第六章 The Finale of The Finale 4
義人の周囲にスモッグガスのような黒い霧が現れ、全身に纏わりつく。
数瞬後、彼は怪物へと変わった。
背丈二メートル前後。闇色の体。
関節と筋肉のラインを流れる血色の筋。
牙を剥いた獣ような口元。
双眸の下にある、涙のような、稲妻のような、三本の線。
天馬の胸元に紅い光が出現し、強く煌いた。
その輝きは彼の全身に沿って、まるで融合するかのように広がっていき、やがて、姿を変異させる。
背丈二メートル前後。
真紅の装甲。
随所に銀の装飾。
鎧とコートを融合させたような胴部。
一対の翼を連想させる形で展開した四本の角。
凛々しさ、逞しさ、勇ましさを感じさせる、白銀色の双眸。
睨み合う闇色の鎧と真紅の鎧。
そして、両者は全く同時に踏み込んだ。
蹴られたアスファルトが並外れた膂力で抉れ、宙を舞う破片が落下を始めるよりも前に、二体の鎧は互いの射程圏へと突入。
第一合目の先制は天馬が取った。
左拳が雨滴を弾きながら推進し、義人の顔面へと向かう。
だが、少年からしてみれば絶好のカウンターチャンスでしかない。
右構えの状態で腰を落とし、飛来する打撃を躱しながら、右拳でロングフック。
轟音を唸らせながらくの字の軌道を描くそれは、見事なクロスカウンターとなって紅い鎧の側頭部に突き刺さる。
瞬間、金属同士が衝突したような音が響き渡り、紅い鎧の硬質な顔面の左側に小さなヒビが入った。
その一撃が堪えたか、天馬はたたらを踏んで二歩後退。反して、義人は追撃を駆けるべく一歩踏み出す。
「何もかもお前が悪いんだ! お前がッ! お前がいるからッ! 僕は正当に評価されない! お前が僕から色んなものを吸ってるんだ! だからッ! お前は世界の中心で、僕は歯車のままッ!」
左ボディ、顔面へ右肘、左膝をボディ、左アッパー、跳ね上がった顎へ頭突き。
力強い連撃を繰り出しながら、義人は思いのたけを吐き続ける。
「その立場がようやく変わったと思ったら、これだ! それもお前が僕から何かを奪ってるから悪いんだッ! 返せよ! 僕から奪ってきたもの全部ッ!」」
左ロングフック、右ボディ、左ハイ。
全てが決まれば、それでおしまいだったかもしれない。だが、現実は違う。
あまりの憤怒ゆえ、さしもの義人も動作に流麗さを欠けていた。
そのせいで最後の左回し蹴りがブロックされ、
「わけのわかんねぇこと抜かしてんじゃねぇッ!」
真紅の鎧が、左ストレートを放つ。
その拳は先刻のそれよりも遥かに疾く、鋭い。
それが黒い鎧の顔面中央に衝突する寸前、闇色の防壁が彼を守るべく展開されるが、天馬の打撃はその壁を貫通、粉砕し、見事に目的の場へと着弾した。
「ぐぁっ……!」
その一発の威力たるや凄まじく、義人は生涯初の拳打による後退を体験した。
『大通りでの攻撃もそうでしたが……どうやら、こいつの力は防御系能力を完全に無効化するようですね。殴り合いをするのは結構ですが、あまり食らいすぎるとやられますよ』
「誰がぁ……負けるかああああああああああああああッ!」
両足で踏ん張り、突撃。
桁外れの才覚と狂的な修練によって育まれた実力により、少年の脳内で瞬時に攻撃法が決定される。
そしてそれを即座に実行しようとするが。
「らぁッ!」
天馬の拳は義人の行動方針決定よりも一瞬早く出されており、結果として、少年はそれを反射的に回避する。
頬を掠めた拳から伝わる威は空恐ろしいもので、もしも直撃していたなら大ダメージは免れなかったことだろう。
さりとて、彼が安堵し反撃に転じようとするよりも一手早く、紅い鎧は第二撃目を放っていた。
みぞおちへの右拳。
それを皮切りに連打が始まる。
顔面に逆ワン・ツー、左ボディフック。
攻撃箇所全てに大きな亀裂が生まれ、闇色の鎧は苦悶を漏らしながら膝を折る。
しかし、倒れることを許さぬとばかりに右アッパー。
「オレが悪い? 全部オレのせい? 何抜かしてやがんだてめぇ! 悪いのは全部てめぇだ! 何があったかなんざ知らねぇ! 知りたくもねぇ! けどなぁッ! てめぇが被った全てはッ! 全部てめぇが原因だッ! どうせ人のせいにばかりしてッ! ろくすっぽ頑張って来なかったんだろ! だからてめぇはッ! いつもいつもオレを睨むことしかできなかったんだよッ!」
