龍吟虎咆 四
「青玉、青玉――!」
玉髄は湖面に向かって叫んだ。
鵬の沈んだ湖は、波がいまだに収まらず、土砂で濁りきってしまっている。青玉の姿は見えない。
風は収まりつつあるが、空中にはまだ鵬が巻き上げた土くれが飛んでいる。
「ちょ、玉髄、危ない!」
比較的大ぶりの石が、玉髄の後頭部を直撃した。目から火花が飛ぶ。意識も一瞬飛んだ。その集中力の乱れが、応龍に伝わった。
「き、消えちゃう!?」
「わっちょっ待て! いまのなし!」
そんな言葉も虚しく、応龍は霧散した。
二人は空中に投げ出される。玉髄はとっさに一角を引き寄せた。
「きゃあああああっ!」
どぱ、と水柱が上がった。玉髄は即座に水面に浮かび上がる。一角もまた、玉髄につかまって水面に顔を出す。
「おい、一角、無事……」
「ひゃっ玉髄、たすけっごほっ」
「おい、そんな強くつかまるな! 泳げないだろ!」
「あ、あたし泳げないのぉ!」
一角が玉髄にしがみついた。意外なまでに強い力だ。溺れる人間にしがみつかれると、泳ぎの達人でも溺れるという。おまけに上空からではわからなかったが、波が思いのほか強い。
「おい、玉髄! つかまれ!」
これぞ天の助け、剛鋭が水面すれすれまで龍を下してくれた。
「さ、さきに一角をお願いします!」
玉髄は一角を託す。自身は上がらない。水の中で四苦八苦しながら革鎧を外す。
「青玉を探してきます!」
「おい、馬鹿! やめろ!」
剛鋭の制止も聞かず、玉髄は大きく息を吸い、水に潜った。
水はほぼ泥水と化していた。視界などないに等しい。それでも深く深く潜る。水がズンと冷たくなる。圧迫感も大きい。心のせいでも、まやかしもでない。水の中は自然とこうなのだ。
(冷たい、暗い)
玉髄の背に、水のせいではない悪寒が走る。
玉髄は目を閉じた。
(青玉、いるならどうか答えて!)
目を見開く。望気の瞳――自分自身の力。その力は、濁った水の中でも発動した。
瞳に、青い霊気が映る。水の中を、小さな青い塊が沈んでいくのが見える。
(青玉!)
玉髄は必死で水をかく。息がつまる。それでも手を伸ばし、つかんだ。
細く柔らかな感触。人の腕だ。顔を引き寄せる。視界が歪んでよく見えないが、指で探ると目と口をぎゅっと閉じている。
(帰ろう、青玉。帰ろう!)
片腕でその体を抱え、玉髄は水面へと上がっていった。
「ぶわぁ!」
玉髄は思い切り息を吐き、そして吸った。肺に新鮮な空気が入り込む。
青玉もゴホゴホとせき込んでいる。
「玉髄……?」
「よかった……青玉……」
人目もはばからず、玉髄は青玉の体を抱き締める。水で濡れた体が重い。泥水で濡れた顔は、きっとひどい有様だろう。
「玉髄、大丈夫!?」
剛鋭の龍が、二人を回収する。
赤い龍の上で、青玉も玉髄もぐったりしていた。
「青玉ちゃん、平気?」
「はい。一角も、無事でしたか」
「うん!」
大気がさざめく。龍と騎龍たちの、勝鬨の声だ。
「よくやった、玉髄。親子二代で、妖魅を封じたな」
「俺の功績じゃありません」
「そうだな……琥師・一角娘」
剛鋭がその名を呼んだ。そして拱手する。
一角が目を丸くした。玉髄もだ。あんなに嫌っていた琥師に、騎龍が敬意を払っている。
「峰国の新たな英雄、ともに戦えたこと、誇りに思う」
「……ありがとう、騎龍の皆さん。あたし、絶対に忘れません」
一角も拱手する。
それを見て、青玉と玉髄が微笑んだ。
空が明るくなり始める。風がなくなる。
「あれ……何?」
一角が、空の彼方を指差した。全員がその方向を見上げる。
土埃が晴れ始め、陽の光がその筋を大気に描いている。まるで天から光の道が降りてきたかのような光景だ。
その光の道の中を、泳ぐものがいる。
それが金色の龍であることに、誰もがすぐに気がついた。
「父さん……?」
「お師匠様!」
金龍が悠然と天に昇っていく。その背に、二人の男が乗っている。
やがてすべては、太陽の中へ溶けていった。
「……終わったな」
誰からともなく、そう口にする。
「帰ろっか、王都へ」
「ああ、帰ろう。俺たちの場所へ」
俺たちの出会った場所へ。俺たちが重なり合って生きていく場所へ、帰ろう。
宮廷琥師・一角娘、紅龍隊辟邪・虹玉髄、龍師・青玉とともに、「崩国の妖魅」鵬を封印。
第百七代峰国王・峯晃耀、瑞雲二年三月末のことだった。
初出:2010年庚寅10月17日
掲載:2016年丙申02月24日