第4話(3) ひだまりの歌
「それにしても、遅かったね〜」
…………。
追い出しといて、そういう言い方するなよっ!
でも、確かにその通りだ。
朝方に出かけた。そして現在はもう既に正午を過ぎている。
「ムーアちゃん達。お昼まだだよね?」
「え? うん。そういえば、まだだった。うう。急にお腹空いてきちゃった〜」
「そっか。じゃあ……」
何故か人形師はそう言うと、シャルーさんと見つめ合った。
……目と目で会話してる……ように見える。
…………っ!
まさか、そういう関係なのか?
「いでっ!」
いきなり加えられた衝撃に耐えられず、俺は前へつんのめった。
「今、馬鹿なこと考えてたでしょ!」
どうやら、人形師が後頭部を殴ったらしい。
しかも、グーで。かなり痛い。
「馬鹿なことってなんだよ!」
「私とシャルーが恋人関係にあるっていう仮定」
「なんで、分かるんだよ」
「私はあんたのお母さんよ!
あんたの考えてることなんて全部お見通しよ!」
「……はいはい。人形師さん、何に影響されたのかなあ?」
人形師に向かって思いっきり、シニカルな笑いを浮かべてやった。
「うん? 本屋で立ち読みした、とある小説」
人形師はその白い歯をいっぱいに見せてきやがった!
……なんか、なんか、負けた。そんな気がする。
「今、食べられそうな物、なんにもないんだよねえ。
だから、ムーアちゃんと買い物してくるね」
「え? 私も行くの?」
ムーアは突如自分の名前を呼ばれて呆然としている。
人形師は、そんなこともお構い無しで続ける。
「うん。一緒に行こうよ!」
「私と人形師さんだけ? アベルは一緒じゃないの?」
「ダメ。アベルはお留守番」
「え〜。何で? アベルと一緒じゃないと行かない!」
「我が儘言わないの。アベル、店番よろしくね!」
そうして、かなり無理矢理にムーアは連れ出された。
店に俺とシャルーさんが残った。
…………。
なんか、気まずい。
この沈黙が気まずい。
何か、……何か話題はないのか?
「あ、あの……、シャルーさん?」
「何だ?」
「えっと……その……」
「言いたいことがあるなら早く言え」
「……やっぱり何でもないです」
「そうか」
ああ。どうすればいいんだ?
「アベル君は、竜のことを知っているのか?」
「え、多少は知ってますけど?」
「お願いだ……。ムーアを助けてやって欲しい」
「…………。え? 何ですか? 急に」
シャルーさんは覚悟を決めるように、ゆっくり息を吐き、しっかり俺を見据えた。
そして俺の知らないムーアのことについて縷説した。
「そっか。ムーア、そんなことがあったんだ……」
「竜には長がいるんだ。竜の中で最も力の強い者だ」
「長には権力もあって、一番偉いということになっている。
しかし、竜同士の喧嘩や争いには手出ししてはならない。長の側近の者も同じく、禁止されている。
だから、早くムーアを助けてあげたかったが、それも出来なかった」
「なんか、シャルーさんが長みたいな言い方ですね」
シャルーさんは遠くを眺めているようだった。
「実際、俺が今の長だ」
「え……」
「…………」
「あはは。嘘でしょ」
「いや、本当だ」
「……。ええっ!?」
「そんなに驚かなくても……」
驚くに堪えた話だ。
「あ、あの……シャルーさん? その事は人形師やムーアは知ってるんですか?」
「人形師は、知らない。……筈だ。
ムーアも恐らく知らないだろう」
なんだか多種多様な感情でいっぱいになる。
それらをどう処理すべきか、俺は知らない。
ふと、窓を通して空を見た。
雨が絶えることなく降っていた。
ムーア達大丈夫かな? 濡れてないと良いけど。
それに、と不意にシャルーさんは話を切り出した。
「それにさ、きっとムーアは長になる。
長になるやつが冷たい心でどうするんだよ」
「まあ、それは確かに。
そんなんじゃ、守るべきものも守れませんしね……」
「そうだ。長の一番の役割というのは竜を守ることだ。
ただ……その為だけに存在しているようなものだから、それ以外のことではあまり役に立たないのだがな」
シャルーさんは苦笑する。
このとき初めてシャルーさんの笑った顔を見た。
但し苦笑だけど……。
「ムーアは君のことをいたく気に入ったらしい。
あの子は傷つけられて、誰も信用など出来なかった筈なのに。
アベル君、ムーアは君と出会って変わってきている。
少しずつだが確実に良い方向へ進んでいる。
だから、無責任なことを言うがムーアを……見捨てないで欲しい」
それから、堅く口を結んだ。
見捨てる?
そんなことする訳ないじゃないか!
