第3話 憎しみと心
お願いだ!! 頼むよ……。
男は懇願していた。
もう……やめてくれ。
俺はそんなねがいは叶えたくない。否、聞きたくない。
……気持ち悪い。
どこかへ行ってくれ。
男の発するその言葉が俺を破懐せんとする。
苦しい。 苦しい。
「やめてくれ。その仕事は引き受けることが出来ない」
「なっ。なんでっ!!」
男の声が頭に響き、頭痛へと変わる。
「お前がその手紙に怨みを込めたからだ」
「はい? な、何言ってるんだよ!! そ、そんな訳ないだろ! なにも分かってないのに、分かったようなこと言うな!」
この不快さはきっと、何故もっと早くここに来て、この人を助けてやれなかったのか……そんなことから来るものだろう。そして、使命,役割,あいつとの約束を果たせなかった自分に対する戒めでもあるようだ。
「おい! なんとか言えよ!!」
「悪いけど、少し休ませてくれないか?」
そう言ったことで初めて俺が気分が悪いことに気がついた男は、
「ど、どうしたんだ? 顔が真っ青だぞ? どこかで休んだほうが……」
などと言う。
だから、さっき休みたいと言ったのだが……。
「ああ。そうさせてもら……う……よ」
そこまで言って、俺は気が遠くなるのを感じた。
視界が歪み、音が消え、やがて視界も消えたのだ。
ただ、最後に見えそして聞こえたのは、あの男が
「おい! 大丈夫か? おい! しっかりしろ!」
と叫びながらこちらへ慌てて駆けてくるところだった。
俺は、重たい瞼を開けた。白い天井が見えた。
…………。……。
……。
ここは……どこだろう。
あたりを見回すと俺はこざっぱりした部屋にあるベッドで寝ているらしいことが分かった。
こざっぱりしていて、清潔感のあるこの部屋で状況がよく飲み込めず独り混乱していた。
俺がすっかり混乱した頃、どこからともなく“あいつ”が現れた。
“あいつ”とは、俺が雪の妖精を手伝うときに気温を下げるように頼んだ相手だ。
「ムーア……」
俺はあいつの名前を呼んだ。
ムーアは俺と同じ栗色の髪だ。ストレートで肩のあたりまで長さがある。前髪を少しだけ2本の細いピンで止めている。
ずっと気になっていたが、あのピンには髪を留める役割を果たしているのだろうか?
あのピンはムーアの髪をほとんど留めていない。
本人曰く『横から落ちてくるからこれでいいの!』だそうです……。
ムーアは、
「思ったより大丈夫そうね。」
と呟くと、苦々しく歪めていた顔を一気に笑顔に変えた。
そして……、
「えいっ!!」
「ふぎゃっっ!」
2つの相反する楽しそうな声とほとんど悲鳴に近い声が部屋に響き渡った。
ムーアは、思いっきり飛び付いたのだ。
「……。
………。
…………。
………………。
…ムーア……。飛び付くな」
ムーアは満面の笑みでこちらを見た。
うっ……。
子犬みたいな顔してこっち見るんじゃねえ!!
