プロローグ三 純白の想い
六月一三日。午後六時三〇分。
所属駐屯地にて、白柳香澄は一人黙々と走り込みを行っていた。
「はっ……! はっ……!」
走行距離は既に一〇キロを超える。それもコースを走るのではなく、三〇〇メートルの円を何度も周回するという形。それゆえ肉体的にも精神的にも追い詰められ、もはや限界といった状態であった。
なれど、香澄は前進する。精神を蝕む甘えを振り払い、限界を超えた場所へと辿り着くべく走る。
そんな彼女の脳内に、相棒たるカラーフェアリー、ユキヒメが声を送って来た。
『最近、少々オーバーワーク気味ではないか? ひたすらに打ち込めばよい、というわけでもなかろうよ』
――かもしれん。が……私は弱いのだ。それを思うと居ても立っても居られなくなる。
『ふぅむ。香澄よ、ヌシ、上位討伐の件について必要以上の責任を感じてはおらんか?』
――責任に必要十分というものはない。何か悪しきことがあったして、その場に自分が居たとしよう。その事柄に対し己が何もできなかったとしたならば……自害を選びたくなるほどに己を恥じるのは、至極当然のことだろう。そして、それを払拭するには自己をさらなる高みへと押し上げねばならん。
『やれやれ。やはりそうであったか。香澄よ、人には向き不向き、適材適所というものがあるのだ。あの事態において、ヌシは適しておらんかった。それだけのことであろう』
「……そんな、風に……割り切れる、ものか……」
思わず、口に出していた。
もし自分に強大な力があったなら、上位を倒せていた。もっと短い時間で、事件を解決に導けていた。
そして、責任を感じているのは何も上位討伐に関してのみではない。
義人に関する一件もまた、あんなにもややこしい事態になったのは自分のせいだと恥じている。
前述した言葉を繰り返すが、もし自分に強大な力があったならば、あそこまでこじれたことにはならなかったのではないか。義人も天馬も暴走することなく、平和的に事を収めることができたのではないか。
そんな気持ちが、香澄の心を苛む。
守るということは、ただ受け身であればいいわけではない。今のままでは、受けるだけしかできやしない。
自分は盾であることに誇りを持っているが、単なる盾ではダメだ。
力有る盾。戦うことのできる盾でなければ。
『はぁ。香澄よ。己を追い込み過ぎるところが、ヌシの短所だぞ。もう少し気を抜くということも覚えよ』
――そうも言ってられん。次また上位が来た時、無様を晒したくない。
『上位の出現など滅多にあるものでもなかろう。ここに再び出現する可能性など、ほとんどゼロだぞ』
――そうだな。しかし、完全なるゼロではない。ならば、備えねばならん。ここは私のみならず、天馬と義人、それに椿さん。皆々が生まれ育った故郷だ。様々な思い出があり、これからも思い出をつくる場所。土地によって貴賤があるなどとは思ってはならんが……それでも、私にとってここは大切な土地なのだ。ゆえに、私はこの地に住まう者全てを守りたい。
思いつつ、友人の顔を脳内に浮かべる。
只野義人。彼はスケールの大きい人間になった。その強大なる力を用いて世界から哀しみを取り除くべく活動している。
それだけでも称賛に値するというのに、彼は自身の功績を一切アピールしない。むしろ自身を弱者として振る舞い、真の姿を隠そうとしている。
香澄にとり、そんな義人の態度は理想像そのものであり、尊敬すべき姿である。
――あいつにも、あの一件で何かがあったのだろう。ともあれ、義人は光そのものになった。私と同じ、いや、それ以上の守護者になったのだ。
『ふふ。随分と奴を買っておるなぁ。よもや、奴に惚れたか?』
――あぁ。今思いを告げて来たのであれば、即座に了承する程度には。
ユキヒメからの応答がなくなった。
なにゆえ彼女が絶句したのかは定かでないが、それは興味の埒外。
再び、香澄は義人について思いを馳せる。
――少し前まで、あいつは私の後ろに居た。しかし今や、遠い存在となってしまった。この距離を埋めねば、私の気が収まらん。……このままでは、胸を張って義人の友であり仲間だと言えんからな。
『……ヌシが以前の倍ほどの鍛錬を行うのは、それが理由か?』
それに肯定の意を返す。対し、ユキヒメは「……そうか」と妙に考え込んだような反応をよこし、沈黙した。
相棒の意味深な態度に、香澄は怪訝を覚える。が、すぐさま興味を失い、走るという行為のみに意識を集中させた。
白柳香澄は、気付いていない。
義人が自分と同じに“なってしまった”こと。それが決して、美徳ではないということに。
彼女が己の欠点に気付くのは、まだ先の話。




