非常に長く険しい序章 8
翌日、俺が最初にやったのは、家の確認だった。
俺の生活の基盤となる場所。どこに何があるのか調べないことには話しにならない。
で、結果。
この家には、五つの部屋ある。
一つは、俺が寝ていた部屋。
二つめは、玄関があり、机と椅子が一つずつ置かれている。
いわゆる居間だ。どちらも必要最小限のものしかない質素な部屋だった。
三つめは、電子レンジのある工房で、四つめは台所だった。
最後の一つは倉庫だ。
金属やら、何かの革やらがところせましと置かれている。
爺さんが話していたように、色々とそろっている。
しばらく生活に困ることはないんだろうな。
問題は、俺がこの世界のことを全然知らないことなんだが。
何を作ればいいのか。どこで売ったらいいのか。いくらで売ればいいのか。
やれやれ、だ。
家を探索してもう一つ分かったのは、21世紀の日本とこの世界の食料や文化の差が、さほど大きくはなさそうってことだった。
台所には釜や皿、スプーンが置かれていた。
机があり、椅子もあり、パンやソーセージのような肉の燻製もあった。
形は初見だが、緑色の野菜らしきものもある。
食事に関しては、作法は同じで、同じ動物や植物があるかは不明だが、肉も野菜もあるようだった。ちょっとほっとする。この世界の人間は、大地の気を吸って生きているとかだったら、本当にやばかった。
そして思い出せば、馬もいたし、剣もあった。嫌な話だが、戦争もある。
おそらく、細かい差異があるとはいえ、俺のいた世界とこの世界に大きな違いはないんだろう。少なくとも、人の営みという点に関しては。
日本には、カツアゲする不良はいても、人を殺そうとするゴブリンはいないからな。
しかし爺さん、家に置いていったものを見ると、着の身着のままで旅だったんだな……。
ワイルドなのか、大雑把なのか。とにかく、すげえ人なのは間違いない。
続いて、俺は街に出てみることにした。
人と出会わないことには何も始まらない、というわけで。
金と荷物を入れられそうなかばんを背負い、爺さんの指し示した道をくだる。
青い空に緑の大地。空気は澄んでいて、静かな場所だった。
なんか、普通に歩くだけでも気持ちいい……なーんて思ってたのも最初だけ。
行けども行けども街が見えてこない単調な道に、俺は嫌気がさしていた。
いつの間にか頭上にあった太陽は高度を下げ始めている。
遠いなあ。車が欲しい。もしくは馬。買えるか分からんけど。
それに、誰にもすれ違わない。
爺さん、どれだけ世を捨ててたんだよ。
ふう。
本当に彼の言うとおり『ずーっと』行かなきゃいけないみたいだ。遠くを見ると目の疲れがとれるって聞いたことがあるような気がするけど、それも限度があるよなー。
地平線が見えるぜ……。
結局、俺が街に到着したときには、すでに日が暮れていた。
街の灯りが見えたときは、不覚にも涙が出そうになった。これから、売り物を担いで歩いて行商なんてとてもできそうにない。何か、移動手段を探さないとだめだな。
大通りをざっと歩いてみたが、居酒屋のような店以外はみんな閉まっていた。
レンガ造りの家々に石畳の道と、中世ヨーロッパっぽい街並みを見ると、それも当たり前だよなって思える。日本の夜が遅すぎるだけなんだろう。二十四時間あいている、コンビニなんてものまであるわけだし。
ただ、感心したこともあった。
街が明るいんだ。
ガスや電気はないようで、俺がよく知っている背の高い街灯は見なかったけれど、代わりに、百メートルおきくらいに、ガラスでできた提灯のようなものが立っていた。高さは、俺の頭くらいだから、百七十センチくらいだ。おかげで、道を歩くのに不自由はなかった。それに、怖くない。便利だし、気がきいている。
