第一章 Round ZERO 5
「ふぅ……最期に面白い気分を味わわせてくれてありがとう。で、次はどいつかな? それとも一対一じゃなくて集団戦にする? 僕はどっちでも受けてやるよ。だからさっさとかかってこい、この全身ドブネズミ野郎共」
薄く笑い、両手を広げて挑発して見せる。
それに乗るかの如く、一体の怪物が前へ出た。
即座に交戦開始。
不気味な独自言語などは発することなく、いきなり向かってくる。
どうやら、下位ベヒモスにも個体差があるらしい。
さっきの奴と比較して、今回の相手は数段上だ。
ほぼ一瞬で間合いが消える。棍棒が振り下ろされる。
それに対し、義人は反応できなかった。
彼我の戦力差が大きすぎる。
これは、躱せない。
身に待ち受けるのは死。ただそれだけ。
もう、ここで終わり。
それを感じ取った。
その、瞬間。
少年の左右に前触れなく“闇”が発生。スモッグガスのようなそれは瞬き一つするよりも早く義人の真ん前に移動し、盾のような形状へと変わる。
再び響く衝突音。
一人の少年に死をもたらさんと振るわれた棍棒は、謎の現象により強制停止。その目的は、果たせなかった。
「こ、これは……」
戸惑う義人だが、事態はお構いなしに進行する。
闇が大量発生し、彼の全身を包み込んだ。
目視可能な情報が黒一色に染まる。そんな状況の中、彼の脳内に一つの情報がよぎった。
“カラーズへの覚醒状況は二つ。一、突然変異。二、非カラーズによるベヒモス討伐時。二は一パーセント以下の確率である”
視界が一気にクリアとなった。
目前の光景に違和がある。普段見ている光景よりも目線が高い。
これは背丈が変化したということだろう。体感で三〇センチは上がっている。
心臓の鼓動がやかましい。
爆発しそうな情念を落ち着かせ横を見やると、化物共の隙間、店舗のガラスに、己の姿が映っていた。
二メートルを超える、漆黒の鎧。只野義人の現在はそれだ。
そのデザインは、シンプルでありながら凶暴さを感じさせるものだった。
その元凶はヘルムであろう。
吊り上がり、爛々と紅く輝くツイン・アイ。
そのすぐ下に引かれた、稲妻のような、流れる涙のような三本のライン。
口は牙を剥く獣を連想させる形状。
首から下のデザインは、他者に威圧感を与えるようなものだった。
一言で表すなら肉体美。筋骨隆々な男の体をそのまま鋼鉄化させ、過度でない装飾を施したような形状。
各筋肉が作り出すラインと各関節部が、その目と同様赤黒く発光している。
自分の身に起きたことを理解するにつれて、義人の全身が震え始めた。
念願成就。
その喜悦はもはや表現不能。柄にもなく雄たけびをあげたくなったが――
『おはようございます。わたしのしょぼくてヘボいパートナー』
これから一生の“相棒”となる存在が声を送ってきたことにより、踏みとどまった。
可憐だが極めて無機質。少女のそれと思しき声に、義人は言葉を返す。
「君が、僕の“カラーフェアリー”……そうか、ははは、そうか……」
打ち震えながら、完全に理解した。
今日この日、歯車は歯車でなくなったのだと。
その記念にド派手な花火を打ち上げてやろう。
周辺の化物共を屠り尽くし、己の存在を世界に見せつけるのだ。
ついでに、己の力がいかなるものか、それを知りたくもある。
そう、この絶大なパワー感は、一体何がどこまでできるのか判然とさせてくれない。自分が願うなら、あらゆることが現実のものとなりそうな気さえする。
漲る力に心地よさを覚えながら、少年はぐるりと周りを見回した。
止まっている。化物共が、止まっている。
まるで“神経が強化”されて、周囲の時間が止まって見えているかのような、そんな景観だった。
左を見る。右を見る。
最後に、正面に突っ立っている敵を見た。
そして――
「…………行くぞ」
紅い両目が、禍々しい眼光が、一際鋭く輝いた。
戦闘、開始。
鎧の右手。その手元から一振りの剣が伸びる。
赤と黒を混ぜ合わせたような色一色で構成されたそれを握り――縦一閃。
正面の敵を叩き斬ると、彼奴の全身が粒子状になるよりも前に、義人は踏み込んだ。
度外れた圧で、地面が穿たれる。
砕けたコンクリが宙を舞い、落下。それが着地する頃、漆黒の鎧は既に五体の怪物を両断していた。
疾走し、擦れ違いざま流れるような動作で剣を振るい、集団を抜ける。
絶命した化物達の肉体が時間差でズルリとズレ落ち、粒子状となって“飛散”するが、義人は気にすることなく闘争行為を続行した。
距離の離れた敵へ、剣を投擲。胴を貫通する凶器。それによる粒子化が始まるよりも早く、鎧は死にゆくベヒモスへ駆け寄り、突き刺さった剣を踏み台として天高く跳んだ。
狙うは地上、五体が固まった場所、その中央。
全身のエネルギーを左足に集めるイメージ。直後、頭部の赤黒い発光が強まり、まるでエネルギーが流れるかの如く、眩い輝光が首へ、胸へ、胴へ、腰へと移動し、最後の最後、左足首で止まって、その部位周辺を血色に染め上げる。
瞬間、義人の総身が凄まじい推進力を得て、地上へと落下。
その姿はまさに漆黒の弾丸。左足は狙い通り集団中央に陣取っていた個体の上半身を木っ端微塵に吹き飛ばし、そのまま地面に衝突。数メートルのクレーターを作った。
それにより発生したエネルギーの奔流が周囲のベヒモスを飲み込み、瞬く間に粒子に変える。
煌めく粒子の中、義人は着地体勢からすぐさまスプリンターの如く跳び、疾駆。生成した剣を両手に握り、次々と敵を斬り刻んでいく。
そして、戦闘終了。
体感時間は三〇秒前後。
道路を埋め尽くしていたベヒモス達は、もはや一体足りとて存在しない。皆、一人の少年に狩り尽くされたのである。
闘争が終わりを告げたと同時に全身を黒い靄が包み、霧散。鎧は少年へと戻った。
「ふぅ……」
『お疲れ様でした。まぁ、この程度の相手なら何百体いても疲れたりしませんけどね』
気の入っていない労いの声に、少年はもう一度、別の意味で息を吐いた。
「君ってカラーフェアリーだよねぇ? ってことは、君が僕の――」
怪訝交じりに言葉を紡ぐ最中、背後から足音が聞こえてきた。
『……チッ、邪魔者が来ましたか。イチャラブタイムが台無しです、こん畜生』
これもまた機械音のような声だったが、ほんの僅かにおぞましい色が混ざっている。
それについて義人は何も言及せず、後ろを向く。
果たして、彼の瞳が捉えた邪魔者とは――
驚愕を美貌に張り付けた、天馬と香澄であった。
かくして歯車は背景から脱し、彼の物語が幕を上げる。