そう、言い切りたい。
でもこれからのことなど誰にも分からない。
誰が何をするかなんて判らないのだ。
今、俺は全力であいつの力になってやりたい,助けてやりたいと思う。
「俺も、そうならないと良いと思います。
いや、ならないように努力します」
シャルーさんに笑顔を見せようと思った。
シャルーさんにも笑って欲しいから。
俺の持てる限りの力で笑った。
それを見て、シャルーさんもやっと安心したかのように笑ってくれた。
きっと、心の底から笑ってくれたんだと思う。
もう一度、多種多様な感情でいっぱいになった。
けれども今度はそれらを処理などする必要はない。
この気持ちをそのまま表現すればいいからだ。
声は出さないけど、自然と笑いが溢れた。
ふと、窓を通して空を見た。
先ほど降り続いていた雨は早くも止んでいた。
今ではその気配も感じさせないほど晴れ渡っていた。にわか雨だったのか。
地面が、雨が降っていたことを証明してくれる。
「アベル、ただいま!」
まるで太陽を象徴するかのように元気なムーアが帰ってきたのだ。
……少々五月蠅いような気もするが……。
その後からいつもと何等変わりのない人形師。
何故かドアを閉める動作はしないようだ。
「ねえ、来て!」
もう癖のようになっている、俺の服の袖を引っ張るという行為。
そうして、またムーアに外へ引きずり出された。
まぶしい。目がちかちかする。
目が明るさに付いて行けない。
「ほら、あそこ」
そう言ってムーアが空を指差した頃には、明るさに慣れていた。
指の示すものは空だ。
だが、普通の空ではない。
「あ……。虹だ」
俺は初めて虹を見た。
空にかかる虹の橋。鮮やかにその色を発していた。
「アベルは虹見るの初めてでしょ?」
ムーアは満面の笑みを湛えて俺の顔を見据える。
嬉々としている。よほど虹を俺に見せたかったのだろう。
「虹が出たこと知って、物凄い勢いで走るもんだから、付いていくのが大変だったよ……」
少し呆れた様子で言いながら人形師も外へと出てきた。
その後からシャルーさん。
美しい空色の中にぽっかり浮かぶ七色のアーチ。
俺たちはそれを見た。
決して触れることは出来ない。しかも、ほんの数分で消えてしまう。
そんな儚い存在。
だからこそ、美しいと感じるのだろう。
ふと地面のほうに目をやると、そこには花が咲いていた。
雨が降った為、沢山の雫を抱えていた。
照りつける太陽の下、黄色いタンポポが元気に咲いていた……
●○●○
「──ル? ─ベルったら! もう、アベル!」
…‥・声がする。
ムーアだ。俺を呼んでるのか。
「ん? どうしたんだ?」
「どうしたんだ? じゃないでしょ! さっきから呼んでるのに返事もないし。
ほ、本気で心配したんだからねっ!!
……自分から呼んどいて……」
そう言うムーアの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
やばっ。泣かせたのか?
ん? そう言えば今ムーア、自分から呼んどいてって…………
あ、そうだ。ムーアの落し物を探してたんだっけ。
ムーアの落し物、いつか俺が買ってやった緑のピンだ。
そうそう。俺はピンを見つけて、ムーアを読んだんだ。
「ムーア。ほら、これ」
「あ、あった! あった〜! あったよ〜!」
……喜び過ぎでは?
小躍りしてるし……
辺りを見渡せば、草原だ。
草の匂いが鼻につく。
くるぶし辺りまでしか伸びていない草が風に揺られている。
「ねえ、アベル? 本当にさっきどうしてたの?
体調悪いの?」
飛び跳ねることをやめたムーアは突如話しかけてきた。
「違う、違う! 思い出してたんだよ」
「? 何を?」
「昔のこと。ムーアと初めて会った時のこととか、そのピンを買ってやった時のこととか」
「そっか。気分が悪いとかじゃないんだね。よかった」
ムーアは心底安心したらしく、顔を綻ばせた。
「初めて会った時って何年前だっけ? 確か、100年くらい前だと思うんだけど……」
「ちがうよ! 103年前だよ!」
「お前、細かいな」
「そんなことない! アベルが大雑把過ぎるんだよ!」
ムーアは口を尖らせた。
う〜ん。もしかして、竜って細かいのか?
シャルーさんと人形師の間でもこんな会話が交わされたような気がする。
「それにしても、ムーア。
お前まだそのピン大事にしてたんだ……」
「当たり前でしょ! アベルがくれた物なんだよ!」
「そっか」
*
あのね、アベル。
最初会った時すごく暖かかったんだ。
アベルと一緒にいると暖かくて、アベルに触れるともっと暖かかった。
私、最初はその暖かさに慣れてなくて、なんだか居心地が悪かった。
でも、本当は昔触れたことのある暖かさだった。
そのことを思い出したとき、アベルの暖かさが居心地の良いものになっていった。
ずっと一緒にいたいと思った。
だって、私が本当に欲しいと思っていたのが実はこの暖かさだったんだもん。
人形師さんが自慢げに言ってた。
アベルは誰か心をあったかくする能力を持ってるんだ……って。
でも、アベル自身はそのことに気付いていない……とも言ってた。
私、アベルが居なかったらどうなってたか分からないよ。
アベルが居てくれて本当によかった。
アベルと一緒にいると自然と笑顔になれるんだ。
この心の声がアベルに届いて欲しい。
でも恥ずかしいからね、言えないよ。
ありがとう、アベル。
大好きだよ──
◇第4話完◇
みなさん、こんにちは。
ん〜。こんばんはかもしれませんね。
まずは、この作品を読んでくださってありがとうございます!
沢山の方に楽しんでもらえる小説になればいいと思います。
挨拶はこの辺にしておいて、少しだけ裏話でもしようかと思います。
実は、“ムーア人”という人達がいるとかいないとか……(どっちだよ!)
はい。います。いるんです!
別にムーアが沢山いる訳ではありませんよ。
ムーア人とはベルベル人の別名だそうです。
べっ…ベルベル?
ベルベル人とは、マグリブ地方の先住民らしい……
……マグリブ?
ああ、キリがないのでこの辺にします。
最後に、もしよろしければ感想を下さい!
宜しくお願いしますm(_ _)m