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非常に長く険しい序章 10

「それって多い? ここで満腹食べて、今日は宿代に泊まれるかな?」

「ええ、大丈夫よ。あなたが人知を超える食欲を持っていなければね」


ほっとした。金はあるけど足りないとか、ホント嫌だったからなあ。でも、あまり食べすぎないようにしよう。


ここで、ウェイトレスが、メニューを持ってきた。


で、開いてみた。


うーん、やっぱりな。


料理の名前と金額が書いてあるんだろうけど、読めない。類推もできない。

俺はメニューをそっと閉じて、机に置いた。


「決まったの?」


彼女が聞く。警戒心が消えていて、ちょっと素っぽい。美少女と普通の会話。普通のディナー。こっちもデートしてる気分になっちゃうじゃないか! もう……。


でも、ここ異世界なんだよなー。


「君と同じものでいいや」

「私が何を食べるか知らないでしょ」

「知らないけど、一緒でいい」

「ふうん……」


彼女の目が細くなって、眉間にしわがよる。あーあ、もったいない。

そして、さようなら。はかなく一瞬で散った、俺のデート気分。


「そこは、互いに詮索なしの範疇ってことで」


苦笑いをしてごまかす。


「私がお金を出すわけじゃないから、いいけどね」

「払える金額にしといてよ」

「もちろんよ! 大食らいで卑しい人みたいにいわないで!」

「ごめんごめん、そんなつもりじゃないんだって」


いかん、つい謝ってしまった。怒ると結構怖いな、この子。


「じゃあ、私の独断で選ぶわね」


そういって、彼女はウェイトレスを呼び、あれこれ注文していた。

料理の名前は興味深かった。それらは、三つに分けられる。


「グアングアノモニム」「ポトトニママス」「ム」と、全く内容が分からないもの。


「マッケナイのソテー」「ガラのサラダマタラ風」「ロー麺フガクソースあえ」と、どんな料理なのか

は分かったもの。


「ニワトリのガンツ」「牛フィレのフニ」「金目鯛のアックザ」と、食材の名前は分かったもの。


特に気になるのは三つ目の、食材の名前が分かったものだ。同じ動物がいるということなのだろうか? 

ただ、注文を繰り返すウェイトレスの唇の動きを見ていると、どうも違う単語を言ってるっぽいんだよなー。

俺の頭の中にある翻訳機が「ニワトリ」に近い存在をそう訳してるだけって気もするんだ。


英語の「demon」に「鬼」って意味があるように、翻訳ってのは完全にイコールで表せるものじゃない。大意は伝えられても、ニュアンスのようなものは、その背景を深く知らないことには理解できないわけで。

でもまあ、要チェック単語なのは、確実だ。


……ってそういえば。この女、頼みすぎてないか? 何品頼んでんだよ! ニ品は飲み物だとしても、七品かー! 金、足りるよな……?


しばらくしてウェイトレスは先に飲み物を持ってきた。

こういうところは日本の居酒屋と同じだな。


黄金色の液体を白い泡で覆ったジョッキが俺と彼女の前に置かれた。


どう見てもビールだった。


いわゆる、生。


生ビール。


さっきのメニューの何にあたるんだ?


「ム」か? やはり「ム」なのか? 「ム」=「生」? むう……。


「なに、難しい顔してるよの」

彼女はすでにジョッキを持っている。


なんとなく、彼女の次の行動が伝わってきた。


これは、もうあれしかない。


居酒屋における神聖にして欠かすことのできない儀式。


それは、どの世界においても変わらないのだ。


俺もうなずいて、ジョッキを手にした。


そして――


「かんぱーい!」


ジョッキとジョッキをかさねる。


カチン、というさわやかな音。


その余韻が消えないうちに、ぐいとあおる。


「ぷはー!」


俺と彼女が同時に吐き出す。


「うまーい」

彼女は笑顔でいった。上唇に泡をつけてなお、いや、それがまた、彼女を美しく見せていた。すごい逸材だ。俺が芸能プロデューサーだったら、アイドルとして天下を目指したかもしれん。もったいない。


まあ、俺は全然違う分野の営業だったけど。


思わず彼女の美貌に見とれてしまったが、この飲み物はまさしくビールだった。ドライじゃない。まさしく生ビール。


言葉と同じように、舌にも翻訳機能がついていなければ、この世界にビールがあるってことだ。ビールがあるってことは、麦とホップとのどかな田園風景がよくにあう笑顔の白人のおっさんがいるってことだ。


全く知らない世界ではない。

少なくとも、俺が生まれ育った世界と俺以外にも関連がある。

そう知ることができたのは、大きなプラスだった。なんとか一人で生きていけそうな気がしてくる。


ああ、ありがとうビール。


今日ほど、君をうまいと思ったことはない。


「お待ちどうさまー」


ウェイトレスが料理を持ってきた。香ってくるのは、食欲をそそるものばかり。うん、実にうまそうだ。味付けも、俺の舌に向いていると期待しつつ、俺は食欲を解放した――


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