第5章 名無し君
よし、今日の授業も終わり!帰ったら何して遊ぼうかな~?
小学生の私は宿題のプリントをランドセルの奥深く、忘却の彼方に仕舞い込み、開放感溢れる放課後に思いをはせる。
鼻歌交じりでご機嫌に下駄箱へ向かって廊下を歩いていると、私たちのクラスが使っている昇降口とは別の方から幾人かの声が聞こえてきた。
「お前の上履き、名無しじゃんか!」
「なんだよそれ~、名無し~!」
「明日からお前、名無しって呼ぶからな~!」
あいつらは幼稚園の頃からのいじめっ子。
ヒロインではなくヒーローになりたかった私からすれば、某秘密結社?に沢山いる下っ端構成員みたいな感じか。イーッ!ってやつ。
(――あいつら、また誰かいじめてるのかな?よーし!)
雑魚散らしへ向かうとしますか。
「こらっ!ちょっとあんたたち何してるの!?
いじめなんてヤメなよ!」
「あ!ヤバイ!凛だ!」
「「わー!にげろー!!」」
いじめっこ達は私の姿を確認すると、即座に彼の上履きを置いて散り散りに帰って行った。
(ふふん!まぁこんなもんですよ!)
ちょっとスッキリ。
――しかし。
「あんた、男なんだからちょっとは言いかえしなよっ!」
「あぁ、うん……。」
「だらしないわね~、はい上履き。あんたのでしょ?
だいたい何で名無しなのよ?」
普通、小学生の上履きの甲には名前が書いてある。
彼の上履きは真っさらだった。
「お母さんに書いてもらったら?」
「――うん。でもウチの母さん、仕事で毎日忙しいから。」
「ふーん。
――ねえ。君の名前、聞いても良い?」
「……?」
「ハッキリしないわね~、名前!
あなたのな~ま~え。ホラ、言ってごらん!」
「――かみやま ゆう。」
「かみやま……ゆうね!」
きゅっ……
「――え?」
きゅっ……
きゅっ……
「ほら!これで名無しじゃなくなった!」
我ながら完璧な仕事だろう。うん。
ちょっと字が曲がっちゃったけど。
「それとね。あんた、上履き汚いよ!
ちゃんと洗ってるの!?」
彼の上履きは、私の上履きと比べても格段に汚れていた。
私は身だしなみには殆ど無頓着なんだけど、何故か足元だけは気になるタチである。
色や型とかはどうでも良いんだけど、靴の汚れだけは何か気になるの。
「ちょっと貸してごらん。」
(髪が邪魔だなぁ、こんなことならカチューシャとか持ってくればよかった……さて。)
水飲み場にかかっている石鹸とブラシでゴシゴシ。
私は彼に断りも無く唐突に上履きを洗い始めた。
ゴシゴシ……
ゴシゴシ……
「これで良しっ!ピッカピカだ!
やっぱり靴はピカピカに限るよ。
ね?なんていうか、爽やかだよねっ!」
洗い上がった上履きを彼に渡す。
誰だか知らない子の上履きが綺麗になって、私は満足。
彼も上履きが綺麗になって、満足。
これが最近良く耳にする『うぃんうぃんの関係』ってヤツだろう。
「……。」
彼はボーっと、手渡された上履きをただ見つめている。
(うんうん、嬉しさと感動で言葉も出ないか~。良いことをすると気持ち良いな!)
水性マジックで書いた上に、ブラシで擦ったから大分滲んじゃって文字としての体裁を保てているかというと微妙なところ。
「早く教室とかで干しとかないと、明日までに乾かないぞー!」
ヒーローは良いことをした後は颯爽と去るものだ。
走り去る私カッコイイ。
「こら、片桐!廊下を走ってはいかん!」
「ごめんなさ~い!」
それから先、彼との接点は特に無かったと思う。
でも何となく覚えてる事がある。
私が長い廊下を走って見えなくなるまで、男の子は私を見てた様な気がする。
上履きを大事そうに抱きしめながら…。
その年の終わり。
少子化やら何やらで、私たちの城北小学校は分校となり、学区によって別の小学校へと統合されることになった。
私も新しい学校で出来た友達と遊ぶうちに、彼の事を思い出すことも少なくなっていった。




