第弐話 時代遅レノ救世主
【第8地上防衛基地】
【傀儡】の操縦士を育成する為に、日本政府が急遽設立した育成機関。
現在、地上防衛基地は全部で12ヶ所存在し、それぞれの基地に訓練機の【傀儡】が10体程の存在する。
第1地上防衛基地設立から五年経つが、基地を卒業した現役操縦士は3000人程度である。
◇
『いやぁ、来ないで!
気持ち悪い!!』
【白燕・参式】に乗った土屋雲母は、近接格闘用ブレード【滅蟲刀】を振り回し、【陰蟻】からの攻撃を防いでいた。
辺りには大量の【陰蟻】の死体と、食い荒らされたような【傀儡】や基地の残骸が散らばっていた。
此処は、第8地上防衛基地。
いや…正確には、元第8地上防衛基地と言った方が正しいかもしれない。
この基地は、突如現れた【陰蟲】の群れによって壊滅してしまったのだから…
『よくも守本さんを…!
平崎さんを…!!
この!このぉ!!』
そんな状況下の中、雲母は近付いてくる【陰蟻】達と懸命に戦っていた。
今の雲母の感情を占めているのは、同僚が死んだ悲しみよりも、同僚を殺した【陰蟲】への怒りだけだった。
『返せ!
私の仲間を返せ!!』
だが、怒りというのはその人間に強靭な力を与える代わりに、冷静さを失わせる。
それは、雲母も例外では無い。
シュルッ!!
『…ッ!
腕が動かない!?』
雲母は焦りながら、【白燕・参式】の動かない腕の部分に視界を向けた。
【白燕・参式】の動きを邪魔していたのは、白い糸のようなものだった。
それは、一本の糸というよりは、何本もの糸を束ねたような形状をしている。
『…糸ッ!?
まさか!?』
雲母が糸の出所を確かめようとした瞬間、【白燕・参式】の腕に絡み付いていた糸が引っ張られ、雲母の機体は転倒してしまった。
『うぅうあぁぁっ!』
倒れた【白燕・参式】を手繰り寄せるように、その糸は容赦なく雲母と機体を引っ張り続ける。
雲母は必死に抵抗し、何とか糸から逃れようとした。
その過程で、雲母はその糸の正体を知ることになった。
『【陰蜘蛛】…ッ!!』
【陰蜘蛛】と呼ばれた【陰蟲】は、その名の通り蜘蛛に似た【陰蟲】だ。
しかも、その危険度は【陰蟻】よりも高い。
とても訓練生の雲母には、手に負えない相手だった。
雲母は必死に糸から逃れようとしたが、不幸にも【滅蟲刀】を持っている右腕が拘束されている為、糸を切り落とす事が出来なかった。
糸を外そうにも、糸が頑丈過ぎて不可能だった。
ギシッ…ギシッ…
『くっ…!
い、糸が外れない!』
『シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…』
雲母の乗った【白燕・参式】は、【陰蜘蛛】の糸にどんどん引き寄せられる。
雲母は何度もに逃走を試みたが、結果は同じだった。
『シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…シュウゥゥゥー…』
『い、いやっ…
私はまだ…死にたくないっ!!』
雲母の叫びも虚しく、【白燕・参式】はゆっくりと【陰蜘蛛】のもとへと引きずられていく。
そして、雲母が操縦する【白燕・参式】の腕部に【陰蜘蛛】の牙が食い込もうとしていた…
『誰か…助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
ズドッ…!!
突然、硬いもの同士がぶつかり合ったような鈍いし、雲母の乗ったは【白燕・参式】は地面に強く打ち付けられた。
『うわっ…!!』
雲母は何が起きたか分からず、鈍い音がした方向に視線を向けた。
そこには、殴られたような傷を負った【陰蜘蛛】と、何処かで見たような【傀儡】だった。
その【傀儡】は、一言で言うならば、飾り気の無い黒…
瀟洒なる漆黒の人形…と呼ぶに相応しい【傀儡】だった。
『あの【傀儡】は…【黒鉄】?』
【黒鉄】とは、一番最初に歩行に成功した【傀儡】と、その後継機の【傀儡】の名称だ。
人間でいう拳の部分を武器化している、近距離戦闘に特化している【傀儡】だった。
最新型の【黒鉄・漆式】は需要があり、【傀儡】の中でも高価な為、訓練所の保管庫には無かったはずだ。
『【黒鉄・漆式】じゃないとすれば、この機体は…』
『【黒鉄・零式改】だ』
『…え?』
不意に発せられた声に、雲母は思わず困惑してしまった。
まさか、その【傀儡】の操縦士が返答してくるとは予想だにしなかったからだ。
そんな事はお構い無しに、その声は続ける。
『【黒鉄】の記念すべき初号機である【黒鉄・零式】を、俺が軽く改造した傀儡】だ。
ステータスも最新機に負けず劣らず、整備も完璧さ』
『え…、え?』
『まあ、落ち着きな。
これで、【傀儡】の説明は以上だから。
さっさとコイツを叩き潰してやるさ』
そう言った【黒鉄・零式改】の操縦士は、今にも起き上がろうとしている【陰蜘蛛】に向かって身構えた。
『まっ、待って!』
『え、何だ?
