非常に長く険しい序章 4
待てといわれて待つ馬鹿がいるか。
なんて、お約束なセリフを頭に浮かべつつ、俺は走った。
久しぶりに全力で走っているから、とっくの昔に息がつらい。でも、足を止める気はなかった。
すると、遠くに光が見えた。暗い暗い森の出口のようだ。やった。俺は逃げ切った。
「うひゃー」
喜びで声が出た。
「うひゃー」
久しぶりの光はきれいだなあ。
「うひゃー」
もう少しだ。もう少しで、外に出られる。
と、急に光が消え、人が現れた。
「まだまだかけっこでは負けんよ」
爺さんの満面の笑みで俺の救いの道をふさいだ。
「うひゃー」
俺は気絶した。
×××
自分でも夢を見ていると分かった。
幼馴染の女の子が、目の前にいるからだ。
黒くて長い髪に、白いワンピースの似合う優しくて上品そうな顔立ち。
初恋だった。
でも、彼女は十歳のときに「神隠し」に遭って姿を消してしまった。唐突な別れは、いまだに俺の中でくすぶっていて、結局、俺は彼女以外の人に本気で好きになったことがない。
彼女はそのときと変わらない姿で立っている。俺に微笑みかけていた。目線が一緒ってことは、俺も十歳のときの身長なんだろう。
「ユウヤと一緒なら、わたし大丈夫だよ」
彼女がよく言っていた。俺もだよ、なんて思っていても恥ずかしくていえなかった。いっておけばよかったと後悔してる。
彼女が行方不明になったとき、両親だけでなく、俺を含む友人たちは心配し混乱し泣いた。警察もテレビや新聞も大々的に動いたが、今も彼女は見つかっていない。
多分、この世にはもういないと思う。子供の頃は考えたくなかったが、さすがに十五年も経てば、社会人になれば現実を受け入れざるをえない。だから、最近は考えないようにしていた。どうせ、悲しくなるだけなんだ。
でも、夢の中でも久しぶりに会えてよかった。久しぶりにその笑顔を思い出せてよかった。
おかげで少し勇気が出る。右も左も分からない異世界に来ても、まだ頑張れそうな気がする。多分。
×××
目を開けると、美しい木目が見えた。
俺は横たわっているようだから、それは天井なんだろう。
身体を起こす。ベッドだった。ふかふかだ。気持ちいいが、どこだここは?
木造の家。
最低限の調度品しかないこの部屋。大きな窓から光が差し込んでいる。居心地がいいな。
こんこん。
木のドアを誰かがノックしていた。返事をする間もなく、ドアが開く。
あれ、このパターンは。
「おう坊主。目を覚ましたみてえだな」
やっぱり。爺さんだった。巨大な身体をかがめて部屋に入ってきた。設計ミスじゃないか、この家。
爺さんは、湯気の立ったスープと数切れのパン(だと思う)の載ったお盆を持っている。それを俺の横にある台に置いた。
「坊主、俺の声が聞こえてるか?」
爺さんの顔が、濃い。ソースのプールに入ったときより濃いな。
「聞こえてるか?」
ちょっと不機嫌そうになった。怖え……。
「聞こえてねえなら、殺すぞ!」
「いえ、聞こえてます、聞こえてます。こんにちは、こんにちは!」
「おお、そうか」
一瞬で笑顔に変わった。相変わらず濃いけど。
「さあ、食え。坊主のために用意した朝飯だ!」
断れそうにないし、思ったよりもいい人そうだ。
「いただきます!」
そうとなれば、遠慮せずに好意に甘えよう。
うまい。
スープは具がないんだが、コーンポタージュみたいな味だった。パンも、普段食べているものと味は同じ。異世界のようだが、トウモロコシとパンはあるみたいだな。
そういえば、言葉も通じている。俺、日本語をしゃべっているはずなんだけど。
「坊主、名前は?」
よく見ると、爺さんの口の動きと聞こえてくる言葉が異なっていた。
つまり、俺は爺さんの言葉を自動的に日本語に変換しているってことだ。そして、俺の言葉も通じているようなので、逆もまた変換されているのだろう。
