その3.お湯でもかけたら男に戻らない?
いつもと変わらない朝。
目覚めはまあまあいい、眠気と倦怠感は引きずっているけれど顔を洗えば多少はマシになる。
鏡に写る自分は酷く平凡で凡人で普通でどこにでもいそうで、二次元だったらモブみたいなもんで、ハリウッド映画だったらなんらかの爆発で死亡しているか、ホラーなら真っ先にフラグを立てて死んでいそうだ。
顔を洗ってもそれは変わらない。
その日の朝は、妙な事があった。
食卓にあったのはスクランブルエッグにウインナー、それとスパゲティ。
朝から謎の奮発だった。
いつもなら母さんは面倒だとか言って煙草吸いながら作っては、出来上がりは焦げた目玉焼きとかしょっぱいチャーハンばっかなのに。
食卓から聞こえる鼻歌。
今日の母さんは酷く上機嫌だな、それにどこか変わった気がする。どこだろう? うーん……。
「ほらあ、早く食べちゃいなさーい!」
何だろうな、背景に何か絵でもつけるとしたら薔薇とかが似合うのではないか。
父さんはコーヒーを飲みながら新聞を読んでおり、その姿はいつもよりも渋く見える。
どっかの社長に就任したかのような貫禄さえ感じた。
気のせい、か……?
俺はテレビを見ながら食事を開始。
ニュースではいつもの新人の美人キャスターが喋っていたが今日は全然噛まないな、それどころかベテランかと言いたくなるくらいにはきはきと、そして堂々とした喋りになっていた。
練習したのかな、人の成長を見られるのは悪くない。これからの朝はこのニュースだけを見るとしますかっ。
ふふっ、珍しく俺は朝からいい気分でいられている。
母さんも主婦のプロになりましたと言わんばかりに動いている、父さんは家を出る際も渋さは変わらず、これから社長会議ですか? と問いたくなるくらいにかっこよかった。
今日は何かいい事あるかもしれない。
「はい、お弁当」
「……えっ!?」
弁当を渡された。
受け取って、思わず二度見。
「べ、弁当?」
それはごく普通の家庭ではよくある事かもしれないが、俺の母さんは今まで弁当を作ってくれた事は数える程度しかない。
料理がそれほど得意じゃないのもあり、朝はゆっくりしていたい母さんは毎回昼飯代を渡してくるのが当然だったのに。
何かあったのかな。
「何言ってんの、愛する息子のために弁当を作るのは当然じゃない」
……お、おう。
「いってらっしゃい!」
「い、行ってきます……」
いつもなら行ってきますと言っても居間から「はいはい」としか返事が無かったけど、今日は手を振って見送ってくれてる。
悪くない、とてもいい気分。
俺は家を出て暖かい日差しに、いつもとは違う――満足感をたっぷりと含んだ深呼吸をした。
軽やかな足取りで登校するその道中、薫と合流する場所に到着して一度足を止める。
薫の姿は無い、足を止めた理由はそのほかに――薫がいつも立っている場所には少女が立っていたからだ。
うちの学校の制服……だけど見覚えは無い。
そこに立たれると厄介だ、薫と待ち合わせしている間、同じ場所で肩を並べていたら彼女に『こいつ、私に気があるのかしら』とでも思われたりしたくない。
薫の到着が遅かったら先に学校へ向かうとするか、少し遅い歩調であればそのうち合流するだろう。
そしたら朝からだらだらとした会話をしながらの登校となる、いつもの朝だ。
だが微塵も待たずに向かうのはやめておく、俺は少女を意識していつもの待ち合わせ場所は放棄し、少女を通り過ぎた先で薫を待とうとしたその時、
「待てよ浩太郎っ!」
少女が目の前に立ちはだかった。
……何で?
「はい?」
同じ学校の生徒のようだが俺は彼女を知らない。
何故、彼女は俺の名前を知っている?
「俺だよ俺!」
「誰……?」
オレオレ詐欺もこのご時勢では女子高生を使って実際に会うような手を使うようになったのだとしたら即座に警察へ連れて行って逮捕不可避だぜ。
それと気になるのは――少女が俺って言う時点でおかしいだろ。
君はあれか? 個性を強くしたい的なあれか? 芸能人にもいなかったっけ? 一人称を僕って言う子が。
それ系? それ系なの?