哀れなコイツに同情か?』
『いや、そうじゃなくて…』
雲母は【白燕・参式】をゆっくりと起き上がらせると、一番気になっていた事を口にした。
『あなたは…誰?
ここの訓練生なの?』
『ああ、訓練生だ。
もっとも、整備ばかりに夢中で、ここでの成績は最悪だけどな…』
ちょうどその時、完全に起き上がった【陰蜘蛛】が、【黒鉄・零式改】に向かって突進してきた。
『あっ…!!』
『あーあ、まだ自己紹介してないのにさぁ…
本当に勝手な蟲さんだな!!』
【黒鉄・零式改】は、ふわりと身を翻して、あろうことか突進してきた【陰蜘蛛】の上に乗っかった。
『はい、じゃあね!』
メキシッ…!!
【黒鉄・零式改】の拳が振り下ろされ、大木がへし折られた様な悍ましい音が響いた。
音の出所を見ると、身体に巨大な穴が空いた【陰蜘蛛】が、今にも倒れようとしていた。
『ハッ、コイツもヘボいな!』
【黒鉄・零式改】は、【陰蜘蛛】の上から地面に勢い良く降りてきた。
それと同時に、【陰蜘蛛】の死体が地面に崩れ落ちた。
ドォォオオオン…
『す、すごい…』
雲母は目の前の状況に、自然と感嘆の声が出ていた。
自分が苦戦した相手を、こうも簡単に倒してしまうなんて…
今でも、にわかに信じ難かった。
『さてと、蟲さん達は始末したし…
やっと自己紹介ができるこったな!』
【黒鉄・零式改】の操縦士は、雲母の【白燕・参式】に向き直る。
『俺は、漣弘人。
ここの訓練生で、とりあえず整備士の資格も持ってるぞ』
『さ、漣弘人…?
まさか、あの時の…』
そこで彼が吐いた言葉に、雲母は驚かずにいられなかった。
目の前の【傀儡】に乗っているのが、本当にあの漣弘人ならば…
入隊後して一日も経たない内に、規則違反で地下牢に謹慎処分になった訓練生が目の前に居る事になる。
そんな訓練生が、何故この場に居るのか?
『お、お前は俺の事を知ってるみたいだな。
だったら、話が早いな』
『いや、君の事を知らない訓練生はいないと思うよ…』
『ああ、それもそうか。
そんじゃ、これからよろしくな』
そう言った弘人が乗った【黒鉄・零式改】は、雲母に背を向けて走り出した。
『あっ、ちょっと何処に…』
『何処ってなぁ…
生存者の確認と【陰蟲】の生き残りの抹殺に決まってるだろ?
基地がダメになったからって、生き残りが居ない訳じゃないしな』
『あ、そういう事なんだ…』
意外な返答に、雲母は少し驚いた。
とても謹慎処分になった人間の言葉とは思えない。
『お前も来いよ。
一人より、二人の方が色々便利だ』
『りょ、了解しました…』
『あはは、お固い言葉遣いはしなくて良いぜ?
えーと…名前は?』
『…私は、土屋雲母。
これでも、事前講習では成績二位よ』
『へええ、優秀だな。
まあ、所詮はシュミレート…実戦には弱いみたいだな』
『うぅっ…
面目ないです…』
『まあ、良いさ。
とりあえず行くぞ、土屋さん』
弘人はそう言うと、さっさと行ってしまった。
雲母は慌ててその後に続いた。
雲母は自分と同じ立場の人間と会えたのが、何より嬉しかった。
そのせいか、雲母の顔には自然と笑顔が受かんでいた。
『ああ、ちょっと!
待ってよ、漣君!!』
『えー…
何で君付けなんだよ?』
『えっ、だって…
固い言葉遣いじゃなくて良いって言うから…』
『だからってなぁ…』
『…ダメなの?』
『………もういいや、好きに呼べよ』
『うんっ!』
会話を一通り終えた二人は、目的地に向けてさらに歩みを進めた。
かくして、異色の二人による救命作戦が始まったのである。