第4話(1) 雨の日のお茶会
どこにでもあるような街のどこにでもあるような雨の降る景色の中、一人の少女がとある店に入っていった。
店といっても表に【OPEN】と書いてあるプレートが掛かっているだけで、看板すらないため一体何の店なのか全く分からない。
そんな店の奥のほうから店員と思われる人が出て来て言った。
「いらっしゃいませ〜! どんなのがご希望ですかねえ」
それでも少女は俯き、黙り続けた。
不審がった店員は少女のほうへと近付いていった。
「どうしたの?
……雨宿りしに来たんだったらさっさと帰って欲しいな」
店員が少女の顔を覗こうとした瞬間、少女は突然店員の腕を掴んだ。
「人形……。人形!」
「は?」
「直せるんでしょ?」
「え……。まあ、ここは人形の店だからね。直せるけど……」
「だったら、こっち!」
少女は掴んでいた腕を強く引っ張った。
「痛っ! いででっ! そんなに引っ張らないで〜!
何? 何処行くの〜?
ちょっと〜!!」
そんな叫びは虚しくスルーされた。
少女は早足で雨の中を歩いて行った。
街の陰で彼女の栗色の髪が動きを止めた。
そこには、大量のゴミの山と一緒にちょこんと座っている人形があった。
しかし、人形は全体的に薄汚れていて、お世辞にもきれいとは言えない。
人形は人の姿をしていた。
そして全長は、少なくとも人形の前で立っている2人と同じくらいはあった。
人形の前に立っている2人の内の店員の方は、その人形を見た瞬間、身体を強張らせ、軽く手を震わせていた。
「え、なんで? なんで? ……アベリオ……だよね……?」
ほとんど声になっていないが、小さく、小さく、何度も呟いた。
少女はただ黙っていた。
そして沈黙は続いた。
雨は彼らを容赦無く叩きつけた
。
そんな時間が過ぎて行き、やがて少女が混乱状態に陥っている店員を見かねた様子で、ようやく口を開いた。
「ねえ。……これ……直せるんでしょ?」
「え? あ……。大丈夫。見たところ、汚れてるだけだから、特に直すって言うほどのことはしないよ」
少女の言葉で我に返った店員はあたふたと動き始めた。
「この子、店に連れて行くから手伝ってくれるかな?」
少女は黙ったまま了解の意を表した。
2人で店まで人形をせっせと運んで行った。
運んでいる間も沈黙は続き、雨がそこかしこでぶつかる音だけが静かに響いた。
店に戻ったとき、2人はぐっしょり濡れていた。
もちろん、人形も濡れているのである。
汚れが雨によって多少流されていた。
汚れが多少流されたその顔に涙が流れたかの様に筋が出来ていた。
まるで、泣いているかの様だった。
店員は少女にタオルを渡し、一旦外に出て行き、掛かっているプレートを裏返し【CLOSE】にして戻って来た。
「明日までにはきれいにするから、今日はもう帰ったらどうかな?
あなたに貸せるような着替えもないし、こんな所にいたら風邪引いちゃうよ」
その言葉を聞いた少女は黙って扉の前で少し立ち止まり、自分自身にしか聞きとれないほど小さな声で呟いた。
『帰る場所なんてないよ。ずっと前に失くしちゃったから……』
少女が見えなくなり、扉が閉まってから店員は少し悲しげな表情を見せた。
「いけないこと言っちゃったかな……。ごめんね、気付けなくて……」
店員には聞こえていたらしい。相当な地獄耳の持ち主のようだ。
店員はその表情を振り払うかのように首を振り、腕捲りをした。
「さて、人形師の本領発揮だねっ!
