非常に長く険しい序章 11
ちょっと下ネタな回です。すみません…。
頭痛と吐き気で目が覚めた。
ベッドの中だが、爺さんの家ではなかった。
もっと生活感のない部屋。
ベッドの横にある机には、俺の持ち物が置かれている。
まだ頭がぼんやりする。
昨日はどうしてたんだっけ。
……。
…………。
なう、ろうでぃんぐ。
……。
…………。
………………。
あれ、そういえば。
今は俺一人だ。いたよなあ。もう一人。美の化身のような女性、いや女の子か。
「あっ!」
思い出した。居酒屋で酒を飲みすぎて、半ば意識がもうろうとした状態で会計を済ませたんだ。で、彼女に宿屋の前まで送ってもらって、別れたんだった。
そうかー。
楽しかったし、うまかったな。
異世界にいるとはいえ、思わぬ形で仕事から解放されたからかな。
いや。
いやいや。
元の世界に戻れないんなら、食い扶持を探さにゃあいかんじゃないか。
仕事から解放されたんじゃなくて、無職になって求職中ってだけかよ。
まじか。
うわー。
めんどくさっ!
いや、待てよ。求職中は正しくない。
俺は鍛冶屋なんだっけ。
道具も材料もある。物は用意できる。必要なのは、販路と相場感覚だな。地道に店を回って顔をつなぐと同時に、商品の価格を見ていけばいいわけだ。
……それって営業?
うはっ。やっぱりめんどくさいじゃないかっ!
うーん、もっと積極的に社会と関わっていかないといけないのかー。しかも、この世界の情報がなきに等しい状況なのに。この街の名前さえ知らないんだからな。サラリーマンの頃が懐かしいぜ。たった三日で、ようもこんなに変わったものだ。
現実が顔を出すと、急に金のことが気になってきた。
昨日の居酒屋でいくら使ったんだろう? 宿代はあったのか? 残金でしばらくは生活できるのか?
俺は貨幣の入っていた袋を手に取って、中を数えた。
金貨は一万イェン、銀貨は千イェン、銅貨は百イェン、そして鉛貨は一イェン。
結果、俺の手元にあるのは……二万五千九百イェン。
二万五千九百イェン……。
二、五、九……。
地獄?
ずいぶん使ったなあ、おい。
あんまりニート生活できなそうじゃないか。
あいつめえ。可愛い顔して、やるじゃないか。
つーか、名前さえ教えてくれなかったんだな。
ま、追われてるんなら仕方ないんだろうけど。
なにが、「かんぱーい」だよ。
それどころじゃなかったろう、お互い。
はー。
どうして俺、早口になってんだろ。
忘れよう。どうせ返ってこない金だ。俺は最初から地獄イェンしか持ってなかった。地獄に行ったとしても、それは既定路線だったんだ。
ふう。
それにしても、頭が痛い。
二日酔い、嫌い。
ぐあんぐあんした頭で、俺はベッドを降りた。着替えも荷物もない。後は出ていくだけだ。
俺がいたのは二階だったようで、さらに一階へ降りていく。
「おはようさん」
二の腕のたくましいおばさまが、俺ににっこりほほ笑んだ。
「おはようございます」
喋るたびに、脳がじんじんする。
ちくしょう……。
酒は好きなんだが、弱いんだよなあ。
「あんた、顔色悪そうだけど、行くのかい?」
おばさんは、セリフと裏腹にすげえ楽しそうだった。
「ええ、ちょっと行くところがあって」
これは、本当。俺はこれから市場調査に向かうのだ。でないと、鍛冶屋として生計が立てられそうにないわけで。
「お、そうなのかい」
また、おばさんが嬉しそうな顔をした。そして、どこからから小さな瓶を取り出して、俺に手渡した。
「じゃあ、これを飲みなさい」
「なんです、これ」
「ウ○コ」
「はい?」
俺は思わず、聞き返した。いやー、思っても聞き返しただろうな。
「だから、ウ○コよ、ウ○コ」
おばさん、朝から飛ばしてはくれてんのね。
「知らないのかい、二日酔いに効くクスリよ」
あ、なーるほど。おばさん特有の、翻訳機能ね。俺の母親も、プレイステーションのことをパーソナルステーションって話してたな、店員さんに。すまん、店員さん。
親切な俺としては、間違いは正さねばならん、という使命感にかられるわけだ。
