第二章 Extrem Dream 2
午後七時三五分。ベルズタワー、一五階。
自部屋としてあてがわれた空間は、さすが高層且つ高級マンションなだけあり、金の匂いがするような場所だった。
間取りは2LDK。設備は最新のものが揃っている。
が、義人の実家、即ち椿の自宅もまた結構な高級住宅であったため、この程度の豪奢さは別段目を輝かせるようなものではない。
「ふぅ、とりあえず移動完了、かな。……あれやらこれやらを衆目に晒さずに済んで良かった、マジで」
『あなたのコレクションはまさにザ・変態といった内容ですからね。この腋フェチ野郎』
恥部を攻撃材料にする相棒を無視して、彼は自部屋を見回す。
部屋中見事に段ボールだらけだが、室内の広さが一二畳もあるため、さほど煩わしさはない。
「……段ボールの中身を出したりだとか、そういう作業は明日に回そっと」
『明日頑張ろうってやつですか。さすがわたしのパートナー。清々しいぐらい屑一直線』
罵倒を聞き流しながら、義人はベッドの上に用意した普段着へと着替える。
制服を脱ぎ、適当に放り投げ、迷彩柄のTシャツと黒いカーゴパンツを掴む。
途端、彼は異変に気付いた。
消えているのだ。傷跡が。
義人の肉体は幼い顔に似合わぬ、凄まじい屈強さを持つ。五八キロ、全身が筋肉の塊である。
その身にはまだ未熟であったがために受けた攻撃の爪痕が無数に存在していたのだが、それが今、綺麗さっぱり消えている。
――能力の影響、かな。僕には自己再生機能がある。砕けたはずの拳が治ってるし、傷跡が消えてるってことからして、それは明らか、か。
能力については、判然としない部分が多い。とはいえ、そのことについて気にはならなかった。
自分は絶大な力を得て、舞台の壇上に居る。大事なのはそれだけだ。能力の詳細云々など、これから手探りで知っていけば良い。
着替えを済ませ、一息吐く。
すると。
『よくもまぁ少女が見ている中堂々と服が脱げるものですね。どうやら露出狂の気があるようで。さすがわたしのパートナー、立派なド変態ですね』
「別に見られて恥ずかしいものなんか何もないし。そもそも、君に見られて恥ずかしいわけがないでしょ。だって君はカラーフェアリーなんだから」
言い返すと、義人は部屋を出て、リビングへと向かう。
そして。
「さて、と。じゃあもうそろそろ姿を見せてもらおうか」
言葉が終わった矢先、彼の眼前、大きなソファーの横に、一人の少女が出現する。
その顔を見て、義人は一瞬驚いた。
自分は香澄一筋なのに。相手は“己の分身”でしかないのに。
それでも、彼女の容姿は並外れて魅力的に思えた。
年齢は一三歳前後。小柄で発育不足な体を黒い薄手のワンピースが包んでいる。
足首まで伸びた、長く艶やかな黒髪。それとは対照的に、肌は白磁のように白い。
その顔立ちは、まさに可愛らしさの体現。
細く整った眉毛の下には物憂げに細められた黄金色の瞳があり、見つめていると吸い込まれてしまいそうな妖しい魅力を放っている。
凄絶な可憐さ。だが、それに心を奪われたのはほんの一瞬でしかない。後は鏡に映る自分を見ているような気分だけが続く。
「これでご満足ですか? わたしのような幼女の顔をマジマジと見たいだなんて、やはりあなたは頭が狂っています。しかしそれでこそ義人ですよ、この変態ロリコン野郎」
無表情のまま、ボソボソとした声で紡がれた言葉。それに対し、少年は怪訝となる。
「カラーフェアリーって、僕の記憶が正しければ、カラーズにしか見えない幻みたいな存在で、その人格は“カラーズ自身が持つ一面と理想像”が融合した形、だよねぇ?」
「付け加えるなら、記憶及び五感の共有機能なども搭載しています。そういうわけで喉乾きました。お茶出してください、お茶」
「何がそういうわけでなのかさっぱりわからないけど、とりあえずフェアリーの情報に間違いがあるってことだけはわかったよ。君が僕の理想像とか絶対認めない」
濁った瞳を糸のように細めながら、肩をすくめる。そうしてから、相手のお望み通りにしてやった。
キッチンに行って冷蔵庫から麦茶を取り出し、ラッパ飲み。
「あぁ、すっきりした。じゃ、次はテレビです。夕方のニュースを見てコメンテーターにツッコミを入れる作業をしましょう」
