第6話:特売の卵を守れ! 商店街サイバー防衛戦
土曜日の朝。 それは、一週間で最も神聖な時間である。 目覚まし時計をセットせずに眠り、太陽が高くなってから起き出し、二度寝の誘惑と戦う(そして大抵負ける)。 これぞ、ニートの特権。
だが、俺の安眠は、悲痛な叫びによって破られた。
「お兄ちゃん! 大変! このままだと破産しちゃうよぉ!」
ガバッ、と俺は跳ね起きた。 枕元には、涙目の結衣が立っている。手にはスーパーのチラシと、家計簿アプリを表示したスマホ。
「ど、どうした結衣ちゃん。まさか、親父さんの遺産が底をついたか?」 「違うよ! 見てこれ! 『スーパー玉出』のアプリがおかしいの!」
結衣が突きつけてきたスマホ画面を見て、俺は目を疑った。 そこには、今日の特売品である「Lサイズ卵1パック」の価格が表示されていたのだが――。
『価格:10,000円(税込)』
「……は?」 「一万円だよ!? 卵が諭吉さん一人分だよ!? これじゃ今夜のオムライスが作れないよぉ!」
結衣が半泣きで訴える。 確かに高い。インフレにも程がある。高級ブランドの卵でもそんなにしない。
「単なる表示ミスだろ? 店に行けば普通の値段で……」 「違うの! SNS見たら、レジもこの値段で通っちゃうって! 商店街のお店、みんな電子決済システムがおかしくなって大混乱してるんだって!」
俺の眠気が一瞬で吹き飛んだ。 商店街全域のシステム異常。 これは、ただのバグじゃない。
「……行くぞ」 「え? どこに?」 「決まってる。俺たちの食卓を守りにだ」
俺はジャージの上着を羽織り、PCではなく、タブレット端末を小脇に抱えた。 たまにはフィールドワークも悪くない。
***
徒歩五分の商店街は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「おい! 缶コーヒー一本が五千円ってどういうことだ!」 「レジが開かない! お釣りが全部五百円玉で出てくる!」 「自動販売機からお汁粉しか出てこないぞ!」
あちこちで怒号が飛び交っている。 原因は明らかだ。商店街が最近導入した、一括管理型のPOSシステムとIoTネットワーク。それが何者かにクラッキングされている。
「ひどい……。お肉屋さんも、八百屋さんも……」
結衣が青ざめる横で、俺はタブレットを展開し、商店街のフリーWi-Fiに接続した。 その時、背後から声をかけられた。
「あら、奇遇ね。あなたたちも買い物?」
日傘を差した黒服のSPを引き連れ、優雅に歩いてくる西園寺アリスだった。 こんな下町に似つかわしくないお嬢様ルックだ。
「西園寺さん! 買い物どころじゃないの、システムが……」 「知っているわ。私の買収したタピオカ屋も被害を受けているもの。……で、原因は特定できたの?」
アリスが俺を見る。 俺が答える前に、もう一人の少女が現れた。
「特定完了。攻撃元は、商店街の入り口にある『商店街振興組合』のサーバーよ」
パーカーのフードを目深に被った宇佐美未羽だ。 手には小型のノートPCを持っている。
「未羽ちゃん!」 「ボクも買い物に来ただけ。……たまたま、変なパケットが飛んでるのに気づいただけだから」
未羽はツンとすまし顔で言ったが、その指は高速でキーボードを叩いている。
「へえ、仕事が早いわね。じゃあ、サッサと直しなさいよ」 「言われなくてもやるわよ。見てて、Unknown。あんたの手なんか借りなくても、これくらい……」
未羽がエンターキーを叩く。 自信満々の表情。 だが――数秒後、彼女の顔色が変った。
「……え? 弾かれた?」 「甘いな」
俺は横から未羽の画面を覗き込んだ。
「相手はランサムウェア(身代金要求ウイルス)の一種だが、自己進化型だ。お前が送った修正パッチを学習して、即座に防御壁を更新したんだよ」 「う、嘘……。じゃあ、どうすれば……」 「力押しじゃダメだ。裏口がないなら、作ればいい」
俺は自分のタブレットを操作し始めた。 未羽のPCと同期させる。
「俺が囮になって敵のプログラムを引きつける。その隙に、未羽、お前がカーネル(中枢)に潜れ」 「えっ、ボクが? でも……」 「できるだろ? 俺に算数ドリルをやらせた度胸があるならな」
俺がニヤリと笑うと、未羽はハッとして、すぐに真剣な目に変わった。
「……分かった。やってやる!」
俺たちの指が同時に走る。 俺が派手な攻撃プログラムを連射し、敵の防衛システムの注意を引く。 その裏で、未羽が音もなくデジタル迷路をすり抜けていく。
「いけっ……!」
未羽の指が止まる。 中枢への侵入成功。正常な価格データのバックアップを上書きする。
『System Reboot... OK.』
商店街のスピーカーから、軽快な起動音が響き渡った。 レジの表示が、次々と正常な数字に戻っていく。
「直った! 卵が、198円に戻ったよ!」
結衣が歓声を上げ、俺たちに抱きついてきた。
「すごい! お兄ちゃんも、未羽ちゃんも、魔法使いみたい!」 「ふ、ふん。これくらい当然よ」
未羽は顔を赤くしてそっぽを向いたが、まんざらでもなさそうだ。 俺は肩を回して息を吐く。
「やれやれ、これで今夜のオムライスは安泰だな」
一件落着。 そう思った矢先、商店街の組合長らしきおじいさんが、困り顔で走り回っているのが見えた。
「こりゃいかん! システムは直ったが、誤作動中に発注してしまった大量の『激辛激マズもやし炒め』がキャンセルできん! これじゃ店が潰れる!」
物理的な発注ミスまでは、ハッキングでは消せない。 大量の在庫を前に、商店街の人々が頭を抱えている。
すると、アリスがSPにハンドサインを送った。
「全部買い取りなさい」 「「え?」」
アリスは涼しい顔でブラックカードを取り出した。
「その『激辛もやし』、全部私が買い取るわ。西園寺グループの社員食堂にでも配ればいいでしょう。――これにて解決、でよろしくて?」
商店街の人々から「女神様だ!」「西園寺様万歳!」という歓声が上がる。 アリスはふふんと鼻を鳴らし、俺たちを振り返った。
「技術で解決できない問題は、財力で解決する。これが大人のやり方よ」 「……小学生だけどな」
俺は苦笑した。 技術の俺と未羽。 生活と精神的支柱の結衣。 そして、圧倒的財力と権力のアリス。
(……案外、バランスの取れたチームかもしれん)
俺たちは戦利品(特売の卵と、アリスが奢ってくれた高級アイス)を手に、夕暮れの商店街を歩き出した。 その背中を、夕陽が長く伸ばしている。
だが、俺はタブレットに残されたログを見ながら、密かに眉をひそめていた。 今回のウイルス。 そのソースコードの深層に、奇妙な署名が残されていたのだ。
『Project: RAGNAROK - Test Phase 1』
ラグナロク。神々の黄昏。 単なる商店街のイタズラにしては、名前が仰々しすぎる。
(……ま、今は考えるのはやめだ。オムライスの方が大事だ)
俺は思考を中断し、結衣の「今日の晩御飯、楽しみにしててね!」という笑顔に頷き返した。




