1-3:異世界は詰みかけている
ここに来てはじめてこの世界も捨てたもんじゃないと広臣は感動を隠しきれなかった。
「あんな一方的にやられてもまったくやり返さないなんて立派ですよ!」
そんなことを必死に言うユノアに「やり返したらあいつらが死んでしまうと思ってな」と半分本心で言うと、ユノアは冗談と思ったのか楽しそうに笑った。
広臣よりかは少し年上なのか、ユノアはお姉さんという雰囲気で、朗らかな空気が妙にいつものペースを崩させた。嫌な感じではなく、むしろ感じたことのない居心地の良さに驚くほどだ。
「どうかお礼させてください。よかったら晩ご飯食べていきますか?」
ユノアの持つ紙袋からは野菜や果物が見えるということは食料の買い出しにでていたのだろう。
このとてもありがたいことを言ってくれたのだが、日本人としても性か、広臣は大げさに首を振る。
「いやさすがにそこまでお世話になるつもりはない。それにあったばかりの男を家に入れるようなことはやめたほうがいいぞ」
「いえ、遠慮なさらないで。ヒロオミさんはそんな悪い人には見えませんし。わたしこれでも人を見る目はあるんですよ? それにとてもお強い同居人もいるので家は安全なんです」
「いや、俺も人を見る目はあると思うが、さすがに初対面の知らない奴を家に上げるのは抵抗が有るぞ」
「え? でももう初対面じゃないですよ」
「いや……」
あまりにも天然としたユノアに返す言葉もみつからなかった。
そしてあたりは暗くなり、街灯が小さな光で道を照らしている。
ユノアにおとなしく着いていった広臣だったが、その家を見て絶句した。
それは家というより屋敷だった。昼間に屋敷を遠目に発見していかがおそらくここで間違いないだろう。
とても大きいわけではないが、とても立派な屋敷を見て広臣はユノアのことが恐ろしく見えた。
「もしかして貴族のお方でした?」
敬語になる広臣にユノアはたじろいで手をパタパタ振る。
「ち、違いますよ! 同居人がすこしばかりお金持ちで、そのお屋敷に住まわせてもらってるんです。その方も別に貴族とかそういったものではありませんので」
必死に否定しているユノアだったが、広臣は信じきれなかった。よほどの金持ちじゃないとこんな屋敷は立てれないだろう。
一般人が立れ建てれるようなものなのか不思議でならなかった。
屋敷の周りはアパートのような建物や、古めかしい建物も多い。そこにこんな立派な屋敷はさすがに浮いている。
門をくぐると、よく管理されているのか広い庭も感心するほど手入れされていた。
しかも驚くことに使用人などはおらず、ユノアとその同居人しかいないらしい。
ユノアが玄関を開けてどうぞと入ることを促す。
入るとまずはエントランス。そして正面には扉があり、左右には二回へと続く階段がある。
明るく証明に照らされているが、電気は通っているのかと不思議に思う。もしかしたらこれは魔法の一種なのかもしれない。
ユノア曰く、屋敷といっても貴族ではないし、来客もほとんどないため見てくれだけで内装は普通の屋敷とは違うらしい。
普通の屋敷がどんなものかなと知らない広臣はこれでもなんの違和感もなかった。
そして突き当たりの部屋をユノアが開けると、ダイニングキッチンとなっていた。すぐ横にはリビングのようにソファも置かれ、そこは屋敷というより普通の家庭を思わせる。
「おかえり。遅かったな。……その横の子はどちら様かな?」
「ただいまですセベルさん。この方はヒロオミさんといって、先ほどわたしを助けてくれたんです。お礼といったらなんですが夕飯をご馳走しようかと」
ぬっと出てきたのは慎重の高い男だった。広臣より頭ひとつ高いセベルと呼ばれた男は鉛筆のような細い印象を受けるが、シワひとつないスーツを完璧に着こなしている。目元近くまで深く被ったハットのせいで表情はよく見えない。
