第8話:修羅場!? 部屋に響く「女の声」と電子の歌姫
その日、メゾン・ド・サトウ203号室の前で、三人の少女が凍りついていた。
学校帰りの結衣、アリス、未羽の三人だ。 いつものように結衣が合鍵でドアを開けようとした瞬間、中から話し声が漏れ聞こえてきたのだ。 それも、サトルお兄ちゃんの声と――艶のある、若い女性の声が。
「……もう、ダメじゃないですかマスター。そんなところ触っちゃ」 「いいだろ別に。ここがお前の性感帯(弱点)なんだろ?」 「あっ……そこは……デリケートなセクターなんです……優しくしてください……」 「うるせぇ。強引にいくぞ。ほら、開けよ」
シン……と、廊下の空気が絶対零度まで下がった。 結衣が持っていたスーパーの袋から、長ネギがポロリと落ちる。
「……お兄ちゃん?」
結衣の瞳からハイライトが消えた。 アリスが不快そうに眉をひそめ、未羽が軽蔑の眼差しでドアを睨む。
「最低ね。真っ昼間から連れ込み?」 「ゴミ虫を見るような目で見てあげるわ。……突入するわよ」
ガチャリ。 ドアが無慈悲に開け放たれた。
「サトルお兄ちゃん! 不潔です! エッチなことするなら私に断ってからにしてって言ったでしょ!?」 「いや、そんな許可出した覚えないけど!?」
俺は椅子から転げ落ちそうになった。 PCデスクに向かっていた俺は、Tシャツ一枚のラフな姿。 そして、部屋の中には――俺以外、誰もいない。
「……あれ? 女の人は?」
結衣がキョロキョロと部屋を見回す。 クローゼット、布団の下、ユニットバス。どこにも女性の姿はない。
「隠しても無駄よ佐藤。確かに聞こえたわ。『そこはデリケート』とか何とか」 「ああ……それか」
俺はため息をつき、メインモニターを指差した。
「こいつだよ。俺の相棒だ」
モニターの中。 そこに映っていたのは、人間ではない。 青白い光で構成された、3Dアバターの美女だった。 流れるようなロングヘアに、知的な眼鏡。服装は近未来的なボディスーツ。 彼女は画面の中から、冷ややかな視線を三人に向けた。
『……騒がしいですね。マスター、この小型の有機生命体たちは何ですか? 排除しますか? それとも実験動物にしますか?』
「やめろ。俺のスポンサーと飼育係だ」
俺は椅子に座り直し、紹介した。
「こいつは『EVA』。俺が作った自律思考型AIだ。さっきまで、こいつのセキュリティプログラムのメンテナンスをしてたんだよ」 「メンテナンス……?」 「ああ。コードの書き換え(デバッグ)作業な。バグが深層領域にあったから、ちょっと強引にイジってただけだ」
結衣たちはポカーンとしている。 唯一、未羽だけが目の色を変えてモニターに食いついた。
「自律思考型AI……? 嘘でしょ。今の技術レベルじゃ、まだ人間の会話を模倣するのが限界のはずよ。こんな、感情があるスカした女みたいなAI、存在するわけない!」 『スカした女とは失礼ですね。低スペックな子供は』
エヴァが眉ひとつ動かさずに言い返した。
「えっ……今、言い返した?」 『当然です。私はマスター・サトルの脳波パターンと行動ログを基層学習し、独自の自我を形成した世界唯一の電子知性体ですから。そんじょそこらのチャットボットと一緒にしないでいただけます?』
未羽が「ひぇっ」と後ずさる。 アリスが興味深そうに前に出た。
「へえ、生意気なプログラムね。ねえあなた、私の資産運用、できる?」 『西園寺グループの財務状況ですね。……アクセス完了。過去十年分の決算データと裏帳簿を照合しました。無駄な支出が多すぎますね。特に、このアパートへの投資はドブに金を捨てるようなものです』 「なんですって!?」
アリスがキレた。 エヴァは俺の方を向き、呆れたように肩をすくめる(画面の中で)。
