第5話 僕の贈り物
う〜。なんだか今日は嫌な予感がする。
あくまでも予感なのだが、気分が落ち込む。
そしてこの寒さが更に気分を落ち込ませる。
鳥肌が立っている。指先も痛い。
風が強い為、体感温度も下がる。
いかにも冷たそうなグレーの石畳の道をとぼとぼ歩いていた。
俺は腕を擦った。吐く息は白い。
こんな日ぐらい太陽が出ていて欲しいものだ。
こんな道を歩く者は俺以外居ないようだ。
こんな寒い日だから外を出歩く人はいないのか?
再び寒さが襲う。
「う〜んと、手紙の受取人はこの辺に住んでるはずなんだけど……」
俺は仕事に戻るため、宛先を眺めた。
──レイス。この手紙の受取人の名前だ。
「うわあっ! 何!?」
俺が辺りを見回していたところ、何かがぶつかってきた。ぶつかってきたそれは、俺から離れようとしない。
なんだ? 変態か?
一体それが何なのかを確認しようと視線を下げた。
それは、子供だった。オレンジッシュイエローの髪を持つ……男の子だろうか、女の子だろうか……。性別は判らない。
「……あの〜? きみ?」
ようやくこちらに顔を見せてくれた。見た目は女の子みたいだ。彼女は目を瞬かせている。
俺を見つめたまま彼女は喋り出した。……しかも泣き顔で。
「お、お願い! それを僕に頂戴!」
「え? それは無理だよ。これは大切なものなんだ。君には渡せないよ」
「……で、でも僕、レイスだよ?」
手紙の宛名を見たのだろうか。そうであればレイスちゃんは非常に目が良いことになる。
俺は手紙を撫でた。そうすることで受取人のイメージが浮かぶのだ。
と、言っても差出人の想いから来るため、稀に間違っていることもあるのだが……
大丈夫。今回は間違っていない。
間違っていないのなら一刻も早く渡すべきだ。もちろん俺は小さなその手に手紙を置いた。すると、レイスちゃんは俺から離れてくれた。
「ありがとう」
人見知りが激しいのか俯き、呟くようにそう言った。
「どういたしまして」
レイスちゃんは早速封筒を丁寧に開け、手紙を読んでいる。
人が手紙を読んでいるのを見るのはなかなか面白い。読んでいる文章の方へと目は動き、だんだん柔らかい表情になっていくのだ。
レイスちゃんも徐々に穏やかな表情を見せてくれた。しかし直後、また硬い表情に変わった。
「あ、あの〜、……郵便屋さんは縫いぐるみって作れますか?」
彼女は躊躇いがちに言う。
「ん〜。残念だけど、俺には無理だよ。でも、何で縫いぐるみなんか……?」
「どうしても、あいつに渡したいんだ」
言いながら手紙を強く握り締める。きっと“あいつ”っていうのはこの手紙の差出人のことなのだろう。
「そっか。そういうことなら、人形作りのエキスパートを教えてあげるよ」
「え、えきすぱーと?」
彼女は“エキスパート”という単語の意味を知らない様ですね……。
「まあ、専門家ってところだよ」
「あ、ありがとう!」
再びレイスちゃんは穏やかに笑ってくれた。
……なんと言いますか、レイスちゃんは非常に運がよろしいようだ。
人形師は大体5年で店の場所を移す。自分が普通の人間とは違うことが露見しないようにするためだ。
今、人形師はちょうどこの近所に店を構えている。
レイスちゃんと歩くこと10分足らず、店が見えてきた。
歩いている間中レイスちゃんは一言も口を利いてくれなかった。
レイスちゃんは酷く緊張した面持ちでドアノブに手をかける。そしてそのままゆっくりと回しドアを開ける。しかし、何故かドアを開けるとすぐ俺の後ろに隠れてしまった。
「なんだ、アベルか……。何の用?」
「なんだって何だよ! それに、用事があるのは俺じゃなくて……」
俺は後ろに隠れているレイスちゃんに目をやった。
人形師にはレイスちゃんは俺の陰になって見えない。
人形師がレイスちゃんを一目見ようと右へ左へと身を乗り出す。が、レイスちゃんも俺の周りを動き回るので一向に見ることなど出来なかった。
「ああっ! もうっ!! いい加減にしやがれぇ!」
とうとう人形師がキレた。
人形師は怒りに身を任せ、鼠のごとく走り回るレイスちゃんの首根っこを掴んだ。それとほぼ同時にレイスちゃんは肩を竦ませる。
「あんた、私に用事があるんでしょう? 何の用かさっさと言いなさい!」
「えあ、えっと……。縫いぐるみの作り方を教えて欲しいんです」
「はあ!? アベル、なんでこんな面倒な客連れて来たの?」
人形師の怒りは何故か俺に向けられている。もしかして、“嫌な予感”はこれのことなのか?