殴る殴る殴る殴る殴る。
殴って蹴って叩き付けて無理やり起こしてさらに打つ。
『やめろ天馬! マジで殺すつもりかよッ!?』
「うるせぇッ! こいつはなぁ! オレから、最後の希望をッ! たった一人の家族をッ! “香澄”を奪おうとしたッ! そんなもん許せるかよおおおおおおおおおッ!」
鎧から放たれたヴァルガスの声に、天馬は怒鳴り返しながら打撃を放つ。
そして連打の最後、全身がヒビ割れた黒い鎧向けてトドメとばかりに後ろ回し蹴り。
それを腹部に直撃した義人は冗談のように吹き飛び、軌道上にあった建物の壁を突き破って店内を転がった。
『セカンドのパワーアップ機能は非常に厄介ですねぇ。最初は対応できていた動きが今は全く見えていません。このままですとあなた負けますよ』
イヴの言う通りだ。
自己再生機能によって修復する己の腕部を見やりながら、義人は彼我の戦力差を思い知った。
あちら側は際限なく戦闘能力が上昇していく。そのせいで、もはやこちら側は手も足も出ない。
例えいかに研鑽を積もうとも、いかに技前が優れていようとも、人は素手で虎に勝つことなどできない。
即ち、基本スペックに差がありすぎる。
「ちく、しょう……ちくしょう……!」
理不尽だ。これは、理不尽だ。
主人公は必ず勝つ。敵は必ず負ける。そんな物語の理不尽さをそのまま表現しているかの様な現状に、義人は憤りを覚えずにはいられなかった。
起き上がり、なんとか二足で立つと、穿たれた穴の先、圧力をかけるかのようにゆっくり近寄ってくる敵を睨む。
「畜生……許さない……許さない……よくも、よくも言えたな……僕が、頑張ってない、なんて……よくも、言いやがったな……お前みたいなッ! 恵まれてることを自覚してないクソ野郎がッ! 努力できて当たり前の環境にいる甘ったれがッ! 僕の半分も努力してない怠け者がッ! よくもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
血色の双眸が少年の憎悪を反映したかのように、一際強く光り輝いた。
雄たけびを上げながら突貫する闇色の鎧。だが、振りかぶった右拳が怨敵の顔面に届くよりも前に、義人は膝の一撃を腹部に貰い、宙を舞った。
放物線を描き、落下。
衝突の衝撃を感じてすぐ、少年は悔しさを爆発させる。
「く、そおおおおおおお! なんで、なんでこうなるんだああああああああああ!」
這いつくばって雨に打たれながら、地面を叩く。何度も、何度も、何度も。
あいつを殴りたい。
一万発、一〇万発、殴って殴って殴りまくって、それから八つ裂きにしたうえ粉微塵にしてやりたい。
されど、現実は逆。自分が殴られるばかり。
気が、狂いそうだ。
憎悪が、殺意が、怒気が、満たされぬと叫んで叫んでやかましい。
そんな精神状態だから、少年は受け入れてしまう。
悪魔の、囁きを。
『不味いですねぇ。これじゃあなた、敗北確定ですよ。……しかし、一つだけ手段があります。それをすれば、あなたはあのにっくきあんちくしょうに勝てるのですが』
――なんでもする……! あいつを殺せるなら、なんでも……!
『は、は、は、は、は。よくぞ言ってくださいました。もうラブパワーが止まりません。マジやばい。嬉しすぎて死にそう。……まぁそれはさておき、手段についてですがね、簡単なことですよ。わたしに力を求めればよろしい。わたしがあなたを強くして差し上げましょう。さぁ、願いなさい。破壊を、混沌を、怨念の成就を』
言われるがままに、少年は、悪魔との契約書にサインした。
「力を、くれ……! イヴッ! あいつを殺せるだけの力を、僕によこせッ!」
『ふっ、ふふ、ふふふふふ。了解しました。わたしの愛しいパートナー』
一瞬、少年は我に帰る。
もしや、自分は禁断の領域に足を踏み入れたのではなかろうか。
されどもう遅い。
砂粒ほどの冷静さは、到来した“快楽”によって掻き消えた。
闇色の鎧が衝撃波を放つ。それが雨滴を弾き、大地を揺らし、建造物を振動させる。
その光景を眺めながら彼はゆっくりと立ち上がり――
途端、さらなる変身が開始された。




