第五章 Ego-Eyes Glazing Over 1
五月二八日。午前八時三〇分。
自部屋にて大鏡を前にし、義人は顔に緊張を張り付けていた。
なんといっても、本日は思い人とのデート当日である。落ち着いてなどいられない。
「あぁぁぁ……どうしよう……この服装でいいのかなぁ……下手にオシャレしようとしたってうまくいかないってネットで聞いたから、普段着にしたけども……こんなんで白柳さんの隣に立って歩いていいもんかなぁ……」
『迷彩Tシャツ、黒のカーゴパンツ。あなたには似合いの服装ですよ。裏を返せばあなたに似合う服などそれ以外にないと言えます。盛大に恥をかけばよろしい、この裏切り者』
「僕がいつ誰を裏切ったっていうのかなぁ? そんなことより……あぁ、やっぱ不安だ。一万歩譲って服装はいいとしても、デートプランはどうしよう。本当にありがちだもんなぁ。夜景が楽しめるレストランとか予約してないし……」
『何年前のセンスですか。顔は童顔のくせして考え方がおっさんそのものですね、この精神的中年野郎。ついでに性癖も変態オヤジそのものです。全部露呈して嫌われてしまえばよろしい、この素股フェチ』
なんとなく罵倒が刺々しい。
おそらくジェラシーでも感じているのだろうが、知ったことか。
鏡に映る自分を気遣うような自己愛など、義人は持ち合わせていない。
そして緊張感で手が汗ばみ始めた頃、インターフォンが彼女の来訪を知らせた。
バタバタとした足取りで玄関へ行き、思い人を迎える。ドアを開いた先にいかなるオシャレをした彼女がいるのだろうと、戦々恐々としながら。
しかし――
「し、白柳さん、今日は、その、よろしく――」
言葉が、途中で止まった。
そうして濁った瞳を三回パチパチさせ、現実を受け入れる。
香澄の格好は、非常にインパクトが強いものだった。
なれどそれは彼女のハイセンスぶりに驚かされる、といったものではなく、むしろその真逆。
彼女の格好を解説しよう。
無地の白T、青いジーパン。
それだけ。
もう一度繰り返す。
無地の白Tと、青いジーパン。
それもただの白T、ジーパンでない。そのどちらもサイズが合っていないらしく、パツンパツンだ。胸、尻、足のラインがクッキリとしていて、非常に扇情的である。
とはいえ、ダッサイことにはなんの変わりもない。しかも上下共にかなり使い込まれているらしく、どちらもボロッボロだ。
ジーパンなどはダメージモノとして受け入れられるが、シャツについてはちょっとなんと言っていいかわからない。
されど恋は盲目。彼女のセンスを疑ったのも一瞬のこと。
「し、白柳さん……その服装、とってもよく似合ってるね! 白柳さんの格好良さに凄くマッチしてるよ!」
半ば焼けクソ気分で口にした称賛だが、あながち間違ってもいない。シンプルで男らしい服装は、香澄の武士然とした気構えに事実良く合っている。
褒め言葉を受けて、彼女は恥じらう様に長い黒髪を弄りながら。
「そ、そうか? そのような風に言われたのは初めてだ。どいつもこいつも私の服装を馬鹿にして笑うのだが……見る者が見れば、ちゃんとわかってもらえるのだな」
嬉しそうに「ふふふ」と笑う香澄。どうやら、これまでの経験をよっぽど腹に据えかねていたらしい。
なんにしても、彼女の機嫌がよくなった。スタートは最高と言えるだろう。
「じゃ、じゃあ、行こうか」
「うむ。本日は共に楽しもう」
爽やかに笑うと、黒髪の少女は、なんの気なしに義人の手を握った。
それも指と指を絡ませる恋人繋ぎで。
「し、ししし白柳さん!? な、何を!?」
「ん? デートを行う際はこうして手を繋いでいるもの、とユキヒメに教わったのだが……違うのか?」
「えっ、あの、その、ぼ、僕等の場合、こういうのは、違う、かな。うん」
「む、そうなのか。おいユキヒメ、話が違うぞ、どういうことだ。…………まぁ、確かに気にするようなことでもない、か」
納得した風になると、香澄は手を離した。
それを名残惜しく思ってしまうのは、自然なことだろう。だが、義人は首を振って邪な思いを払いのける。
――僕にはまだ、白柳さんと手を繋ぐ資格なんかないんだ。ちゃんと恋人同士になってからじゃなきゃ。
そう自分を戒めると、義人は思い人と並んで、目的地へと移動を始めるのだった。
明浄通り。
相楽駅からほど近い場所にある歩行者天国の名称だ。
この区画は十字の形状をした非常に広い道路を囲むように、様々な店舗が軒を連ねている。
その多種多様さたるや凄まじく、ここに行けば一日中遊んでいられると言われるほどだ。
それゆえ、明浄通りは地元住民から娯楽集積地帯という愛称で呼ばれ、親しまれている。
さて、そんな場所にある大型スーパーマーケット、シャンゼリオンにて。