「え〜! 別にいいじゃん! アベルのケチ!」
関係ないが、ムーアも人間ではない。 そして、俺の【アベル】という名はムーアが付けてくれた。
急に話題を転換させる予兆のように真顔になったムーアは、さっきまでの言動が嘘のような落ち着いた口調で、
「本当に大丈夫? あんまり無理しちゃだめだよ。アベルはすぐ無茶するんだから……」
本気で心配したようだ。
これに、俺は笑って返事をした。
「アベルの無事も確認したし、そろそろ行くね!」
そう言って、ムーアは突然姿を消した。気付いたら居なくなっていた。
それとほぼ同時に男が部屋に入ってきた。
俺に手紙を渡すように頼んでいた、あの男だ。
今しっかり顔を見ると、優しそうな顔をしている。
「あ、起きたね。大丈夫かい?」
きっと性根は優しいのだろう。
あのときは、この人も必死になりすぎていた上に、俺もあの手紙を突き出されて、ちゃんと見ることが出来なかった。
「あ、大丈夫です!」
「そっか。よかった。無理させちゃたみたいでごめんね。私はグースっていうんだ。君は?」
「あ、俺はアベルです。ご迷惑おかけしてすみません。」
「いや。いいんだよ。気付かなかった私の方が悪いんだし……」
そんなことをしばらく話していた。
すると、時を報せるために働いていた時計が正午になったことを音で告げた。
と、いうことは俺がグースさんに会って倒れたのが真っ昼間だったのだから、カレンダーの日付を見るかぎり丸一日寝ていたことになる。
グースさんは、かなり気を使ってくれる。
「お腹すいたろう。何か食べれそうかい?」
「え、あ、はい」
「それじゃあ、今ホットケーキ焼いてるけど食べるかい?」
……焼いてる? 進行形だ。
確かに、ほんのり甘い香りがしている。
今焼いている。
ということは、この家にはグースさんの他に誰か住んでいるのだろうか。
いや。もしかすると、ここはグースさんの家じゃないのかも……。
グースさんは返事が返ってこないのを不思議に思ってか、俺の顔を覗きこんだ。
ほんのり甘い香りが俺の食欲を刺激する。
こんなの断れるはずがない。
俺の返事はもちろん
「それじゃあお願いします!!」
……と。
「それじゃあ、こっちへ来てくれないか?」
「あ、はいっ!!」
俺達はこの白い部屋を出た。
グースさんの後をついていった。
ついていくと、そこは昼間の太陽の光が差し込む明るい部屋。ダイニングキッチンだ。
キッチンの方で女の人がホットケーキを焼いている。この人はグースさんの奥さんだろうか?
ううっ。美味しそうなにおいがっ!
俺はグースさんに示されるまま、ダイニングの3つあるうちの1つの席に着いた。
女の人は今焼きあがったホットケーキを皿に乗せてこちらへ持って来た。
ほわほわと、焼きたてであることを強調するかの如く湯気を上げていた。
「はちみつとメープルシロップあるけどかけるかい?」
グースさんがたずねながら、蜂蜜とメープルシロップを持ってきてくれた。
メープルと蜂蜜どっちにしよう……。
どっちも捨てがたい。
悩んだ。
「じゃあ、……メープルお願いします」
グースさんは俺にメープルシロップを渡してくれた。
アツアツのホットケーキにとろとろのメープルシロップをかけた。
「いただきます!」
早速食べた。
「ん〜っ! おいしいです!!」
その言葉を聞いて嬉しそうに笑いながら女の人が
「ありがとう」
と言いながら紅茶を持ってきてくれた。
ダージリン? アッサム?
俺は紅茶には全く詳しくない。むしろ疎い。
そのため、残念ながら紅茶の種類は全然分からない。
ホットケーキをほとんど食べたころ、 グースさんは唐突に口を開いた。
「この手紙だけど、どうしても届けてくれないのかい?」
そう言いながらポケットから半分に折り畳まれた封筒を取り出した。
俺は、その頼みとその手紙を見て、食べる手を止めた。止めたというより自然と止まった。
あまりその手紙については触れられたくなかった。
俺はグースさんから目を逸らした。
しばらくの間この空間に沈黙がながれた。
そんな沈黙を破ったのは……
「もうっ!! 2人ともいい加減にしなさいよ! 見ててイライラする!!」
……ムーアでした。
って見てたのかよ!!
驚いた顔してどうしたものかと悩んでいるグースさん達。
なんだか得意顔になっているムーア。
前者には説明を、後者には質問をすることにした。
「グースさん! こいつは、ムーアっていいます。いきなり押し掛けてすみません。
ムーア! なんでお前はここにいるんだ! 『行くね』って言ってたんじゃないのかよ!」
「えへへ〜」
「……。また誤魔化しやがって……」
「だって、優柔不断なアベル見てたら放っておけないでしょ!」
そういいながら、残りの俺のホットケーキを一口で全部食べやがった。
「ああっ! 最後のホットケーキ!
しかも、断ってるんだからこういうの優柔不断って言わないし。
ホットケーキ返せ!」
そんな会話を呆気にとられながら聞いているグースさん達。
ふとグースさんが口を開いた。
「ところで、ムーアちゃん……だよね? 何処から入って来たんだい?」
ううっ。そこは流そうよ。
そんな俺の気持ちもつゆ知らず、ムーアはお構いなしで答えた。
「うーんと。何処からでも!」
「何処からでも??」
グースさん達は案の定不思議そうにした。
うん。これ以上話がこじれるとまずいな。たまに(?)ムーア単純だし。
話を逸らさないと!