広臣はセベルにたいして軽く会釈をする。それにセベルは丁寧に頭を下げる。ハットはどうやらとらないようだ。
「いらっしゃい。ここの家主のセベルだ。まあ何もないところだが、ゆっくりしていってくれ。それとユノアの件だが礼を言うよ。こいつはすぐ面倒ごとに絡まれるからな」
そうため息をつくようにセベルは言うと、ユノアは頬を膨らませてセベルを睨んだ。
「ヒロオミさん。セベルさんの言うことなんて真に受けないほうがいいです。彼はとても嘘つきなので」
「こら、小娘。お客さんにそんなでたらめなことを言うな」
「嘘つきじゃないですか! いつも私を騙してこき使ってるくせに」
「ああ、やかましい。なんの働き口もないお前を住まわせてやってるだけありがたいと思え」
そんな二人のやり取りについていけない広臣は、なんだこの漫才コンビはと立ち尽くしていた。セベルなど見た目からは大人しそうな紳士のようなのだが、それは見た目だけのようだった。
それから夕飯をご馳走になりつつ話を聞くと、どうやらセベルは不動産をたくさん所有し、この街では有数の資産家らしい。そしてユノアとは昔からの友人の馴染みとして住まわせているようだ。
夕飯を食べ終わった頃、広臣が異世界から来たことはもちろん伏せてこれまでの成り行きをなんとなく話しているとセベルから願ってもいない事を言われた。
「どうせ宿もないのだろう。今晩は泊まっていくがいい」
もう遠慮することもないだろうとありがたく肯定すると、ニタリとセベルは笑う。
「どうせユノアを襲う勇気もないヘタレだろうからな」
「聞き捨てならんな鉛筆男」
「え、鉛筆男だと! この素晴らしい造形美スタイルの俺が? というか小僧、さっきから敬語じゃなくなっていないか」
「気のせいだ」
「いいや、無礼な態度になっている」
「俺は馬鹿と変態は敬わないようにしているんだ」
「ほう、遠まわしにこの俺を馬鹿でどうしようもない変態と? これは小一時間ばかり俺の素晴らしいスタイルと功績について話し合わないといけないようだ」
「やめてくれ面倒な。それにそこまで酷いことは言っていない」
見るからに落ち込み始めるセベル。男が落ち込んでも反応に困るんだが。
「ふっ。変態バカ鉛筆とな……」
よほどこたえているのかセベルはソファーでぐったりし始めた。
ユノアが仲良くなりましたねとか笑いながら見ているが、これをどう見たら仲がよく見えるのか。
「ヒロオミさん。一泊と言わず、ちゃんとしたお家が見つかるまで住んでもらってもいいんですよ?」
その言葉にセベルが「なんで居候のお前が勝手にそんなことを! こんな野郎と同居などしたくない」と騒いでいるが、こんな良くしてくれる理由もわからない。
「そこまでしてくれなくてもかまわないが」
「いえ、私を助けてくれましたし。こんな世の中ですから助け合わないと」
「なら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
わーわーとまだセベルが騒いでいるが、まあ大丈夫だろう。
それから騒いでいたセベルをなんとかユノアが説得すると、落ち着いたのだが拗ねたように憮然とした態度になっている。
「ふん。空き部屋はたくさんあるんだ。少しの間使用人として雇ってやろう。度胸のなさそうな小僧だ。ユノアも安心だろう」
「まだ言うか鉛筆。俺も男だ、何もないと思うな」
なんて冗談のやりとりなのだがユノアが心配そうに自分の体を抱いてこちらを見ていた。
「ま、まて! ユノア、そういうつもりじゃ!」
「うわあ……」
「なんでお前もドン引きしているんだ! 張り倒すぞ!」
気まずい空気が流れ、耐え切れなくなった広臣は部屋を出て行ってしまった。
「からかいすぎたか……」
セベルは呟く。
ユノアは楽しそうに笑っていた。
そうして夜はふけていった。