第八章 POWER to TEARER 2
午後七時二〇分。ベルズタワー。
自部屋にて、天馬はベッドの中で膝を抱えていた。
そんな彼の耳が、室外からの声を拾う。
「おい、馬鹿野郎。出ないつもりか? それとも、端末が故障でもしたか?」
正解は前者だ。
通信機から呼び出し音が今も鬱陶しく鳴り響いているが、天馬にはそれを取る気がない。
そのことは、間違いなく香澄も承知していることだろう。だがそれでも、彼女は言葉を投げてくる。
戦え、と、そう言ってくる。
「……ダメだ。そんなことしたって、マイナスにしかならねぇよ」
小さな声で呟く。
それが聞こえたのか、はたまた偶然か。ドアの前に居る彼女が、反応を寄越してくる。
「わかった。もういい。お前はそこにいろ」
明らかな失望を感じさせる音色が、天馬の鼓膜と心を震わせた。が、それでも彼は動かない。
反して、香澄はドアから離れていく。心なしか、その足音は乱暴なものに感じた。
「お前、本当にこれでいいのかよ?」
ベッドの下に相棒が現れ、問うてくる。それに対し、天馬は栗色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながら、
「オレが行ってなんになる? 間違ったことを正しいって思いこんで、命より大切な家族傷つけて……そんな奴が動いたら、皆不幸になるだけだ」
「決めつけてんじゃねぇよ。そんなもんわかんねぇだろうが。……てめぇ、このまま指咥えてたらどうなるか、わかってんのか? どいつもこいつも死ぬぞ。学校の連中、同じ駐屯地に勤めてる連中、自衛隊。親しくなった奴等も、嫌な奴等も、皆くたばっちまうんだぞ。それでいいのかよ、てめぇは」
「うるせぇ。オレが行ったところで、悪い結果にしかならねぇよ」
「……最後にもう一度だけ聞くぞ。本当に、このザマでいいのか?」
何も返せなかった。沈黙することしか、できなかった。
「そうかよ。マジでダメになっちまったんだな、てめぇは」
胸がズキリと痛む。けれど、それでもなお出撃する気にはなれなかった。
消沈した炎が再点火する気配は、欠片もない。
◆◇◆
同時刻。相楽市、ベルズタワー付近、繁華街。
破壊の音が耳朶を叩く。
なれど、義人は何もする気になれなかった。
つい数分前のこと。彼は突如ただならぬ気配を感じ、窓から外を覗いた。途端、その濁った瞳が冗談の様にデカい怪物を映し――
気づけば外に出ていて、今に至る。
繁華街の只中を、彼は一人歩く。
遠くには山の様に大きな化物、近くには人型、獣型、様々な形をした二メートル前後の化物。
後者は明らかにこちらを視認しているが、襲い掛かってくる様子はない。
きっと、奴等は自分を仲間か何かだと判断しているのだろう。
義人にしても、街に害をもたらす化物の群れに対し、なんの行動も起こさなかった。
そもそも、自分がなぜここにいるのかすらわからない。衝動的に飛び出ただけで、これから何をするか、といった意志など絶無である。
だったらこんな風にうろついてもしょうがないじゃないか、と、そう思わないでもないが、部屋に戻ってじっとしている気にはなれなかった。
「ねぇイヴ、僕は、どうすればいいんだろう」
相棒からの返答はない。今まで散々無視してきたことへの意趣返しだろうか。それとも、彼女は本気で自分を嫌いになったのだろうか。
いずれにせよ、妙に寂しい。
その後も、少年は覇気なく肩を落としながら、適当に街をうろついた。
心の中には、疑問だけがある。
なぜ、自分は未だ歩き続けているのだろう。なぜ、あの巨大な化物のもとへ向かっているのだろう。
戦うつもりなどない。
そんなことをしたって無駄だ。自分はどう足掻いたって幸せになどなれないし、誰かを幸せにすることもできはしない。
自分のような人間が何かをしたところで、意味などどこにもありはしないのだ。
それは嘘偽りない本音だというのに、体は進むことをやめてくれない。
「白柳さんが言ってたっけな。僕の本質は光だって。その輝きを見失うなって。僕の中にそんなものがあるとは思えないけれど、でも、もしそれがあったとしたなら……きっと僕が動いてるのは、それのせいなんだろうな」
迷惑極まりない、としか感じなかった。が、ものは考えようである。
「あいつ、僕のことを殺してくれるかな? ……少なくとも、可能性はゼロじゃないよね、多分」
人間は誰も救ってくれない。だったら、人外にそれを求めるほかなし。と、そう結論付けて、少年はのろのろとした足取りで化物のもとへと向かう。
『…………馬鹿。この馬鹿』
小さな声が、脳内に響く。
こちらの人外は、自分を救ってくれそうになかった。
◆◇◆
午後七時三五分。明浄通り。
二メートル前後の下位連中が活き活きと練り歩く中、巨大怪獣そのものといった上位個体セラフィムは、依然として沈黙を保ったままだった。
その威容は見る者に嫌でも威圧感を与える。
山は動かぬがゆえに親しまれるものだ。もし自由自在に移動できるとしたなら、そんなもの天災以外のなにものでもない。
そんな超ヘビー級の肉体よりもなお上方、天高くから、液体が降り落ちた。
それはにわか雨、ではない。
巨体を覆い尽くすような膨大な量の水分。それは、一人の人間が創り出したものだ。
