第8章 デンプシーロール
(うーん、やっぱりお昼過ぎからの登校だと楽だなぁ。)
軽快に自転車を漕ぎ、いつもの駐輪場に突っ込んでいく。
教授が学会か何かに行くみたいで午前中お休みになったから、今日は講義は午後から。
なので、急遽暇になった午前中に少し用事を済ませてきました。
背中のリュックには、相棒のアレックス君が髪をなびかせ、元気に揺れている。
(よし、ここで急旋回ぃ~!)
シャ~ッ!
午後からの授業にご機嫌な私は、いつもよりも早い突入速度で弧を描きながら駐輪場に突っ込んでいく。
(――って、誰かいる!?)
「わわわわわっ!どいてどいてぇ!」
「あん?……おわぁ!」
なんと有が自転車を止めているところだった。
凛に気付いた有が逃げようとするも、凛の突入速度はそれはもう凄まじかった。
有の努力も空しく、あえなく的中。
ガシャン!ガラガラガラガラ
私は有の自転車に見事命中した。クリーンヒットと言って良いだろう。
(いたたぁ……いつも誰もいないから、油断してたわ。)
「何でアンタ、ここ使ってんの……こんな不便な場所にあるのに。」
文句を言ってやろうと顔を上げて、驚いた。
「あれ、その髪……。」
クシュクシュっとして、ちょっと耳にかかるくらいの長さで、お洒落だった髪の毛が見事な短髪。坊主に近いくらい。
「どうしたの?それ。」
気になった私が聞くと、彼は
「別に……特に理由はねぇよ。何でもいいだろ……。」
有は目線を逸らしながら、呟くように言った。
最初にここで会った時とは違い、無愛想な感じがする。
(イケメンが台無しとは言わないが、女受けは良くは無さそう。
私は短髪も好きだけど……。)
「……変なの。」
「ふん……。」
私が茶化すと、不機嫌そうに立ち上がりズボンの汚れをはたいていた。
「その髪型、小学生みたいじゃん。」
((はっ!))
2人の間の空気が固まった……様に感じた。
これを俗世間では『KY』と言うのだろう。
私はこの沈黙に息を殺した。
有がさっきとはうって変わって、私の目を見つめている。
早くなった鼓動ごと、その目に吸い込まれて行きたくなる。
「――あれ?凛こそ、その髪は……?」
今日はちょっと野暮用でニットを被っているのだが、
その不自然さ、遂に気づかれたようだ。
(くっ、ヤバいわね。)
ニット帽の両端をガッチリ掴み、防御体制を整える。
明後日の方向を向いて、有の言葉は聞かなかったことにした。
くいっ
(うん?)
あれ?ニットが天からの重力に引っ張られる。
くいっ
(おいっ!)
「何やってんの~!」
有が私のニットを脱がそうと、上から引っ張っていた。
「いいじゃん、ちょっと見せて。」
「ダメッ!絶対ダメ!」
私は素早く身をかがめ、帽子を脱がされまいと、不規則に上体を揺らす。
さながら、ボクサーが敵のパンチを避けるかの如く!
だが、相手は男子大学生である。戦闘力の差は歴然。
(うぅ、も……もはやこれまでか……。
じ、辞世の句を……あ。)
すぽんっ!