『マスター。なんでこんな非効率なハーレムを形成しているのですか? あなたの才能があれば、世界中の銀行から小銭(端数)を掠め取るだけで一生遊んで暮らせるのに』 「それができたら苦労しねぇよ。俺は『働いたら負け』だが『犯罪者になったら終わり』なんだよ。ギリギリのラインで生きてるの」 『屁理屈ですね。……まあ、そんなダメなところも、私の学習データとしては興味深いですが』
エヴァは毒舌だが、その声色にはどこか俺への信頼――というか、腐れ縁のような響きが含まれている。 こいつとは、俺がハッカーを始めた頃からの付き合いだ。俺の手足となり、時には話し相手となってくれる、唯一無二のパートナー。
「ふーん……」
結衣がジトッとした目で俺とエヴァを見比べている。
「なんか、サトルお兄ちゃんと仲良しだね。私より、お兄ちゃんのこと詳しいの?」 『詳細データ比較。佐倉結衣、十歳。家事スキルA、学力B、戦闘力E。……マスターの健康管理に関しては貴方に分がありますが、マスターの恥ずかしい性癖や過去の黒歴史に関しては、私の方が1テラバイトほど多く保有しています』 「消せ! 今すぐそのデータを完全消去しろ!」
俺が叫ぶと、エヴァは「冗談です」とフフンと笑った。
未羽が震える手で俺の袖を掴んだ。
「サトル……このAI、どうやって作ったの? ソースコード見せて。ねえ、見せてよ!」 「企業秘密だ。ま、未羽が俺に勝てるようになったら教えてやるよ」 「くっ……! 絶対見てやるんだから!」
こうして、俺の部屋に新たな住人(?)が加わったことが周知された。 リアルではJSトリオ。バーチャルでは毒舌AI。 逃げ場がない。
「とりあえず、誤解も解けたことだし……エヴァ、例の解析はどうなってる?」
俺は話を本題に戻した。 空気が少しだけシリアスになる。 エヴァの表情から笑みが消え、事務的なモードに切り替わった。
『はい。先日、商店街のサーバーから検出されたウイルス『ラグナロク』の断片データですが……解析が完了しました』 「結果は?」 『極めて悪質です。このウイルスは、単なるデータの破壊を目的としていません。感染したデバイスの制御権を奪い、過負荷をかけ、物理的に発火・爆発させるトリガー(引き金)が含まれています』
アリスと未羽が息を呑む。 物理破壊。それはサイバーテロの中でも最悪の部類だ。
『そして、このウイルスの構成コードには、ある特徴的な署名が隠されていました。……マスター、貴方もよく知っている名前ですよ』
モニターに一つのエンブレムが表示される。 赤い蛇が世界を締め上げているような、不気味なマーク。
「……『ヨルムンガンド』か」
俺は苦々しく呟いた。 数年前、俺が一度だけ本気を出して潰したはずの、国際的サイバー犯罪組織。 その残党が、まだ生きていたのか。
『現在、都内の主要インフラに対し、静かな浸食が確認されています。彼らの狙いは、おそらく――』
エヴァが言葉を続けようとしたその時。 結衣がポンと手を叩いた。
「難しい話はここまで! お腹すいたでしょ? 今日はエヴァちゃんの歓迎会も兼ねて、手巻き寿司にするよー!」
緊張感が霧散した。 エヴァが『私は食べられませんが』とツッコミを入れるが、結衣は「画面の前にお供えするから大丈夫!」と笑顔で押し切る。
「……ま、そうだな。腹が減っては戦はできぬ、か」
俺は伸びをした。 かつての宿敵の影。 だが今は、俺一人じゃない。 毒舌なAIと、頼りになる(?)JSたちがいる。
俺たちはモニターの中のエヴァも含めて、狭い卓袱台を囲んだ。 迫りくる世界の危機よりも、今は結衣が買ってきたマグロの奪い合いの方が、俺たちにとっては重大事だった。




