな怪異と居る。まさか……」
この感じ、この威圧。怪異と比べるとそこまでではないが、恐れを感じるには十分のものが感じられた。一歩一歩こちらに近づいてくる足は、緊張感は、穏慈の壁を越えて俺の警戒心を向上させた。
「来んな!」
「……ザイヴ。やはりか」
それを、その渾身の一言で制止しようとした。何を思ったか。ホゼは俺が願ったように、そこで足をとめた。いや、これはきっと、気づいたんだ。俺のことを。
「……まずは答えてもらいましょうか。そう何度も聞くほど暇じゃないんですよ」
「あぁ、そうだな。いや、それよりも……分かっているのか。あんな場所にある武器だぞ? 壊すには打ってつけだろう」
「……それは、向こうのことを知っていて言ってんのか? 向こうでも、どういう存在でも生きてるやつがいるんだぞ!?」
そう言い放った瞬間。本当に一瞬だった。俺はホゼの「何か」によって、軽く投げ飛ばされた。投げられた先にある壁に、勢いを保ったまま激突する。衝撃で罅が入った壁の破片がパラパラと落ち、それと共に、体も床に落ちる。
「う……っ」
『ザイヴ!』
「ザイ大丈夫!? 今の……何……」
すぐにラオが、倒れた体を強い力で起こしてくれる。痛みに耐えながら、今起きた事象の不鮮明さに恐怖心を抱く。直接掴まれたわけではない。殴られた感覚に近かった。何が、俺に触れたというのだろうか。
「本来はあなたが守るべきあなたのクラス生ですよ……! 何のつもりですか!」
「黙れ。こうなった以上貴様も覚悟しろ!」
『我らに何という口を利くか!』
耐えかねた穏慈が再びホゼに殴りかかったのを合図に、穏慈とホゼが至近距離で武術戦を繰り広げる。怪異の余りの動きに圧倒されていたが、その瞬間。穏慈とホゼの間に、真っ黒な煙に似たものが一瞬で立ち上った。
『!』
「穏慈!!」
同時に、そこで耳を劈くような音と共に、彼らを巻き込む形で爆発が起きた。