多分、あの声がやったことにちがいない。助かるといえば助かるが、大事なことはそこじゃない。もっと俺に事情を説明することだろうに。といっても、どうせ俺の声が届くことはないだろう。神様ってのは、そういうもんだ。
「坊主、名前は?」
再度、聞かれた。OK。大丈夫、問題ない。色々と。
「カツラガワユウヤ、です」
「長い名前だな」
「親しい人はユウヤと呼んでいます」
「よし、ユウヤだな。俺はヴァン・カント。しがない鍛冶屋だ…今はな」
爺さん、もといヴァンはにんまり笑った。獲物に出会ったライオンだって、もっと柔和に笑うだろうにって思えるくらい、威圧的な笑顔だった。
「立てるか、坊主」
ユウヤはもう終わりかい。まあ、いいけどさ。紹介して損した気分。
「ええ、大丈夫です」
俺はベッドから降りた。おお、問題はなさそうだ。身体をひねってみるが、どこにも痛みはない。よし。だが、これからどうしたものか。
「坊主、気絶する前に記憶喪失だっていってたが?」
「はい、名前くらいしか覚えてません。どこでどうしていたのか、さっぱり分かりません」
「ふーん」
ヴァン爺さんは顔を近づけた。赤黒い顔が迫力満点だった。鼻息が顔にかかる。あのう、酒くさいんだけど。何かを探るように、俺を観察している。俺の嘘を見抜いた? でも、見抜いたところでメリットがあるとは思えないなあ。
しばらくうなっていたら、突然、顔を離し、彼は俺の肩をばしっと叩いた。
「よし、俺がなんとかしてやる!」
言葉はありがたいけど、肩がすんごい痛い。
「ついてこい!」
ヴァン爺さんはさっさと部屋を出て行った。ずっと自分のペースで動く人だよな。そんな行動がよく似合っている。戦うのが好きで謀略なんか考える気すら起きない武将って感じだ。
俺は彼の後を追った。
俺が寝ていた部屋の隣は、工房になっていた。
トンかチやらノコギリやら、多少俺の知っているデザインとは違っているけど、用途は見ただけで分かる工具がそこかしこに置かれている。そばには、材料にするらしき金属の塊が何個かあった。
「俺の仕事場だ。そして、お前の仕事場にもなる」
あーそういうことですか。妥当な線ですよねー。
鍛冶屋に保護されたから、鍛冶屋になる。
うーん、嫌だな。
俺、営業は嫌いだけど、そういう職人気質もないんだよね。それに、一から修行するのもなあ。
「すみません。気持ちは嬉しいんですけど……」
きっぱり断りたかったけど、ヴァン爺さんを怒らせたら、と思うとついつい物言いが婉曲になってしまう。
「なに!」
ほーら、やっぱり。遠まわしにいったって、大声を出すんだから。
でも、俺も引くわけにはいかないわけだよ。この爺さんに毎日怒鳴られながら生きていくくらいなら、路頭に迷ったほうがましだと思うし。死ぬかもしれないけど、きちっと言うしかないか。えいっ!
「俺、鍛冶屋とか、こつこつ技術とか積み上げてくの、だめなんです」
はは、言ってやった。言ってやったぜ!
岩みたいなこぶしで殴りとばされるかと思ったが、ヴァン爺さんの反応は全く違っていた。
「わははは」と、彼は豪快に笑い、「俺もだ」と親指をあげて見せた。なんだそれ。
「坊主、安心しろ。修行も何もない。鍛冶屋も昔と今じゃ使うものが違う」
ヴァン爺さんはそこら中にある工具を無視して、部屋の隅に立った。
「これだ、これ。これを使うんだ」
彼が指さしたのは、意外にもなじみ深いものだった。
四角い金属の箱で、正面には扉がついている。その横にはいくつかボタンがあった。
食べ物を温めるときに使う、あれ。
見間違えようがない。
電子レンジ。
こいつは、電子レンジだ。
序章が終わるまでは、毎日日付が変わるころに更新をする予定です。
序章だけで30回くらいあると思います。
お付き合いいただけると嬉しいです。