アベリオ、ごめん。人選ミスしたみたいだ。でも、すぐきれいにしてやるからな」
人形に話かけているその姿を見たらきっと訝しむ人もいるだろう。
雨の降る夜は過ぎて行き、雨こそ降ってはいないがどんよりと暗い朝が来た。
厚い雲の下、そんな天気に似つかわず、黄色のタンポポが元気に咲いていた。
晴れているのなら、東の地平線の方は赤く染まり、赤から青への綺麗なグラデーションを見せてくれる時刻だった。
そんな朝早い時刻、少女はあの店の扉の前で入るべきかと逡巡していた。
「もう来てるんでしょ〜? 早くおいでよ」
そんな少し気の抜けた声と共に扉が少し開き、その開いた隙間から顔が覗いていた。
店員こと人形師である。
扉の前でついさっきまで迷っていた少女は急に開いた扉に驚き、扉にぶつかりまいとする思いもあり2,3歩跳ぶようにさがった。
逡巡していた少女は、今はもうその迷いの欠片すら見せず店へと入っていった。
中に入ると少女はぐるりと店内を見回した。
そこにはマリオネット,姉様人形,関節人形,パペット,着せ替え人形,マトリョーシカ,ぬいぐるみ,菊人形,蝋人形,雛人形,キューピー人形,てるてる坊主,案山子など、とにかく人形と呼ばれるものはすべて揃っているようだった。
さらに、大きさも手のひらに乗るサイズから、一人では持ち運べないようなサイズまで様々だった。
「わあ……」
その量に圧倒されてか、感嘆の声を上げた。
人形師はずんずん店の奥の方へと進んで行った。
そして、人形に見とれている少女に声をかけた。
「こっちに来てごらんよ。アベリオ、すっかりきれいになったよ!」
「……あべりお……って何?」
「あ、言ってなかったっけ? あの人形の名前だよ」
この店で“あの人形”と言ってもどの人形かさっぱり分からないが、この場合昨日店までこの2人で運んだ人形のことである。
勿論、この2人はそんなこと、とうに分かっている。
「あの人形、アベリオって言うんだ……。……でもなんでそんなこと分かるの?」
「アベリオは、この私が作ったんだもん!」
なんだか、誇らしげである。
人形師は1つの扉の前で立ち止まり、少女を招き入れた。
ほとんど何もない部屋だった。
真ん中にぽつんとただひとつ、椅子が置いてあった。
椅子には人形が腰掛けていた。
昨日は汚れていて分からなかったが、少女と同じ栗色の髪を持つ人形だった。
今、この部屋には椅子に座っている人形と先ほど入ってきたばかりの少女だけが存在している。
「そんじゃあ、軽くなにか食べてくるから少しここで待っててね。
いやあ。起きたばっかで、実はまだ何も食べてないんだよ。
すぐ戻ってくるからね〜!
あうぅ。お腹空いたよう。」
そう言って、人形師はふらりとどこかへ行ってしまった。
…………
部屋に残された少女はしばらく部屋をぼんやり眺め、やがて視線をあの人形に定めた。
人形のその瞳から視線をはずさずゆっくり、ゆっくりと近付いていった。
少女が手を伸ばせば人形に触れることが出来るほど近付いたとき、人形師は戻ってきた。
しかし、部屋には入ろうとせず、ただその様子をじっと見つめていた。
そして、少女は手を伸ばし、人形の頬に触れた。
それと同時に物凄い勢いで人形から光が発せられ、そこにいた者はみな目を瞑った。
●○●○
『お前は……生きたいと思うか……?』
え……。誰……?
『お前は……生きたいと思うか……?』
え……それは……もし本当にそんなことができるのなら、生きたいと思う。
でも、それは……無理だ。
俺は人形でしかない。
『お前は……生きたいと願うか……?』
……うん。自分の足で歩いてみたいし、いろんなものにさわってみたい。
どんな味がするのか、どんな匂いがするのか知りたい。
たくさんやってみたいことがあるんだ。
『そうか……。ならば、お前の望みを叶えてやろう』
え……?
『但し、あの方を救うことを誓え』
“あの方”って、誰のこと?