「そっ、それよりムーア。なんでここに来たの? なんか理由があるんじゃないの?」
「はっ!! 忘れてた……」
忘れてたのかよ!
いっそこのままずっと忘れていて欲しい気もするが……
「でも、来たのは放っておけないからだよ。それと、そこのおじさんに喝をいれようと思ってさ」
おい! そこの見た目だけ小娘! 何故そんなに楽しそうにする。訳分からんぞ。
「はあっ!?」
「「え?」」
まずは俺。そしてグースさん達の声が重なった。
そしてムーアは一人、勝手に話し始めた。
「いい? おじさん! アベルにその手紙を届けろだなんて無理なこと言わないの!」
「無理? なんで無理なんだい?」
「アベルは人に楽しいとか、嬉しいとか、元気とかそういうものを伝えるために郵便屋やってるの!
人を苦しめたり悲しめたりするために手紙を届ける訳じゃない!!
だから、人を苦しめたり悲しめたりする手紙は届けられないの!
本当は届ける、届けない以前の問題なの!
ほんとは、本当はっ!
人を苦しめたり悲しめたりする手紙を目の前に出されただけでも苦しいのっ!
そんな手紙には、触れることすら出来なくてっ
でもっ!でもっ!
それでも、頑張って耐えてっ!
あんたがその手紙をアベルに押しつけても倒れるまで我慢してっ!
アベルはその手紙から逃げなかったんだよ!
あんたは、現実から逃げるのっ?」
「……ムーア」
ムーア。最初は普通に話していたのに、途中から涙声になり、泣くのを堪えるように最後はほとんど叫んでいた。
そして今、思い切り泣いている。
嗚咽をしている。
「おい。ムーア。そんな泣くなよ。お前が泣くことないだろ」
ムーアが落ち着くようにムーアに向かって笑いかけた。
「だって、だってぇ〜」
落ち着くまでもう少しだ。
ムーアの頭を撫でてやった。
女の人はムーアが落ち着いた頃、マグカップをムーアに渡してくれた。
気が利く人だ。
中身はホットミルクだ。
ムーアがホットミルクをすっかり飲むと、グースさんが、
「ムーアちゃん。ごめんね。それと、アベルくんも。
知らなくって。そんなのアベルくんの様子をよく見ればすぐ分かるのに……」
なんか、俺はついでみたいな言われ方されたんですけど……。
「私達には、2人の子供がいたんだ」
そう言いながら女の人に目配せした。
「男の子と女の子一人づつ。7歳と5歳だった。
あの夏の日の昼、2人は私と公園に行ったんだ。2人は夕方になるまで、汗だくになりながら遊んだ。
2人は家に帰る途中、私よりも前のほうをはしゃぎながら進んでいた。
そんなところに一台の車が突っ込んで来た。
運転手は2人の子供をひいた。でも、そのまま逃げた。
私は呆気にとられたよ。信じられなかった。
私はこども達のもとへ走った。
病院に着いた時にはもう既に2人とも死んでいたんだ」
そう言ってグースさんは俯いた。
自分のこども達を守れなくって悔しかったんだろうな。
悲しかったんだろうな。
グースさんは続けた。
「この手紙は、私達の大切なこども達を殺した人に宛てたものだったんだ。
アベルくんは誰にでも、どこへでも手紙を届けてくれるという噂を聞いたものだから。……」
俺はしばらく考えた。
俺が考えている間沈黙が続いた。
「その手紙は届けられないです。でも、……息子さんと娘さんに宛てた手紙なら届けられます!」
その言葉を聞いて、グースさんはすぐに元気になった。
「本当かい?!」
「はいっ!」
「それじゃあ、少し待っててくれないか?」
「はい。いくらでも待ちますよ。」
そして、他の部屋へ走っていった。
グースさんが駆けていってから2時間ぐらい経っただろうか。
グースさんは2つの封筒を持ってこちらへ走って来た。
そして、
「これを……」
と言って差し出した。
「息子さんと娘さんに届ければいいですね?」
「あ、ああ。頼むよ。」
「それじゃあ、ムーア。行こうか!」
「えっ! もう行くの? まだホットケーキ食べたかったなあ」
「……お前……。ひとの最後のホットケーキ食べときながら何言ってんだよ!
