SOAP OPERA 2
冷たい鉄の扉の音を背に、目の前に広がったのは、真っ暗な闇だけで。
あれからどれくらい経ったのか。時間の感覚さえ失っているようで、足元がどうにも覚束ない。
そしていつも思い出すんだ。
……おかえり、兄さん!
仕事でどんなに遅くなっても、アイツはひょっこりと部屋から顔を出して、はにかみながら笑うんだ。
……疲れてるの? 無理しないでね。
そう気遣うお前の顔色の方が悪くて、
「ちゃんとメシ食ったか? 気持ち悪いからってまた残したんじゃないんだろうな」
口を開けばキツイことばかりを言っていた気がする。
どうして俺は、お前に、そんな態度ばかり取っていたんだろうか。
それが愛情の裏返しだと気づいたのが、最期の瞬間だったのは皮肉な話だ。
俺にとっての世界がお前で――。
それなのに。
腹立たしいのは自分自身なのに、八つ当たりのように鞄を乱暴に放り投げる。ソファを跳ねたそれは、落ちた反動でガラステーブルへとぶつかった。
カタン――。
何かが倒れた音がして、慌てて明りを点けた。
「……悪い。当たったな」
テーブルの脇に落ちていたのは、空色のガラスに縁どられたフォトフレームだった。
アイツが一番元気だった頃の写真だ。
大好きな向日葵の花を抱えて、まるで少女のような顔で笑っている。抜ける青空の下で、白いシャツから覗く褐色に焼けた肌がまぶしい。
今はもう小さな箱に収まってしまったけれど。
あの時。
泣きそうな顔で俺に告げたがっていた言葉。俺はそれを知っている。知っていて知らないふりをしたんだ。
だってそうだろう。
死んでいくアイツにどんな言葉をかければいい?
俺も好きだと。愛していると言えばよかったのか。
違う。そんな陳腐なものじゃないんだ。
歯を食いしばっても、唇を血が滲むくらい噛んでもアイツの顔が忘れられない。アイツの声が耳を離れないんだ。
なにも言わずにいた今でさえ、こんな有様なのに。この焦がれた気持ちを打ち明けていたら……俺はひとりでは生きていけない。
「それなのに、けっきょく俺はひとりなんだ」
涙が溢れてくる。
落ちてくる涙は無遠慮に口角から沁み込んでくる。苦い。苦くてたまらない。
「お前はもう……ほんとうにいないんだな」
弱いアニキを許してくれ。
ほんとうに――ほんとうに愛していたんだ。
フレームに収まっている弟は、俺の真似をして伊達メガネをかけている。安物でサイズなんて少しも合っていないのに、嬉しそうに顔を綻ばせて。
二度と、もう、こんな笑顔は見られない。
メガネをかけて澄ましたアイツに俺は、……会えないんだ。
ソファに腰を下ろし、今夜も弟を思う。
嗚咽を漏らしながら……――。
わがままをきいてやれなかった自分を悔いながら……――。