「はぁう!」
辞世の句を読む暇もなく、試合はあっけなく終わりを迎える。
(終わった……。)
「凛、この髪型って……。」
身体全体が恥ずかしさで、沸騰している。
穴があったら入りたいってのは、こういう事だろう。
ううん。自分で穴を掘っても構わない。
神様、今すぐスコップをお授け下さい。
そしたら一心不乱に地面を掘り返し、地球の裏まで逃げて、そのまま南半球の秘境で暮らします。
みなさん、今までありがとうございました。
――さよなら。
でも、願いは叶わなかった。
自転車小屋の前で某昭和のボクシング漫画の様に、真っ白になってへたり込む私。
そう、午前中の野暮用とはこれ。
行きましたとも、美容院。
朝いちばんに美容院に行って、お店の前でウロウロウダウダすること十数分。
そんな私を見かねたのか、はては不審に思ったのか。
ついには店員さんが外に出てきた。
「どうなさいましたか?」
「えっと、あの……ですね。」
「当店へ御用の方ですよね?とりあえず、お店の中へどうぞ。」
「……はぃ。」
そこで観念。
「どんな髪型になさいますか?」
感じの良い同い年くらいの美容師さんが、にこやかに優しく話しかけてくる。
そんな店員さんとは対象的に、私は消え入りそうな声で言った。
「ボブで……お願いします……。」
言ってしまった。
もう後戻りは出来ない。
「ボブですね?」
(そうだって……何回も言わせないで……。)
中学生くらいから、ずっと髪の毛は長くしてた。
ボブなんて久しぶりだ。
ストレートで胸元まであった髪の毛が、美容師さんの見事な手際でどんどん短くなっていっている。
切られている様子は殆ど見てない。
だって、恥ずかしいじゃない。
男の為に髪型変えたりとか……私がそんな事するなんて。
粗雑だし、女の子らしいとこなんて皆無だもの。
(はぁ……髪の毛切った理由、聞かれたら何て答えよう。)
ドライヤーで焦がした!
普段全く使ってないし……。
今年の流行りはボブ!
流行とか知らないし……。
鳩のフンがぁぁぁぁぁ!
洗うだけで充分だよね……。
急に髪が燃えだしたの!
そんなのただの事件だ、怖すぎるわ!
そんな事をウダウダ考えている間にも、時は無情にも流れ去っていく。
「はい、出来ましたよ。どうですか?
何か気になる所があったら言ってくださいね。」
驚いた。
そこには幼き日の私が居た。
あの頃と変わったのは髪型と少し歪んでしまった気持ちだけだったんだ。
なんか懐かしい。
小さい頃のアルバムを見てるみたいな、そんな気持ち。
今よりずっと素直で、活発だった頃を思い出す。
「はい、大丈夫です!」
なんとなく晴れやかな気持ちになった私は、明るく答えた。
「ありがとうございました~、またのご来店をお待ちしています。」
私は優しい美容師さんに見送られながら、軽やかに美容院を出た。
そこで我に帰った。
(この髪型……どうしよう……。)
花奈はもとより、有にでも会ったら何を言われるか分からない。
結局、良い言い訳は何も思い浮かばなかった。
(よし……ここは防御だ。防御を選択する。)
リュックから白いニット帽を取り出した私。
いくら私だって、こうなるのが分かっていなかった訳じゃない。
朝、リュックに入れてきたのだよ。
備えあれば憂い無しって言いますし……無しか?
(これでよし、と……。)
一先ずの対応として深々とニット帽を被った私は自転車に乗り込む。
素直だった頃の私は数歩で力尽きたみたい。
もう自分を隠してる。
(素直に生きていくっていうのは難しいのよ。
うん。仕方ないよね。)
ね。
気がつけばそれなりに時間が経っていることに気付く。
ニット帽も被ったし、とりあえずは何も無いだろうと高を括って自転車を軽快に走らせた。
その結果がコレだよ。
秘密道具のニット帽は悪役に取り上げられ、か弱い私は地面にへたり込んでいる。
悪役は何故か私を優しく立ち上がらせ、ズボンやら、服やらの汚れをはたいてくれている。
「凛……怪我はしてないか?無茶はするなよ。」
私は小さく頷いた。
「何かあったら大変だからな。
あのさ……あの時からずっと言いたかった事がある。
今ここで言わせて欲しい。」
私は更に小さく頷いた。
「あの時はありがとうございましたっ!」
有が深々とお辞儀をした…
「いえ……大丈夫……です。」
地面に向かって呟いた。
もういくらも葉の残っていない楓の下の自転車小屋で、
綺麗なお辞儀をしている男の子と、俯いて地面に話しかける女の子。
とっても滑稽な景色に見えただろう。
有がゆっくり口を開いた。
「今日からは俺に守らせて欲しい。
凛に貰った優しさが何回も俺を助けてくれた。
この日をずっと、待ってたんだ。
君をずっと求めていた。」
凛、大好きだよ。
秋冷の風が吹く。
赤がかった楓の葉が、静かに地面に落ちた。
一つ、また季節が変わるみたい。
この胸の中の温もりは、変わらないで欲しい。