『あの方はお前が生きることを強く望んでいる』
ねえ! 聞いてる? だから……あの方って……
『誓うのか?』
全然聞いてないね。
もう……分かったよ。誓う!
『そうか。しかし、お前はあの方が亡くなったとき消えてしまう。
そして、誓いを破ったり、あの方を欺いたりした時もまた消えてしまう。
それでも、いいのだな?』
消える……?
『人形のお前が生きる。その行為は人形として、度を越すというものだ』
あ、そっか。でも、別に俺は永遠の命を望んでいるわけじゃない!
『そうか……。ならば、よいのだな?』
ああ!
『よかろう。契約成立だ』
あ、待って!
『?』
最後に……あんたは誰なんだ?
『……私は“あの方”の力だ』
ちから……?
●○●○
気がつくと俺は立ち上がっていた。
「「え……ええっ!?」」
2人が同じように驚き、目を見開いていた。
1人は人形師。俺を作った人だ。
もう1人は俺を助けてくれた人だ。
「あ、アベリオ? アベリオなの?」
人形師が尋ねるので、大きく頷いてやった。
そして、俺は女の子に気になっていたことを尋ねることにした。
「ねえ、君。名前は?」
聞いた瞬間、彼女は目を瞬かせ、身を翻し走って逃げてしまった。
すぐに人形師と追いかけた。
そんなに聞かれたくなかったのだろうか?
逃げたと言っても店の中で逃げたので、もちろんすぐに見つかった。
あの子は、隠れていたつもりなのだろう。
棚と棚の間にできたわずかな隙間にうずくまり、ぴったりと収まっている。
俺が側に近付くのを察知すると、顔を隠すように埋めた。
……こういうとき、どうすれば良いのか俺は知らない。
あとから人形師は……?……!
「ありゃー。あとよろしくね〜!」
……一目散に逃げやがった。
仕方がない。
「あのさ〜。出ておいでよ」
「いや」
即答である。困った。
「俺、君になんかまずいこと言った?」
「うん」
またもや、即答である。
「じ、じゃあ、何が気に障ったの?」
「…名前……」
……やっぱり聞かれたくなかったのか。
でも、なぜだろう。
「ごめん……」
俺には謝ることぐらいしかできない。
しばらく誰も何も動かない時があった。
しかし、それは、甘い匂いによって破られた。
「ねえ。甘い匂いがするよ」
「え? そういえば、そうだね」
唐突に少女が話しかけてきたので、返事をした。
少女の言葉に賛同したのは良いが、“甘い匂い”とは一体どういう匂いなのか知らなかった。
なるほど、こういうのが甘い匂いというやつなのか。
「2人とも、お茶にしない? クッキーあるよ」
「クッキー?」
人形師の“クッキー”という単語に過剰反応して、あっさり隙間から出てきた。
よく分からない子だなあ。
人形師のあとについてダイニングへ向かった。
ダイニングには、クッキーの“甘い匂い”が立ち込めていた。
テーブルには、大きな皿に盛られたクッキーと3つのティーカップが置かれていた。
2人がもうすでに座っていたので、残っているところに座った。
俺が座ったと同時に声がした。
「おいしい〜!」
あの子がクッキーをほお張っていた。
人形師は、それを横目に見ながらゆっくり紅茶を飲んでいる。
この勢いだと、クッキーはすぐになくなってしまうだろう。
早く食べなければという焦りが出てきた。
予想通り、クッキーはあっという間になくなっていた。
3人でゆっくり紅茶を飲んでいた。
「……ムーア……」
「え? どうしたの?」
俺も人形師も全くその言葉が何を意味しているのか分からなかった。
「……名前……私の名前、ムーアって言うの」
「ムーアか……。いい名前だね」
心からそう思ったのだ。
ムーアは、自分の名前を褒められて嬉しそうに笑った。
これが俺が初めて見たムーアの笑顔だった。
ふと窓から外を見ると、雨が降っていた……