第9話:授業参観とプロジェクター、そしてニートの晴れ舞台
「断る。絶対にだ」
土曜日の朝。 俺は布団という名の絶対防衛圏(ATフィールド)に包まりながら、断固たる拒否の意思を示した。
枕元には、ランドセルを背負った結衣が立っている。 その手には一枚のプリント。『聖オメガ小学校 授業参観のお知らせ』。
「なんでだよぉ! 来てよお兄ちゃん! 今日、私が発表する番なんだよ?」 「俺は保護者じゃない。ただの隣人だ。それに、そんなハイソサエティな場所に行ったら、俺の『ニートオーラ』が浄化されて消滅してしまう」 「大丈夫だよ! お兄ちゃん、黙ってればイケメンだし!」 「黙ってれば、な」
結衣の両親は海外赴任中だ。普段は祖母と暮らしているが、祖母も今日は法事で来られないらしい。 だからと言って、俺が代わりに行くのは法的にどうなんだ。
「……そっか。分かった」
結衣が俯いた。 その肩が小さく震えている。
「みんな、パパやママが来るけど……私だけ一人でも平気だもん。……うん、行ってきます」
消え入りそうな声で言い残し、結衣が部屋を出て行こうとする。 その背中が、あまりにも小さくて、寂しげで。
「――あー、くそっ! 待て!」
俺はガバッと布団を跳ね除けた。 負けた。完敗だ。 世界中のファイアウォールを突破できても、十歳の少女の涙目には勝てない。
「行くよ! 行けばいいんだろ! その代わり、晩飯は特上ステーキだ!」 「本当!? やったー! 大好き、サトルお兄ちゃん!」
結衣が振り返り、満面の笑みでVサインを作った。 ……あ、これ騙されたな。演技だったな。 俺は深いため息をつきながら、クローゼットの奥から数年前に就活で使った(そして全敗した)リクルートスーツを引っ張り出した。
***
聖オメガ小学校。 そこは、俺のような人間が足を踏み入れてはいけない聖域だった。 校門には黒塗りの高級車が列をなし、校庭はゴルフ場のように整備され、すれ違う保護者はみんな「何とかのCEO」みたいな顔をしている。
「……帰りたい」 「シャキッとしてよお兄ちゃん! ネクタイ曲がってる!」
結衣に手を引かれ、俺は4年1組の教室に辿り着いた。 教室の後ろには、ブランド物のスーツや着物に身を包んだ保護者たちがズラリと並んでいる。 その中で、俺の安物スーツは明らかに浮いていた。
「あら、佐藤。本当に来たのね」
声をかけてきたのは、いつになくお淑やかな猫かぶりモードの西園寺アリスだった。 隣には、威厳たっぷりの中年男性――西園寺財閥の総帥であろう父親が立っている。
「……珍獣を見るような目で見るなよ」 「ふふ、頑張りなさい。私のペットとして恥ずかしくない振る舞いをお願いね」
小声で釘を刺される。 ふと窓際を見ると、宇佐美未羽が一人でタブレットをいじっていた。彼女の親は来ていないらしい。目が合うと、彼女は気まずそうにプイッと顔を背けた。
キーンコーンカーンコーン……。 チャイムが鳴り、授業が始まった。科目は『総合学習』。テーマは「私の将来の夢」。
生徒たちが順番に前に出て、プロジェクターを使ってプレゼンをしていく。 さすが名門校、小学生とは思えない流暢なスピーチが続く。
「私の夢は、父のような経営者になり、世界経済を――」 「僕は医師として、最先端医療を――」
保護者たちが満足げに頷く中、俺はあくびを噛み殺していた。 そして、いよいよ結衣の番が回ってきた。
「次は、佐倉さん。お願いします」
先生に呼ばれ、結衣が緊張した面持ちで教壇に立つ。 俺も背筋を伸ばした。頑張れ、結衣。
「は、はい。私の夢は……」
結衣がPCを操作し、プロジェクターに資料を映そうとした。 その時だ。
ブツッ。 プロジェクターの映像が途切れ、青い画面が表示された。
「あれ……?」 「どうしたんだ?」「故障か?」「大事なプレゼンなのに」
保護者たちがざわつき始める。 担任の先生が慌ててPCを操作するが、画面は固まったままだ。
「も、申し訳ありません! システムのエラーで……少々お待ちください!」
再起動しても動かない。 教室の空気が重くなる。 結衣が泣きそうな顔で立ち尽くしている。
