第49話:最強ニートの休日、あるいは天使とのデートコース
日曜日の朝。 快晴。絶好の洗濯日和であり、そして――デート日和だった。
「お兄ちゃん、どうかな? ……変じゃない?」
玄関先で、結衣がくるりと回ってみせた。 淡いピンクのワンピースに、白いカーディガン。髪は少し巻いて、花のバレッタで留めている。 いつものエプロン姿とは違う、年頃の女の子らしい装い。
俺、佐藤悟は思わず息を呑んだ。 ……可愛い。破壊力が凄まじい。北極のビーム兵器より目に毒だ。
「……あー、うん。悪くない。……いや、すごく似合ってる」 「えへへ、よかったぁ!」
結衣が花が咲くように笑う。 今日は、先日の誘拐騒動のお詫びと、日頃の感謝を込めた「お出かけ」の日だ。 行き先は、結衣のリクエストで『水族館&ショッピング』。
「よし、行くか。今日は俺が荷物持ちだ。好きなだけ買い物していいぞ」 「うん! 行こう、お兄ちゃん!」
結衣が俺の腕にギュッと抱きつく。 柔らかい感触と、シャンプーのいい匂い。 俺はガチガチに緊張しながら、ドアを開けた。
――その背中を、リビングの隙間から三組の目が睨んでいたことを、俺は知る由もなかった。
***
「……行ったわね」 アリスがサングラスを装着し、立ち上がった。
「ボクたちの抜け駆けなんて許さない。……サトルはみんなの共有財産よ」 未羽がフードを目深に被り、小型ドローンを起動する。
「……マスターと結衣、交尾する可能性あり。阻止する」 セツナが全身迷彩色の服に着替え、サバイバルナイフを装備する。
「いい? 作戦名は『オペレーション・ジェラシー』。二人のデートを監視し、行き過ぎたイチャイチャが発生した場合は、物理的に介入するわよ!」 「「了解!」」
最強のストーカー部隊が結成された。
***
俺と結衣は、電車に揺られて湾岸エリアの水族館へやってきた。 日曜だけあって、カップルや家族連れで賑わっている。
「うわぁ、綺麗……!」
巨大水槽の前で、結衣が目を輝かせる。 青い光の中、色とりどりの魚たちが泳ぎ回っている。
「ほら、お兄ちゃん! あのエイ、笑ってるみたい!」 「本当だ。……あっちのマンボウ、俺みたいにやる気ない顔してるな」
俺たちは並んで歩いた。 普段は家の中でしか話さないから、こうして外を歩くのは新鮮だ。 結衣が楽しそうにしているのを見るだけで、俺の中の澱んだニート精神が浄化されていく気がする。
(……平和だなぁ)
そう思った時だった。
「……ムッ。あの巨大マグロ、美味そう。刺し身何人前?」 「しっ! セツナ、声が大きいわよ!」
背後の海藻オブジェの陰から、聞き覚えのある声がした気がした。 振り返るが、そこには誰もいない。 気のせいか?
「お兄ちゃん、次はイルカショーだって! 行こう!」 「お、おう」
俺は結衣に手を引かれてスタジアムへ向かった。
***
イルカショーの最中。 俺たちは最前列(水濡れ注意エリア)に座っていた。
「きゃあ! すごーい!」 イルカが高くジャンプするたびに、結衣が歓声を上げて拍手する。 その横顔を見ていると、ふと、先日の老紳士の言葉を思い出した。 『彼女は君の弱点だ』。
確かにそうだ。 今、結衣になにかあったら、俺は世界を敵に回してでも暴れるだろう。 だが、それは弱点であると同時に――
バッシャーン!! 着水したイルカが、大量の海水を客席に飛ばした。
「わぷっ!?」 俺はとっさに結衣を庇って覆いかぶさった。 背中に冷たい水が直撃する。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫!?」 「へっ……これくらい、北極の海に比べればぬるま湯だ」
俺が濡れた髪をかき上げると、結衣がハンカチを取り出し、甲斐甲斐しく俺の顔を拭いてくれた。
「もう……お兄ちゃんったら、かっこつけなんだから」 結衣が少し顔を赤らめて笑う。 その距離が、すごく近い。
ドキッとした。 これは、その、キスとかする雰囲気なのか? デート本(ネット検索)によると、ここが勝負どころだと――
ヒュンッ! どこからともなく飛んできたポップコーンが、俺の口にスポッと入った。
「もぐっ!?」 「……セーフ。キスの阻止、成功」 「ナイスコントロールよ、セツナ」
遠くの席で、一般客に紛れた怪しい三人組がハイタッチしていた。 ……あいつら、絶対あとで説教だ。
***
夕方。 水族館を出た俺たちは、海沿いの公園を歩いていた。 夕日が海面をオレンジ色に染めている。
「……今日は楽しかったね、お兄ちゃん」 結衣がベンチに座り、缶コーヒーを両手で包みながら言った。
「ああ。たまには外出も悪くない」 「私ね、ずっと不安だったの。私だけ何もできないから、お兄ちゃんの隣にいていいのかなって」
結衣が少し寂しそうに笑う。
「でも、お兄ちゃんが『必要だ』って言ってくれて……すごく嬉しかった。私、特別な才能はないけど、お兄ちゃんを応援することなら、誰にも負けないから」
結衣は俺の方を向き、まっすぐな瞳で言った。
「これからも、ずっとお世話させてね? 最強のニートさん」
その笑顔は、どんな天才よりも、どんなAIよりも輝いて見えた。 俺は照れ隠しに視線を逸らし、ボリボリと頭を掻いた。
「……バーカ。こっちこそ、頼むよ。お前がいないと餓死するからな」
俺たちは笑い合った。 手は繋げなかったけれど、肩と肩が触れ合う距離。 それだけで十分だった。
***
帰りの電車。 遊び疲れた結衣は、俺の肩にもたれて眠ってしまった。 俺はその寝顔を見守りながら、少し離れた席に座る変装した三人組(アリス、未羽、セツナ)に、音もなく口パクで伝えた。
『今日の夕飯、全員抜きな』
三人が「ええーっ!?」という顔をする。
窓の外、東京の夜景が流れていく。 俺の守るべき日常は、ここにある。 世界を救う戦いもいいが、この寝顔を守る戦いこそが、俺にとっての本当のミッションなのかもしれない。
――さて、明日は月曜日。 あの地獄の学校(職場)に行かなきゃならないのかと思うと、俺は結衣の頭を撫でながら、盛大なため息をつくのだった。