「俺だって! よかった、やっと変化が分かる奴がいた!」
「どちら様ですか?」
変化? 何を言ってるんだ?
誰かと勘違いしているのかもしれない。
「薫! 雪寺薫だっつーの!」
……は?
一体この子は何を言っているんだ?
どこか地面を探せば頭の螺子が転がっているんじゃないかな?
一緒に探してやろうか? プラスドライバーかマイナスドライバーが必要なら言ってくれ、家から取ってくる。
……それともあれか?
待て、冷静に考えるんだ。
こいつは俺と薫の名前を知っている。
「……薫とグルになって、からかおうって魂胆か?」
「違う!」
近くに薫が隠れているのかも。
俺を待っている間、暇だから知り合いでも見つけてからかう――こういう魂胆かい?
どっか近くに隠れてるのかも。
俺は見回して薫を探してみたが見つからなかった。くそう。
しかしこの子演技上手いな。演劇部所属かもしれない、最近の演劇部って迫真の演技をマスターしてるんだねえ。
「あの、薫はどこ?」
「ここだよ! 俺だよ!」
「……はあ」
この子は何が何でも薫がどこにいるかを教えてくれないようだ、誠に遺憾である。
「はあってなんだよはあって! 中学以来からの親友にその反応はショックだ!」
「そういうのいいから、薫が近くにいるなら素直に教えてよ」
「だからここだって!」
駄目だ、話が通じない。
悪乗りが過ぎると少しばかりイラついてくる。
「薫に会ったらよろしく言っておいて」
「俺だって言ってるだろ!」
「……そうですか」
朝から変な人に絡まれるとは俺もついてない。
美少女だからって中身がどうかは分からないものだ。
「俺……学校あるから」
俺は彼女の横を通り過ぎて学校へ向かうとした、ここで時間を潰してしまって遅刻したら嫌だからね。
それに声を荒げられると通行人の視線も寄せられてくるので可愛らしい少女と一緒にいるのは悪くないがこんな状況を招くのならば距離は取りたい。
「俺が薫なんだよ! 薫なんだって! 薫なんじゃあ!」
「ちょっ……やめてっ……!」
何その薫三段活用!
後ろから羽交い絞めをされて身動きが取れなくなった。
人生でも初めてだ、女性に羽交い絞めされるなんて。
……ちょっと嬉しいかも。
それに何か柔らかいものが二つ……うーん、こんな状況ではあるが今俺はものすごく幸せを感じているッ!
「こっちに来い!」
そのままわき道まで連れ込まれてしまった、抵抗はできるけどあえて抵抗せずに俺は羽交い絞めのままわき道へ。
通行人の視線が集中していたが彼らには一体どんな光景に見えたのだろう。
わき道に入るや彼女は羽交い絞めを解いて、財布を取り出した。
薫と同じ財布なんだね、もしかして薫と付き合ってる? 実ゎ私~薫と付き合ってて~その~おそろいの財布、きゃはっ☆とか言わないだろうな、のろけ始めたらすぐに走り去るぞ。
「これを見ろ!」
「……学生証?」
彼女の写真が載っている学生証。名前は――
雪寺薫?
……まさかの同姓同名だ。
「珍しいね、俺の友達も雪寺薫っていうんだ」
「だから同一人物だっつーの! 何度も言ってるだろ!」
……頭が残念な子なのかもしれない。
どう反応すればいいのだろう?
『マジかよ! じゃあの』
これでいくか? うーん、駄目だ、怒らせそうな気がする。
怒らせたくはないな……穏便にお引取り願って精神科の病院へ向かってもらいたい。
「分かった、信じよう」
「本当か!?」
「うん、でもちょっと気になる事があるからよかったら病院に行ってもらってからまた話さない?」
「信じてないなおいっ!」
「うぐっ苦しいっ……!」
襟を掴まないでくれないかねっ!?
「どうしたら信じるんだよ!」
「さあ……」
あまりにも鬼気迫るものがあった。
遅刻覚悟で彼女の気が済むまで付き合ってやるとしよう……。
どうすれば彼女から解放されるかを考えるとする。
「俺と薫とでなきゃ知りえない事、とか……」
付き合ってやるのは五分だけだ、それ以上は時間を潰せない。遅刻してホームルーム中に教室へ入る気まずさってのは嫌なもんだぜ?