「……これだから公立上がり教師は困るな」 「時間の無駄だ」
心ない保護者の声が聞こえる。 結衣の手が震えているのが見えた。 せっかく昨日まで、夜遅くまで資料を作っていたのを知っている。 それを、こんな機材トラブルで台無しにされてたまるか。
「――失礼。通ります」
俺は保護者の壁を割り、前に出た。
「えっ、あ、お客様? 困ります!」 「ITコンサルタントの佐藤です(大嘘)。ちょっと見せてください」
俺は先生を制止し、教卓のPCに手を置いた。 キーボードを叩く。 ……単純なドライバの競合エラーじゃない。校内LANを経由して、外部から負荷がかかっている。 意図的な攻撃? いや、これは――
(なんだ、ただのウイルス付きメールを職員室の誰かが開いただけか)
どこにでもある、初歩的なミスだ。 だが、このままでは復旧に三十分はかかる。授業が終わってしまう。
「……三十秒で直します」
俺の指が加速した。 カチャカチャカチャッ! 静かな教室に、高速の打鍵音だけが響く。 コマンドプロンプトを呼び出し、感染プロセスを強制終了。レジストリを修正し、ネットワーク設定を最適化して再接続。
ついでに、プロジェクターの色調補正と、フォーカスの微調整も行う。
ターンッ! 最後のエンターキーを叩いた瞬間、スクリーンにパッと鮮明な映像が戻った。 以前よりも明るく、クリアな画質で。
「……え?」
先生が目を丸くしている。 俺は何事もなかったかのようにPCから離れ、結衣の肩をポンと叩いた。
「お待たせ。……最高のプレゼン、見せてくれよ」 「――うん!」
結衣の顔に笑顔が戻った。 俺は席に戻る。 周囲の保護者が「あの男、何者だ?」「ただの無職みたいな顔をしておきながら……」とヒソヒソ話しているが、知ったことか。
結衣の発表が始まった。
「私の夢は、『誰かの支えになること』です!」
スクリーンには、美味しいご飯の写真や、綺麗に片付いた部屋の写真が映し出される。
「世の中には、すごーい才能があるのに、一人じゃ何もできないダメな人がいます。靴下も脱ぎっぱなしだし、偏食だし、すぐ夜更かしするし……」
……おい。 教室の保護者たちが、一斉に俺の方を見た気がする。気のせいだと思いたい。
「でも、そんな人が世界のために頑張れるように、一番近くで支えてあげる。それが私の夢です!」
結衣が胸を張って締めくくった。 一瞬の静寂の後、教室は温かい拍手に包まれた。 俺も、少しだけ目頭が熱くなるのを感じながら、精一杯の拍手を送った。
***
帰り道。 俺と結衣は、並んで夕暮れの通学路を歩いていた。
「へへ、どうだったお兄ちゃん! 私の発表!」 「ああ、最高だったよ。……俺へのディスり(悪口)以外はな」 「えー? 愛のムチだよ!」
結衣が楽しそうに笑う。 すると、後ろから高級車がゆっくりと近づいてきた。 窓が開き、アリスが顔を出す。
「佐藤。……やるじゃない」 「ん?」 「さっきの手際、パパも褒めてたわよ。『ウチの社内SEより優秀かもしれん』って。名刺を渡しておけばよかったわね」
それだけ言うと、車は走り去っていった。 さらに、電信柱の陰から未羽がひょっこりと現れた。
「……フン。あんなウイルス、ボクなら五秒で直せたけどね」 「はいはい、負けず嫌いだな」 「でも……まあ、ナイスフォローだった、とは言っておく」
未羽は顔を赤くして、すぐに走り去ってしまった。
「みんな素直じゃないねー」 「全くだ。……さて、約束のステーキを食べに行くか」 「うん!」
俺たちは手を繋いで(結衣が勝手に繋いできた)、商店街へと向かう。
だが、俺のポケットの中で、スマホが震えていた。 エヴァからの通知だ。
『マスター。先ほどの学校のシステム障害ですが……単なる事故ではありません。ウイルスの中に、例の『署名』が見つかりました』
俺は足を止めずに、画面を一瞥した。 ヨルムンガンド。 奴らは、学校のネットワークすら実験場にしているのか。
(……許さねぇぞ)
結衣の笑顔を守るためなら、俺は何度だってあの退屈なPC画面に向かってやる。 今日、あの教室で見せた「保護者」としての顔は、案外悪くないものだったからな。