「一応、こっちの仕事の一環でして……」
「まあ、いい。で、ちびすけ! 名前は?」
突然話を振られたレイスちゃんは驚いて跳び上がった。
「レイスです」
「レイス、か……。レイス、もっと堂々としな! アベルに女の子と間違われてるぞ」
「「え……?」」
人形師の発言に一同硬直するしかなかった。ようやく誰かが動いたと思ったら、レイスちゃん……くんの激しい詰問であった。
「郵便屋さん、僕のこと女の子だと思ってたんですか!?」
「あ、いや、あの、その……」
まともに返事できない。もし、ここで肯定すればレイスの怒りは増す一方だ。だからと言って嘘を吐く訳にもいかないし。
「まあまあ、落ち着きな」
人形師の助け船が出たか?
「元はといえば、お前がなよなよしてるのが悪いんだからさ」
うん。確かに俺の方は助かった。助かった……が、レイスの方にはかなりのダメージがある言葉だろう。
多少心配になりレイスの方を見ると案の定である。
“レイス撃沈”
この言葉が相応しいだろう。
「はは……は」
レイスの力ない笑い声が響く。放心状態のレイスは何をしても反応は無く、その虚ろな瞳に青空を映して突っ立っている。……少し哀れに見えてきた。
「まあ、でも教えてやるよ」
「ほ、ほんとですか!?」
人形師の一言で一瞬のうちにして解凍されたレイスは、初めて人形師と目を合わせた。
「但し、最後までやり抜くんだよ!」
「はいっ!」
「早速始めるよ! 中、入りな」
俺の予想通りレイスは人形たちの数の多さに圧倒されていた。
普通の人形がこんな風にずらりと並んでいれば、少々恐怖の念を抱く者もいるだろう。しかし不思議とここに居る人形たちは皆、何処か幸せそうで何処か嬉しそうなのだ。だから人々は恐怖の念などを抱く前に自然と顔が綻んでくる。そう、これが人形師の作る人形の特徴だ。
俺もこんな顔してたのかなあ。
「2人とも何やってんの? あ、レイス! 何の縫いぐるみ作るつもりなの?」
「え、えっと〜。クマかな?」
「曖昧だなあ。こっちが訊いてるのに訊かないでよ。いいから、早くおいで」
「はいっ!」
威勢のいい返事と共にレイスは奥へと消えていった。
……俺、なんか忘れられてないか? ……。…………。
おい! 俺は除け者かよ! う〜。
やることも無いので、人形たちを見ていることにした。
人形たちの声が聞こえる。頭に直接話しかけられているように声が響いてくるのだ。俺も元は人形だからだろうか……。
人形師は俺なんかよりもずっと凄くて、人形を作製している段階から声が聞こえる……らしい。本当かどうかは知らないが、それって……気持ち悪くないか?
人形師曰く、
「人形たちの声が聞こえた方が、要望をたくさん叶えられるから好都合だよ!」
……だそうで。
まあ、何であれ俺には関係のない次元の話だ。
「いっ!」
レイスの叫びが聞こえた。俺は慌ててレイスたちのいる部屋へと向かった。
レイスが叫んだ理由。それは針をぶすりと刺してしまっただけだった。結構心配したのに拍子抜けである。
当の本人は慣れない手つきで生地を縫い合わせている。見ていてかなり危なっかしい。
ここに居てもただ時間を無駄に過ごすことになるので、再びあいつらの話を聞いてやることにした。
何時間経ったのかは覚えていない。太陽が地平線に隠れ始めようとする頃、レイスは帰途についた。
翌日も太陽が完全に昇って間もない頃にやって来ては、夕方までこの店に居着いた。
そんな日が4日続いた。御陰で4日間も人形師が早起きした。これは驚異的なことである。
そして、ようやく縫いぐるみは完成したのだ。
フェルトで出来たその熊は縫い目が粗く、形も歪だ。お世辞にも綺麗だとは言い難い。……だけど、人形師の作る人形と同じように、どこか嬉しそうに見えた。
「郵便屋さん! これ、届けてよ。あ……でも僕、あいつの住所知らないんだけど……」
「大丈夫だよ。あの手紙の差出人に渡せばいいんだよね」
そうして差し出されたレイスの力作を受け取りながら、確認を取った。
レイスが言うことには、喧嘩別れしてしまった友達に贈る仲直りの印らしい。喧嘩したままレイスの友達は何処かへ引っ越してしまったそうだ。
レイス宛の手紙には、仲直りしたくて無我夢中で綴った想いが籠められていたのだ。
俺は大きくレイスが頷くのを見て、手を小さく振った。
──俺は想いを届けるためにこの場を立ち去った。
その後もレイスは人形師の店に毎日のように訪れていたらしい。
「弟子にして下さい!!」と、猛アタック。
そして俺は人形師に会うたび「お前の所為だ!」と、怒りの刃を喉元に突きつけられレイスの子守をする羽目に……。
……でも、人形師はレイスを嫌がっている訳じゃない。どちらかと言うと楽しそうだし。あの人は素直に表現するのが得意な方ではないのだ。
なんだかんだ言いながら人形師はレイスに様々な人形の作り方だって教えている。
ある時、俺はレイスの作ったウサギの人形を見せてもらった。そのウサギは、もう少し上手く作って欲しかったなあ、なんてぼやいていたのを覚えている。
レイスの修業はまだまだ続きそうだ──