第五章 Ego-Eyes Glazing Over 2
午後一時五〇分。シャンゼリオン内部、洋食屋ガイファードにて。
義人と香澄は大分遅い昼食を摂っていた。
少年はオムライス、黒髪の少女はナポリタンに舌鼓を打ちながら、喋り合う。
そんな中、他の客席に座る男二人の会話が耳に入る。
「それで、お前んとこはどうよ、最近」
「だめだねぇ。ベヒモスが派手に暴れたって、今はもう土建屋の旨みはないよ。昔はほら、ベヒモス災害に関する法律とかなかったからさ、土建屋に建物の修復作業の依頼がバンバン来てウハウハだった。でもねぇ、最近は色々と法律が決まっちゃって、カラーズ達が無料で直しちゃうんだよね。だからもう被災した連中は土建屋を頼りゃしない」
「はぁ、そっちも大変だなぁ。うちもまぁ、ピークのころに比べりゃ落ちてっけど」
「でもさ、君んとこは葬儀屋だろ? じゃあ別にベヒモスがいようといまいと食うに困らないじゃないか」
「それがそうでもねーのよ。最近は世代交代ってやつの影響が強くてなぁ。まともに葬式やらねー薄情な連中が増えてんのよ。あぁ後、神様が実在してるってのがわかっちまったのもでかいかもな。神様は居るけど、そいつがヤハウェなのかアッラーなのか仏様なのかわかんねーじゃん? もしかしたらどれでもねーかもしんねー、だったら宗教なんか全部無意味だ、みてーな連中が絶賛増加中ってわけ。そういう奴等も葬式やらねぇなー」
「ふぅん、そっか。ぼくは葬式ぐらいやるけどなぁ。人として当たり前だし」
「その当たり前ってのが古臭く感じるんじゃねぇの? 最近の若い連中は。にしても、うちらの同期で成功してんのはヤスぐれーだなー」
「あいつは本当に先見の明があったよね。ベヒモスはもしかしたら地下には出ないんじゃないか、だったらこれからは地下の時代が来る、みたいに考えて地下に店舗構えてさ、それで予想が当たったもんだから大成功。今や地下商店全国チェーンの社長だもんね」
「あー、いいよなー、あいつは。ベヒモス成金になれてよー。こちとらカラーズ共のせいで商売あがったりだってのに」
「別にカラーズのせいってわけじゃないと思うけどねぇ。……でも、商売云々関係なしに、カラーズの存在はちょっと最近煩わしくなってきたかな。知ってる? 最近野良カラーズの犯罪率が急上昇してるんだってさ」
「やっぱあれだな。カラーズなんてのは一皮剥きゃベヒモスと同じバケモンってこった」
美味な料理が台無しになった。
義人は強い憤りを感じる。
この酷い言い草はなんだ。カラーズがいなければ、お前等も生きているかどうかわからないだろうに。
その怒気を香澄は察したらしい。
彼女は涼しい顔をして少年を諌めた。
「雑音を気にするな。あぁいう手合いはいくらでもいる」
「でも……白柳さんは、不愉快だとは思わないの?」
「これっぽっちも思わんな。私は守護者だ。人々を守る。ただそれだけに在る者。ゆえに、考えるべきは人を守るという行為のみ。その先、というものを一度考えたなら、途端守護者としての自分は死ぬだろう。いいか義人。私達に必要なのは、人々を守る者としての矜持だ。その結果として何かを得ようという気持ちは必要ない。それは弱さに繋がり、果てには死へと繋がる。我々はただ守護者であればいい」
彼女の言葉から感じた重みが、少年の心にずしりとのしかかる。
少女は一息吐いた後、ついでとばかりに口を開いた。
「なぁ義人。この世界における敵というものは、一体なんだろうな?」
「それは……ベヒモス、じゃないの?」
「いいや、それは違う。奴等は天災であり、人類の糧だ。ゆえに、明確な敵ではない。ならば人の敵、さらにカラーズの敵とは何か。それは己自身であると、私は思う」
黒髪の少女は水を一口含んで、それから続きを語る。