拒否権は与えてくれそうにない。
それから彼女はとてとてと可愛らしい足取りでリビングへ向かい、大型液晶モニターの前にあるソファーに腰を下ろし、「むふぅ」と気分よさげに息を唸らせる。
で。
「早く来なさい、義人。わたしはさっさとお楽しみタイムに入りたいのです。コメンテーターのハゲ上がり具合を見て楽しんだり、お門違いのことを言って悦に浸る馬鹿面を見て笑いたいのです」
「どんだけ性格悪いんだこの子……やっぱり認めないぞ、こんなのが僕の理想像だなんて……僕の理想はあんな――」
「まーだーでーすーかー?」
「あぁもう、わかったよ」
頭痛を感じながら己の分身のもとへと行き、テレビの電源を入れる。
表示されたチャンネルに映っているのは、“見るだけで頭が良くなれるテレビ”という名称の番組だ。
「あー、これってあれですよね。前の司会者が児童売春で捕まった番組ですよね。は、は、は、は、は。頭を良くする番組の司会者が頭悪いとかチョーウケるー」
頬杖つきながら、無表情で笑声を上げる。そんな、なんとも不気味な彼女の隣へと座り、画面を見つめる義人。
今回は最新のテクノロジーについて解説を行うらしい。
寿命上昇、若返り、癌の克服、ロボット技術、量子コンピュータの完全実用、そしてそれをもたらす遠因となったカラーズとベヒモス。
一般人として見たなら「ふーん」程度で済ます内容だが、カラーズになってからだとなかなか興味深い内容に感じられた。
そんな番組内容を見つつ、彼はふと思う。
「ねぇ、君さ」
「は、は、は、は、は。何百年も生きてなんになるんでしょうねぇ。人間の生など弱者強者問わずしみったれているというのに」
「あの、ちょっと」
「若返りにしたって、そんなもん一部の美形以外無用の長物でしょう。年取ったブサイクが若返ったところで若いブサイクが生まれるだけです。ブサイクは社会の公害なので歳を食い続けてポックリくたばるべきです。あ、ただしわたしのパートナーは除く」
「さらっとブサイク呼ばわりしないで欲しいなぁぁぁ!? っていうか聞けよ!」
「はぁ、なんですか? このブサイク野郎」
「ギリギリ普通だから! まだブサイク一歩手前だから! ……あぁもう、そんなことどうでもいい! 君ってまだ名前ないでしょ。なんとなしに気持ちが悪いから名前決めよう。ちなみに僕の案は一、クロコ。二、バトコ。三、ポチ。四、パト――」
「わかりました。わたしのことは今後イヴとお呼びください」
「……気に入らなかったの? 僕の名称プラン」
「逆に問います。なぜ気に入ると思うのですか? 適当な一、二も腹立たしいですが、三以降は犬の名前ですよね? それ以降は猫の名前でも出すつもりだったのですか? わたしはあなたのペットでもオナペットでもありませんよ、この駄名付け名人」
「さらっと下ネタ挟まないでよ、この隠密色情魔」
「それはあなたでしょう、この性欲発電所」
「うるさいな、この天然毒吐きマシーン」
「事実を言っているだけです、この吐き気製造マシーン」
「湾曲しまくってるよ、この性悪ロリータ」
「……ねぇ義人、あなた、今わたしと性行をしているという自覚がありますか?」
「……ごめん。ちょっと君が何を言ってるか理解できない」
「わたしにとって罵倒というのは愛情表現なのです。愛する人に触れることができないがゆえ、代替手段としてわたしは――」
意味不明なことを話すイヴ。その言葉の最中、室内にインターホンの音が響いた。
「チッ、また邪魔者ですか。あぁもう、よりによって愛の営みの真っ最中に来るとか、どんだけ空気読めないんですか。死ねばいいのに。むしろ殺したい。こんちくしょう」
イヴは顔に無を張り付けたままぷくぅっと頬を膨らませ、消滅する。
「……誰だろ? 叔母さんかな?」
来訪者の心当たりなど、彼女ぐらいしかいない。
なので、椿が様子を見に来てくれたのだと思い、義人は嬉々として立ち上がった。
そうして玄関へと向かい、ドアを開ける。
果たして、来訪者の正体は――
「よう! 引っ越しご苦労さん!」
「夜分にすまんな。ゆえあって邪魔をする」
爽やかな笑みを浮かべ、手提げバッグを携えた天馬と、堂々たる佇まいの香澄であった。