ほら、さっさと行くぞ!」
「「それじゃあ、お邪魔しました〜!」」
俺達はこの家の扉を出た。
その直後その家に2人の小さな笑い声が響いた。
◇◆◇◆
「君達にお手紙がきてるんだけど、受け取ってくれるよね?」
2人は頷いた。
さっき会ったばかりの俺達をまだ警戒しているのか、未だに彼らは喋ってくれない。
……もしかして、嫌われてたりして……。
彼らは俺が渡した手紙を隅々までしっかり読んでいるようだ。
読み終えた彼らは、笑顔満開で初めて俺に口を開いた。
「郵便屋さん! ありがとう!
お父さんに『お父さん! 頑張って!』って伝えて欲しいの!」
男の子がそう言った。
「私も! 『私、大丈夫だよ!』ってお父さんに伝えて欲しいです!」
今度は、女の子がそう言った。
もちろん、断る理由はない。
「じゃあ、ちゃんとお父さんに伝えておくね!」
◆◇◆◇
「「こんにちは! グースさん!」」
グースさんが出て来て、迎えてくれた。
「いらっしゃい。
アベルくん。ムーアちゃん」
グースさんは俺達をダイニングへ通した。
あのときと同じように、ムーアと俺はグースさんに椅子を指し示されたので席に着いた。
やはり、あのときと同じようにグースさんの奥さんがキッチンから出て来て、ホットケーキを皿に乗せて持ってきてくれた。
但し今度は2つ分。
この間、この家を出る時ムーアが『まだホットケーキ食べたかったなあ』とか言うから気を遣ってくれたのかもしれないな……。
だとしたら、悪いな。
俺達は手紙を2人のこども達に渡した後、グースさんに連絡をとって、また後日ここに訪れる旨を伝えたのだ。
グースさんはまた
「はちみつとメープルシロップあるけどかけるかい?」
と、尋ねてきた。
この前は、メープルだったので今回は、
「蜂蜜お願いします!」
ムーアも蜂蜜にしたいらしく、俺にはその動作の意味がよく分からないが、何度もゆったりと頷いている。
グースさんは蜂蜜を渡してくれたので、アツアツのホットケーキにとろとろの蜂蜜をかけた。
早速食べた。
「おいひい〜!」
普通に喋れっ!
それはともかく相変わらずおいしかった。
「おいしいです!」
奥さんは、
「ありがとう」
と言って嬉しそうにした。
俺がほとんど食べ終わる(ムーアはもう既に食べ終わっていた)頃グースさんは、
「なんで今日はここに来たんだい?」
その質問にムーアは、
「ホットケーキ食べに来たの!」
なぞと答えやがった。
馬鹿っ!
「おい! 馬鹿っ!! 阿呆ぅ!! 違うだろ!」
「えー。アベルは違っても私はそうなの!」
「……。
え、えーと……。今日は伝言を伝えに来たんです。
えっと……。
まずは、息子さんからの伝言です。『お父さん!頑張って!』とのことです。
続いて、娘さんからですが、『私、大丈夫だよ!』だそうです」
それを聞いて、グースさんはしばらく驚いていたので、俺はつい、
「そんなに驚かなくても……」
と呟いた。
グースさんは、
「あ、いや。実は、返事まで返ってくると思わなくって……。
ってことは、ちゃんと届いたんだ……」
「も、もしかして、俺が息子さん達に手紙を届けられること信じてなかったんですか?」
「実はと言うとそうなんだ……」
「…………。
じゃあ、なんで俺に手紙を届けるように頼んだんですか?!」
「いやあ……。本当に悪いと思うんだけど、気分だけでも、と思っ…て…」
「……………………」
「あー……。そのー……。でもー……。まあ……。
本当にありがとう」
俺にはその最後の言葉がすごく心地よいものに思われた。
「さて、じゃあムーア。行くぞ!」
「は〜い!」
今度は文句を言わなかった。
「お邪魔しました!!」
そう言ってその扉を出た。
◇◆◇◆
しばらくムーアと並んで歩いた。
すると、突然ムーアが、
「あの手紙。何が書いてあったんだろうね」
と言いだした。
「そうだね。何が書いてあったんだろう。……。でも、俺にとって、手紙の内容よりもあの人達の笑顔の方が大切だから……」
一生俺にはあの手紙の内容は分からない。けれども構わない。そんなこと別にどうでもいい。
でも、あの笑顔は一生なくしちゃいけないと思う。
だって、あんなにも煌めいているのだから……
◆第3話完◆