「少し前に見た映画。あれは実話をもとにした作品だと、お前は言っていたな。現実問題、野良カラーズによる犯罪は絶えない。今後カラーズの人口が増えていくにつれて事件発生数も増加するだろう。そういう連中は力を持たぬ者からしてみれば人外も同然だ。しかしな、“我々”は人外ではない。組織に属し日々職務に励む我々は、誰がなんと言おうと人間だ。では、人として在り続ける者、人外へと落ちる者、その違いはなんだと思う?」
「……僕には、わからないな」
「そうか。……答えは、信念だよ。我々にはそれがある。内容はなんだっていい。ただ、人のために生きようとするその心が大事なんだ。それがあるからこそ我々は人でいられる。人として戦い、人として死ねる。野良にはそれがない。だから、奴等は人外なのだ。信念がない。人のために生きられない。そんな連中は、いつも自分のことばかりを考える。自分の利益ばかりを考える。その結果、己に負けるのだ。力を得た者が負うべき義務、責任、使命、様々なものから逃げ、私利私欲を満たすために力を悪用する。弱い己の誘惑に立ち向かえないからそうなるのだ。奴等は逃げることしかできんからな。このことは何も、カラーズに限ったことではない。一般人にしてもそうだ。自分の損得ばかりを考える者は、己に負けてしまう。そうなれば正しいこと間違っていることの判断ができなくなるものだ。その結果、自分だけでなく他人まで不幸にして苦しむ羽目になる。とはいえ、人はそこまで愚かではない。大多数は正しいことを正しいと言える。私はそう信じているよ」
「……白柳さんは、人間が好きなんだね。でも、なんでそこまで人のことを思えるの?」
その問いに、彼女は遠い目をしながら答えた。
「両親を喪ったあの日、私は様々な人間の死を見た。命が散っていく様を見た。その時な、私は美しいものが壊されていくような、そんな気がしたんだよ。そして椿さんに拾われてから多くの経験を経て、私は人を美しいと断言できるようになった。だから、私は人間が好きなのだ。あらゆる生物の中でもっとも大きな闇を持っているにもかかわらず、光を求め、弱さに屈することなく前へ進もうとする。そんな人間という生物が見せる姿を、私は何よりも美しいと思う。だから、私は人を守る。そのために戦う」
返答してから、彼女は深く息を吐き、
「それで、お前の方はどうなんだ? ずっと聞こうと思ってたんだがな、お前は一体なんのために戦っている? 我々と出会ったばかりの頃、お前は己の鍛錬内容を教えてくれた。だが、それは趣味の領域ではない。戦闘力を求めるためだけに行えるようなものでもない。では、お前はなぜ、狂気じみた鍛錬を積み続けてきたのか。その理由を、教えてくれ」
義人は濁った瞳に迷いを宿した。
彼女の立派過ぎる信念を聞いてからでは、あまりにも言い辛い。自分の思想など、香澄のそれに比べれば犬のクソ以下だ。
しかし、それでも答えぬわけにはいかないので、少年は呆れられることを承知で、全てを話す。
「天馬がヒーローを目指してるのと似ててね、僕は……主人公に、なりたいんだ。僕は物心ついた頃から一人ぼっちで、だからいつも寂しくて……そんな時、僕は一冊の漫画に出会って、その漫画の、天原内斗って主人公に憧れた。彼は皆を笑顔にできるから。皆と一緒に笑い合えるから……だから、僕もこうなりたいなって思ったんだ。僕はずっと一人だった。だからこそ、一人の辛さが良く分かる。その辛い思いを僕以外の人がしてるって思うと、泣きそうになる。だから、最初は一人で寂しそうにしてる人を助けたいって、ただそれだけ考えて動いてた。……世の中って本当、単純にできてるよね。そういう人ってさ、大抵いじめられたり絡まれたりするんだよ。それで、僕はなぜかそういう現場によく遭遇する。僕には喧嘩の才能があったから、最初のうちはそれだけで良かった。努力なんかしなくても勝てた。でも、時間が経つにつれて限界が見えてきた。年齢の違い、体格の違い、人数の違いを捻じ伏せるには才能だけじゃダメだって理解し始めてね。だから武術の習得、戦術の学習、体作りをするようになったんだ。僕は……自分と同じ人達を守りたい。笑顔にしたい。幸せになってほしいと思う。それで、できれば……そんな人達と一緒に、幸せになりたい。笑い合いたい。それが主人公なんだ。僕はそれになりたい。そのためなら、僕はなんだってする。……まぁ、喧嘩以外うまいこといった試しがないんだけどね」