無色透明なその液体の名は、フルオロアンチモン酸。硫酸の二〇〇〇京倍の酸度を誇る、人類史上最強の超酸である。
上位には人が生み出した物質、兵器は通用しない。だが、異能によって生成されたものであれば、その身に届きうる。
実際、酸は上位ベヒモスの全身を溶かしていく。
黒ずんだ茶色をした外殻が粘性の液体に変わり、表面に走る灰色の幾何学模様もまた醜く歪む。
だが、この最強の超酸であっても、奴を仕留めることは不可能だった。
融解した部位が瞬く間に再生を始め、すぐに元通りとなる。
結局、フルオロアンチモン酸が溶かし得たのはアスファルトのみであった。
その光景を、白柳香澄は敵から左方に三〇メートル離れたデパート、シャンゼリオンの屋上より見届け、息を唸らせる。
「ふぅむ。どうやら、奴の調理法は単純な外殻型ではなさそうだな」
『再生機能を持つタイプと外殻型の複合種、か。さすが上位、二つの調理法の融合型とは、なんとも手間をかけさせてくれる』
武装の持ち手となったユキヒメに、黒髪の少女は同意の意を返す。
ファーストとしての武装、シミターを握る右手の甲に現れた刻印は、現在の精神力残量を示している。その割合は残り八〇パーセント。
香澄の異能、創造は、己を中心に半径二〇〇メートル圏内に様々な物質を創り出すというもの。生成する物の構造が複雑であればあるほど、量が多ければ多いほど、対価として支払う精神力は増加する。
彼女はファーストとして最高位に位置しているが、それでも先刻の攻撃は相当な大技であった。あれがまるで通用しないとなると、事態は非常に危ういと言わざるを得ない。
といって、彼女の精神に曇りは寸毫もなかった。
精神汚染による軽い疲労感を息として吐き出しながら、次の一手を考える。が、戦術決定の途中、敵がコンタクトをとってきた。
『汝、乗り越えし者と見受けたが、如何に?』
彼女が睨む先、デパートの屋上からであってもなお見上げねばならぬ巨体から、声が送られてきた。
「……それがセカンドを指す言葉であるとするなら、肯定だ」
彼我の距離は大分離れている。
それでも、相手方は彼女の返答を拾ったらしい。
『ようやっと、勇者が現れよったわ。それも抗いし者でなく、乗り越えし者ときた。面構えからして気骨ある戦士であろう。我と戦う資格は十分にあると見える。然らば――』
化物の頭部、蒼い双眼が一瞬強く煌いた。
その光を戦闘意志の体現と受け取った香澄は瞬時に己が身の危険を察し、セカンドへの変身を決定していた。
そして、最強の個体がその力の一端を現す。
大蛇の如き尾が小刻みに揺れたかと思うと、その先端部にある口内から漏れ出る金色の輝きが強まり、超高熱を放射した。
それは黄金の光線。
しかも、笑いたくなるような図太さと威力がある。
セラフィムは熱源を放つ尾を鞭のように躍動させ、周囲一帯を薙ぎ払った。
その矛先は変身を終えて純白の鎧となった彼女にも向けられ、
「ぬぅッ……!」
香澄は両上腕部と融合した盾を前方に構え、超高熱を受け止めた。それにより、苦悶が漏れ出る。
彼女が持つセカンドとしての異能は、攻撃エネルギーの吸収・無効化。
これはスペックの上昇によって打ち消せるエネルギーの大きさが変わり、現段階であれば、人間の兵器で例えると核レベルの威力であっても吸収可能な状態だ。
そのような防御能力を持つがゆえに、香澄の総身は光線の直撃を食らっても傷一つ付いてはいない。
けれども、足下の建造物は別だ。
数日前、義人達と共に遊び回ったデパートが原型を失う。
それに悲哀と怒りを感じるよりも前に、純白の鎧は残った足場を蹴り、跳躍。地上へと着地し、背後で建造物が瓦解していく音を聞き届ける。
視線を向けるは真ん前、身が竦むような大怪獣のみ。
彼奴はその後も熱線による破壊を続け、五分近く経った頃、動きを停止させる。
敵の暴挙により、周辺の景観は激変していた。
怪物と鎧、その両名を中心に一キロメートル圏内が更地化し、かつて娯楽集積地帯にあった賑やかな空気は見る影もない。
その有様に、セラフィムは満足げな調子で息を唸らせると、その図体を動かした。
まさに山脈の移動。たかが方向転換だというのに、大地が震撼し、地鳴りが起こる。
そうして、奴は香澄を正面に捉え、言った。
『不要な有象無象は消え失せた。さて、乗り越えし者よ。汝はまだ我と戦う資格を得たのみぞ。我が名を訊きたくば、その力を証明せよ』
ふてぶてしい語調でそう告げると、奴は意外極まる言動を見せる。
『“まずは”我が右前足の前面外殻、左肩部の外殻、腹部中央を破壊せよ』
「……それは貴様の討伐法に関わる情報か? ならば、なぜそれを私に教える?」
『何、闘争を愉しむための下準備よ。信ずるか否かは汝次第。――さぁ、かかって参れ』
再度、敵の双眸が強い光を放った。
それに呼応するかの如く、香澄のスリット状となった目が一際強く輝いた。
彼女は両腕を軽く振るい、盾先端部にある刃の鋭さを確認すると、躊躇うことなく突撃する。
その様はまるで、神話にある巨人殺しの再現。されど、巨大なる敵に挑むは神でなく人。
ゆえに、少女の勇猛さからは絶望感のみしか見出すことができなかった。
◆◇◆




