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第八章 POWER to TEARER 5

 午後七時四七分。明浄通り周辺。


 冗談のようなビッグサイズが、物理的限界を超えたとんでもない躍動を繰り返している。

 その様を遠方より眺めつつ、義人は亀のような足取りで目的地に向かっていた。


 あの化物がいかな理由で動作しているかは知らない。興味もない。ただ、殺してもらいたいだけだ。

 しかし暗澹とした心が足を遅らせるのか、はたまた死を拒否する自分でもいるのか。

 さっきからちょっと歩いては止まりを繰り返していて、全く進んだ気になれない。


「はぁ……もう意味わかんない。さっさと行きたいのに、言うこときゃしないし。ねぇイヴ、もしかして君、邪魔してる?」

『うるさい、この愚か者』


 拗ねた調子で返答してくる相棒に嘆息し、角を曲がった。

 すると。


「――――っ!」


 先刻までとは打って変わって、少年の体が俊敏に駆動する。

 駆け抜け、闇を纏う彼の目が見据えるのは、一人の幼女と、それに群がる下位ベヒモスの群れ。


 なぜ、かような状況になったかは不明。なぜ、自分が動いているかもまた不明。

 気づけば義人は漆黒の鎧へと変身を遂げ、化物共を文字通り瞬殺していた。


 その後、彼は生身の姿へと戻り、なぜこのようなことをしたのか、それを考え始める。

 だが。


「お兄、ちゃん……?」


 救った幼子が、小さく鈴のような声を鳴らした。


「君は……………………………………確か、そう…………ゆかり、ちゃん?」


 彼女の顔には、見覚えがあった。

 月初め、力を得る前に助けた子供だ。


 それを思い出すまでにどうしてこうも時間がかかってしまったのか。

 その疑問が頭に浮上したことで、義人は自覚する。


 己が、自分勝手な人間になっていたことを。


 以前、学校の屋上でイヴに言われたことは事実だった。

 昔は助けた者の顔と名前はすぐに思いだせたし、忘れることもなかった。

 それなのに今の自分はどうだ。

 つい二〇日程度前に助けた人間の顔すら、うろ覚えではないか。


 きっと、無意識のうちに考え方が変わっていったのだろう。

 昔は人の幸せを第一に願い、それに付随して自分も幸せになりたいと、そう思っていたのに。


 数日前、思い人が自分に語った言葉が蘇って来た。


“自分の損得ばかりを考える者は、己に負けてしまう。そうなれば正しいこと間違っていることの判断ができなくなるものだ。その結果、自分だけでなく他人まで不幸にして苦しむ羽目になる”


 全く以て、その通りだ。只野義人という人間を見ればそれは明らか。

 自分のことばかり考えていたせいで大きな過ちを犯し、自分を不幸にした。

 まさに彼女の言葉を体現するような存在である。


 ――やっぱり、白柳さんは凄いや。……言われた時点で気づけてたら、違う結末もあったのかな。


 想像を膨らませてみたが、どうやってもこの末路にしかならなかった。


 彼は唇を噛んで涙腺を締めると、気を紛らわせるべく、ゆかりに意識を向ける。


「君は、どうしてこんなところにいるの? お父さんとお母さんは?」


 少年は問うた。問うてしまった。


 これでもはや、救いは何一つとしてない。

 彼の足元にあった踏み場が消え失せる。後は底なしの奈落へと堕ちるのみ。


 落下の始まりは、幼子の涙が零れるのと同時だった。


「う……うぅ……」

「ゆかりちゃん? どうし――」

「死んじゃった……パパも、ママも……死んじゃったよぅ……」

「……え……ぁ……?」


 魂が抜けるような吐息、というのはこういうものなのだろう。

 それを我が口から吐き出した義人は、言葉を完全に失っていた。


 開ききったドス黒い瞳が映す光景。これは、なんだ? 

 なんで、この子がこんな目に遭わなければならない? 

 この子をこんな目に遭わせたのは誰だ?


 それは、自分。

 只野義人という愚者が、彼女から全てを奪ったのだ。


 香澄の言葉が反芻される。

 自分勝手な人間は己だけでなく、他人まで不幸にしてしまう。


 そう、義人は無自覚のうちに自分だけでなく守るべき誰かすらも不幸にしていたのだ。


 もしも、もしももっと早く動いていたなら。

 化物達がやってきたと同時に、倒していたなら。

 この幼子は、家族を失わずに済んだのに。


 果てしない罪悪感が心を壊そうとする。

 だからか、防衛反応が起こった。


 自分は悪くない。悪いのはベヒモスじゃないか。奴等こそが元凶――


「パパ……ママぁ……う、うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 幼子は、逃げることを許してくれなかった。

 彼女の泣き声が、彼の心にトドメを刺す。


 崩壊の音が聞こえる。何もかもがバラバラになって、崩れて、消えて。

 最後に、己への罰が決定された。


 それは自分自身を地獄へ堕とすこと。


 この罪への応報は、死すら生温い。

 数日前、義人は香澄にこう語った。自分は誰よりも孤独の辛さがわかる、と。

 それに偽りはない。だからこそ、彼はゆかりが今後どのような地獄を味わうかよく理解できる。


 寂寞とした気持ちが心を殺していく感覚に苛まれながら、存在しない親の愛を求めて彷徨う。その旅路においては、発狂したくなるような精神的苦痛が常に続く。


 ゆかりがそんな風になったのは、自分のせいだ。だから、償う。同じところ、いや、それ以下の場所へと堕ちることで、償いとする。


 自分を徹底的に不幸にしよう。自分の幸せを二度と考えないようにしよう。

 人々を幸せにして、その様を遠くから眺めるだけ。そんな苦しいだけの人生を死ぬまで続ける。

 それこそが、只野義人にとっての最悪以下。己を殺すこと以上の苦しみだ。


 壊れた心の中で、闇と光が混ざり合っていく。その末に生まれた、歪な輝きを放つ何かを感じながら、少年は彼は幼女の頬に伝う涙を拭う。


「ゆかりちゃん。化物が、憎い?」 

「憎い。憎いよ……ベヒモスなんか、化物なんか、みんな大嫌い!」

「わかった。じゃあ、君はすぐ避難するんだ。あそこは、まだ崩れてない」


 比較的綺麗に形が残っている建造物を指さして、義人はそう促した。

 それに対し、ゆかりが嗚咽に震えながら問うてくる。


「お兄ちゃん、は、どう、するの?」


 離れないで。傍にいて。そんな気持ちが、表情と声に宿っていた。

 なれど、それはできない。自分は彼女が憎む化物なのだから。こうして顔を合わせていることすら、罪深い。


 義人は周りを見回し、天を見上げ、遠方で暴れる怪物を眺め、最後に己の胸を親指で指した。

 そして、これからすべきことを口にしようとするのだが、自身の中に残る自分勝手な己がそれを邪魔しようと叫んでくる。


 やめてくれ。言わないでくれ。その言葉を口にしたなら、後には戻れない。


 命乞いにも似た声に、義人は笑った。それはまさに、壊れた聖人君子が浮かべる微笑。


 そんなザマに成り果てながら、最強の歯車は宣言する。


「“こいつら”を、やっつける」


 かくして、少年の歪みが一つ消え、入れ替わる形で新しい歪みが生まれてしまった。

 皮肉なことに、これをきっかけとして、この一件は幕引きとなるだろう。

 なぜなら――

 

 虚構の中でしかありえぬ真のヒーローが、産声をあげたのだから。


   ◆◇◆


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