ここはとにかく巨大だ。馬鹿馬鹿しいぐらい広大な土地面積の上に建っており、取り扱う品や施設は非常に多い。
で、そんなシャンゼリオンの内部にある映画館にて、義人と香澄は最新ムービーを鑑賞していた。
デートと言えば映画鑑賞が定番という発想のもと、最初の行事をこれにしたわけだが、見る作品を間違えたような気がしてならない。
互いに恋愛系の映画は好まず、アクションばかりを見るタイプであったため、今回はそういった作品をチョイスした。
さて、その内容についてだが、カラーズ犯罪に立ち向かう者達の奮闘を描いたアクションモノ、である。
こういう作品は正義のカラーズが犯罪者であるカラーズを追い詰めていく、といった王道的ストーリーが大半だ。そのため非常に娯楽色が強く、頭を空にして楽しめるのがウリなジャンルと言える。
が、この作品は少々プロバガンダな部分が目立っていた。
カラーズとは果たして正義の味方なのか。もしかするとベヒモス以上に恐ろしい化物なのではないか。そんなアンチカラーズ的テーマを内包した作品であったため、見終わった際少々気まずくなってしまった。
館内から出てすぐ、義人は申し訳なさそうな顔をして言う。
「なんか、あんまりよくなかったね、さっきの映画。ちょっと選択ミスだった」
「ん、そうか? 私は結構良かったと思うがな。アクション、俳優、ストーリー、全て十分楽しめる内容だったぞ」
「……気にしてないの? あの作品、カラーズとしては結構きつい感じじゃなかった?」
「所詮は創作物だ。あんな程度の内容で一々暗くなってはいられんさ。そんなことより、早く家電製品売り場に行こう。我が宝部屋の一員となる者と早く出会いたい」
大人びた美貌に幼子のような無邪気さを浮かべる香澄。そのワクワク感を体現するかの如く、切れ長の瞳が強く輝いている。
早足で目的地へと向かう彼女についていく。
道中、他の客達の視線がビシビシと突き刺さったが、このような注目はもはや慣れっこだ。
普段は彼女に加え、天馬まで並んで歩いている。その際の視線量ときたら、今の比ではない。
そんなこんなで、家電売り場へと到着。
「うーむ、眩暈がするような品揃えだ……はてさて、どれにしたものかなぁ」
顎に手を当て、楽しげに思い悩む。まるでペットを迎え入れる前の幼子のようだ。
「確か、新しいノートパソコンを買うんだよね?」
「うむ。今まで働いてくれていたのがつい数日前寿命を迎えてな」
「あ、もしかして、僕が遊びに行こうって誘った時白柳さんが悲しそうな顔したのって、パソコンが壊れたことを思い出したから、だったりする?」
「ん? ……あぁ、まぁ、そうだな。何せ一〇年連れ添った関係だ。悲しくもなろう」
「……一〇年?」
「あぁ。それがどうかしたか?」
「いや、その……白柳さんって、あんまり物を買い替えないタイプだったりする?」
「逆に問いたい。なぜ三年やそこらで買い替えるのが当たり前なのか、とな。私にとって備品というものは家族のようなものだ。やむを得ない場合を除けば買い替えることなど絶対にありえん。ちなみに、もし替えたとしても捨てるなどということはせんぞ。部屋の一員として加えたのであれば風化して砂になるまで共に居るべきだ」
「……白柳さん、もしかして買い替えどころかそもそも物を買うこと自体しないタイプ? 例えば二種類ぐらい購入したら延々それを愛で続ける、みたいな」
「そんな当たり前のこと、わざわざ聞かんでもわかるだろう? 後、二種類ではなく一種類だ。浮気などしたなら申し訳ないじゃないか」
「……白柳さんの部屋、色々と凄いことになってそうだね」
「ん? なんだ、見たいのか? 私の宝部屋が見たいと、そう言っているのか?」
香澄の面構えが、我が子を自慢する馬鹿親の様に緩む。
普段見せぬその表情に、義人は過剰なギャップを感じ、やや引いてしまった。
「え、えっと、見せてもらえるって言うなら、ぜひ」
「はははははは。しょうがないな。では今度、我が宝部屋へと招待しよう。いやぁその時が楽しみだ。天馬と椿さん以外に見せたことないものなぁ」
まるで自慢の品を見せびらかそうとするコレクターである。
おそらく、彼女の部屋は足の踏み場もないような空間なのだろう。
――白柳さんって、典型的なゴミ屋敷を作る人、なんだろうな。……あ、そういえば白柳さんの能力って創造だったっけ。
カラーズが所持する異能は、覚醒当時の人格をもとにした力となる。
香澄の場合、常軌を逸しているとしか言えぬ物依存が創造という異能として発現したのだと思われる。
思い人のゴミ部屋に招待してもらえる、という嬉しいはずなのに嬉しくない約束を取り付けてから、買い物が本格的にスタート。
で、彼女はたっぷり二時間悩んだ末に、ようやく新しい部屋の住人を決めたのだった。