「……つまり、お前が不良として悪評を広めていたのは、誰かを救うためやむなく喧嘩をして、それが間違った評価を受けたがため、と、そういうことか?」
「信じられないかもしれないけど、その通りだよ。僕は自己防衛と人助け以外の理由で暴力を振るったことなんか一度もない。でも、なぜか好戦的な狂犬扱いされて……まぁ、この誤解が解かれても、どうせ皆僕と友達になんかなってくれないんだろうね。昔っからそうだもの。僕ってそんなに怖いオーラ出してるのかな? 誤解が広がる前から、話しかけても怖がられてばかりで全然相手にしてもらえないんだ」
くたびれた風に息を吐いて見せる義人。
彼としては、自虐で笑いを取ろうとしたのだが。
「……すまない、義人。私は、お前に嘘をついていた。以前、お前のことを知りながら話しかけなかったことについて、機会がなかったからと言っていたが……あれは嘘だ。本当は、決めつけていた。お前は不良で、話す価値のない人間なのだ、と」
自責を感じているのか、泣きそうな顔をしながら、彼女は深く頭を下げた。
「すまない。本当に、すまない」
「い、いや、そんな、そこまで気にしなくていいよ。ほら、結果良ければなんとやらっていうじゃない。だからさ、気に病むようなことじゃないって」
「……お前は、真に善人だな」
「そ、そんなこと――」
「いいや、善人だ。お前は誰かのために人間離れした修練を積み重ねてきた。しかもそれを正当に評価されぬどころか、あらぬ誤解を受け、最低最悪の環境に堕ちながらもなお、お前は折れなかった。これはほとんど不可能なことだ。……私はお前のことを尊敬するよ。私や天馬、椿さんと同じ、立派な守護者だ」
熱い目と、力強い言葉。
それらには、何かを決意したかのような意志がこもっていた。
とはいえ、それに疑念を抱くことはしない。
彼女に認めてもらえたことが嬉しすぎて、また、面と向かって好意を伝えられ、面映ゆくてしょうがなかったから。
今は照れ隠しのため、オムライスを勢いよく頬張ることしかできなかった。
しかし。
「む、義人。口に食べカスが付いているぞ」
そんなことを言って義人の唇付近を細くしなやかな指で拭い、躊躇うことなく口へ運ぶ。
興奮を落ち着けるための暴食が、台無しになってしまった。
頭が沸騰しそうになる。そんな彼を見ても、少女は怪訝に首を傾げるのみ。
そんなやり取りをする二人に――彼が、声をかけてきた。
「お、香澄に義人! お前等もこっち来てたのか!」
「……天馬? なんでここに?」
「いやぁ、家で特撮鑑賞してたんだけど、ちょっと飽きちまってなぁ。香澄も義人もどっか出かけてっから遊び相手もいねぇし、こりゃもう娯楽集積地帯でも行って暇でも潰すかってなって。で、今偶然お前等を見つけたんだよ」
言って、彼は香澄の隣に座る。まるで相席して当然といった調子で。
さらに。
「お前ら二人で遊んでんだろ? オレも混ぜてくれよ。いいだろ? な?」
顔はいつものように爽やかな笑顔だが、心の内側はどうだかわからない。
結局、天馬の登場によってデートプランは滅茶苦茶に壊されてしまった。
三人で娯楽に興じる最中、栗髪の少年が一つの問いを投げてくる。
それは特に気にするような内容ではないはずだが、その音色には、気味の悪さを感じずにいられなかった。
「なぁ、楽しいか? 義人」