治安は悪くなさそうだ。
「おい」
本当によかった。
「おいって」
いやー、平和って最高。
「お前、何、無視してんだよ」
う、やっぱごまかせないか。
俺の目の前にがらの悪そうなおっさん三人組が立ちはだかっている。短剣をちらつかせている。
治安が悪くないって思った瞬間にこれだ。俺、運が悪いのかな。
「俺たちを馬鹿にして楽しいか?」
「とんでもない!」
めんどいなとは思ってる。
ただ、すごんでいても、ヴァン爺さんの威圧感に比べたらはるかに弱々しいし、ゴブリンほどの殺意も感じられない。
「なあ、兄ちゃん。こんなとき、何がどうなのか、分かってるよな?」
三人ともひげづらで不潔そうだった。謎かけのようなセリフがかなりむかつく。
「この街は初めてなんで、あんまりよく分かんないっす!」
あえてはつらつと言ってみた。山賊みたいな顔をした三人に素直にしたがうのがしゃくだった。
「お前、俺たちを馬鹿にして楽しいか?」
喋っていない二人も「ああっ!」とすごんでいる。
「そのセリフ、さっきも言いましたよね?」
はっはっは、こういうときこそ、とびっきりの笑顔を見せてやるぜ。頬の肉が痛くなるくらい、口角を上げてみる。
「おとなしくしてりゃあ、つけあがりやがって!」
「おとなしい人は、そんなこと言わないでしょ?」
おっ、三人の顔が赤くなってきた。やべっ、楽しい。なんだろ。久しぶりに歩きすぎてハイになってんのかな。今なら、戦って勝てそうな気がする。ブランクはあるけど、実は心得がないわけではないし。
「ぶっ殺してやる」
ほら、来た! 距離を取って各個撃破してやる!
「やれるもんならやってみろ、ばーか!」
俺は振り返って走り出そうとした――が、何かにぶつかってしりもちをついた。
そのまま顔をあげると、ぬりかべみたいな巨漢と目があった。
そいつがにやりと笑う。
「四人でお前を囲んでたんだよ」
「なーるほどね。じゃあ、さっきの話に戻ろうか?」
「もう遅いんだよ、ばーか」
やばい。調子に乗りすぎて詰んだ。
負けるならせめて一撃でもと思っても、しりもちをついた体勢じゃ立ち上がることもできない。まいったね。
俺は目を閉じて身を固めた。
で、やつらの攻撃を待つ。
待つ。
ずーっと待つ。
全然、来ない。
俺は薄目を開けてみた。
四人目を背後に回しておくようなやつらだ。
俺が「大丈夫かも」と考えた瞬間に襲ってくるつもりなのかもしれない。
案の定だ。
目の前に二本の足が見えた。
まだ立ってやがる。
「大丈夫?」
けっ、心配したような声を出して、油断を誘うつもりだな。
「怪我はない?」
今からお前らが怪我をさせるんだろうよ。わざわざ女の声まで使って。
ん?
女の声?
あれ、さっきのメンツに女なんていたっけ?
三人のひげづらに、巨大なぬりかべ。
女に縁がありそうなやつなんて、いないなあ……。
薄目をちょっと広げてみる。
「死ん……だの?」
しかも、若い女性の声っぽい。本気で心配してるような気が……しないでもない。じゃあ、ばっと顔を上げてみるか? いや、それもハイリスクだよなあ。
「……埋めようかしら?」
あれ? 展開が急じゃないですか? もうちょっと俺のことを心配してくれてもいいんじゃないでしょうか!
「誰か来て! 死体の処理を手伝って!」
「待て待て待て待て待て! 生きてるよ!」
俺は叫びながら立ち上がった。当然、目を見開いて。
彼女を見た瞬間、俺には分かった。彼女は先ほどの四人の仲間なわけがないって。
あいつらには一生、縁がなさそうな女の子が一人、立っている。
あ、俺にも縁はないけどな。