「……じゃあそうだな、昨日お前と一緒に話した内容とか昼休みに食ったものとか全部言い当てれば信じるか!?」
「……試しに言ってみて。昼休み何食べた?」
つーかそろそろ襟から手を離してほしいなあ……。
「学校の購買で買ったパンとおにぎり!」
「せ、正解……」
なんだこの子っ。
どっかで見てたか?
「そんでもってリア充は爆発すればいいのにって話をした! 帰りは寄るところがあるからって分かれてお前は街のほうに向かった! どうだ!」
まるで一緒に行動していたかのように正確だ……。
「そもそもお前と同じクラスで雪寺薫といったら俺しかいねーだろ!」
再び学生証を突きつけられて見てみると、載っているクラスは俺と同じ……ああ、確かに同じクラスの雪寺薫はあいつしかいない、男のあいつしか。
いやいや。
非現実的過ぎる……よな。
いきなり友達が女になるか? ありえない、ああ、ありえないね。
きっとドッキリだ、生徒手帳を細工したに違いない。
「まだ信じられないなら、“あれ”を言ってやろう」
「あれ?」
「中学時代、学校の帰りにエロ本拾ってちょっと読んじゃったよな俺達! しかもお前はその後また探しに――!」
大声でそう言われた。
……そう、言われた。
“あれ”を――歩道を歩く人達に十分聞こえるくらいの大声で。
「ああっと! ちょっと待ってー!」
「むぐぐぐっ」
慌てて俺は彼女の口を塞ぐ。
どうして……。
どうして薫とだけの秘密を彼女が……!?
「ぷはっ。まだ信じないのならもっと喋ってやるぞ!」
「……マジか?」
本当に、薫?
とりあえずそれ以上俺の黒歴史をほじくりまわさないでほしいなあ……。
「マジだ!」
「……マジなのか!?」
「マジなんだぁぁぁぁぁあ!」
思考が停止しそうになった。
マジ? その二文字が頭の中でずっと旋回してる。
「ふむふむ……主人公はあんな反応をする、と」
「えっ?」
唐突。
後ろからぼそりと少女の声が聞こえてきた。
振り返るとわき道を覗き込む猫耳がひょっこりと出ていた。
昨日にそれを俺は見た記憶がある、本屋で会ったあの少女だ。
こちらを覗き込んでメモ帳に何か書いている仕草、間違いない。
「あっ、まずい」
どうしてここに……?
「おい! 待てっ!」
顔を引っ込めたので反射的に俺はわき道から出て少女を探すも姿は無く。
「何かあの女、夢の中に出てきた……」
「夢の中に?」
「女友達役としてなんたらって……くそっ、あいつが何かしたんじゃねーかこれ……」
つーか、冷静に考えよう。
俺は長考、この子――薫? も続いて長考に入った。
「……お湯でもかけたら男に戻らない?」
「試したけど戻らなかった」
アホな質問だった。
しかもそれを既に試した彼――いや、彼女? も大概だ。
「本当に……薫、でいいのか?」
「ああ、俺だ! ちょっと小さくなっちまったけど!」
うん、小さくなって可愛くなった。
胸も少し大きくなったね。
俺よりも外見はかっこよくて身長が高かった薫は、童顔でつぶらな瞳になって今は見下ろせている。
よく見ればどこか薫の面影があるな……。
耳の当たりとか。
「多分アレだよ……あの女は裏の組織で、俺が何か知っちまって女にしやがったんだ」
「どこかで聞いた事あるなそういうの」
「昨日少し記憶が無いんだ、多分俺は何か取引を目撃して後ろから殴られて朦朧とした意識の中で薬を飲まされたのかもしれない」
女になるってより体が縮んで子供になりそうだなそれは。
名探偵カオルとして少年探偵団を結成するといいんじゃないか? そのうち殺人現場とか居合わせるぞ。
「つーか! つーかさっ! 家族は誰も俺が女になっても驚かなくてよ! 元々俺は女だったって思い込んでるんだ! お前が気づいてくれなきゃきっと発狂してたぜ」
「それはよかったな、俺も現在進行形で発狂しそうだ」
本当に。