「おばさん、それウコンでしょ」
「はあ? あんた、まだ酔ってんのかい? ウコンなんて言ってないわよ。これは、ウ○コよ。ウ・ン・コ」
あーあ、とうとうフルで言っちまったよ。隠しようがないじゃないか。
もう一度、反論してやろうと思ったが、ふとあることに気づき、別の質問をすることにした。
「おばさん、じゃあさ、排便したときにケツの穴から出るものは?」
我ながら、下品な質問だな。小学生以下だよ。
「そりゃ、ウンコだね」
下手すると激怒されるかなと心配したが、おばさん全然平気そうだ。
「え? 何?」
「うんこだよ。あんたも毎日出してんだろ? まーあたしは三日ぐらいまだだけどね。がっはっはっは!」
やべ。
要らない情報を手に入れちゃったじゃないか。
馬鹿だな、俺。本当に馬鹿。
でも、分かったこともある。
俺は今、おばさんの口の動きを見ていた。
俺の世界での「ウンコ」を言葉にしているとき、おばさんの口は全く違う動きをしていた。
つまり、この世界での「ウンコ」は、本当は違う呼び方をしているってことだ。
違う呼び方をしているにもかかわらず、俺の脳には「ウンコ」と変換されているわけでもある。
で、だ。
逆に、酔いに効くという「ウンコ」については、口の動きと「ウンコ」という言葉が連動していた。要は、この世界で「ウンコ」を指す単語は、酔いに効くものってこと。「ウコン」とは違うものなのだ。
いやだなー。
でも、おばさんを前にして飲まないわけにもいかない。頭も痛いし。
ウンコじゃない。それは分かってる。分かってるけど、恐る恐る瓶に鼻を近づける。
「くさっ!」
あれ? ウンコのにおい、するじゃん! 思いっきりウンチのにおいするじゃん! 俺の仮説、大崩壊かよ!
これはもう、伝わるように言うしかねえ!
「おばさん、これ、ウンチだよね。におい、おかしいよね!」
つい、声が強くなっちったよ。
おばさんも「あ?」と不機嫌そうに俺から瓶を奪った。
「まったく、これだから若いもんは。人の親切をなんだと思って……」
おばさんは、においを嗅いだ瞬間、顔をしかめた。
「あらホント! おじいちゃんね! おじいちゃん、これは便器じゃないって言ってるでしょ!」
何この、汚いやり取り……。
あーあ、おばさん、そのまま奥に消えちゃったよ。
彼女の怒声とそれに強く反論する老人の怒鳴り声が聞こえてくる。
きっとおじいちゃんだ。ふがふがしてて、なんて言ってるのか、全然聞き取れない。
でも、二人ともどんどんヒートアップしてる。
気まずい。非常に、気まずい。
出ていきたいんだけど、俺、宿泊料払ってないし……。
次第に、皿が割れる音とか、何かが倒れる音が聞こえてきた。
通行人がちらちら、こちらを覗いてるよ。
「なんか、あった?」なんて聞いてくるやつまでいた。知りたきゃ自分で見に行けよ。
そして、悲鳴がした。
「ぎゃー!」って「ぎゃー!」って。
で、ちょっと静かになった。
砂利道を歩くような音がして、おばさんが再び姿を現した。
手には包丁を持っている。赤い包丁を……。
「ごめんねー」おばさんが、にこにこと笑ってる。必要以上に愛想を振りまいてる。
どうしよう。
俺の膝も笑い始めたんだけど。
そんで、おばさんが一言。
「お代は、いいわよ」
ハートマークが見えた気がする。
わざとらしい。
でも……これに乗らない手はねえ!
「ああ、すみません。ありがとう、おねいさん!」
俺は平静を装い、ゆっくりとおばさんに背中を向ける。
なんか、凝視されているような気がするな……。
包丁、投げたりしないよな……。
駆け出したい気持ちを必死で抑えて、外へ出る。
「またおいで~」
どきっ。
心臓がはねた。
肩もびくついた気がする。
でも、もう振り返らずに歩いた。
心臓の鼓動は今も速くて強い。
少しまっすぐ歩いて、てきとうなところで曲がった。
「ふ~」
足が限界で、俺はその場にへたりこんでしまった。
「怖かったー」
空が青いなー。きれいだぜ。
生きてるっていいな。
おじいさんも、生きてるといいな……。




