第48話:才能という名の呪いと、世界一温かい「ただいま」
東京湾岸エリア。雨。 『聖マリアンヌ療養所』の厳重な電子ロックが、悲鳴のような音を立てて解除された。
「……セキュリティ、全ダウン。カメラ、センサー、全て掌握したわ」 車の中でタブレットを操作していた未羽が告げる。
「よし。行くぞ!」 俺、佐藤悟は雨の中へ飛び出した。 傘なんてない。ずぶ濡れになりながら、施設の正面玄関へと走る。
ガシャーン!! 強化ガラスの自動ドアが粉々に砕け散った。 先行したセツナが、飛び蹴りで強行突破したのだ。
「……邪魔。どいて」 ロビーにいた警備員たちが警棒を抜く間もなく、セツナの高速の打撃によって次々と床に沈んでいく。 殺してはいない。だが、二度は立ち上がれないだろう。
「荒っぽい訪問ね。修理費は西園寺家につけておきなさい」 アリスが優雅に(しかし足早に)続く。
俺は息を切らしながら階段を駆け上がった。 3階。特別室。 そこに結衣がいる。
***
バンッ!! 俺は305号室のドアを蹴り開けた。
そこには、ソファに座る老紳士と、パスポートを握りしめて俯く結衣がいた。
「お兄ちゃん……!?」 結衣が驚いた顔を上げる。
「やあ、意外と早かったね。もう少しゆっくり話をしたかったのだが」 紳士は慌てる様子もなく、ティーカップを置いた。
「……その子から離れろ」 俺は雨水と汗でぐしゃぐしゃになった髪を払いもしないで、紳士を睨みつけた。
「乱暴だね、佐藤くん。私は彼女の願いを叶えてあげようとしていただけだよ」 紳士は結衣に視線をやった。
「彼女は悟ったのだよ。凡人が天才の傍にいても、足手まといになるだけだと。君には君にふさわしいステージがある。……彼女のような『重石』は、君の翼を折るだけだ」
「……そうだよ、お兄ちゃん」 結衣が震える声で言った。 その目には涙が溜まっている。
「私、何もできないもん。ハッキングも、戦うことも、お金儲けも……。北極でも、ずっと守られてるだけで……」 結衣はパスポートを強く握った。
「私がいなくなれば、お兄ちゃんはもっと自由になれる。世界中のすごい人たちと、すごいことができるよ。だから……」
「……ふざけんな」 俺は低い声で遮った。
「え……?」
「『すごいこと』だと? 『自由』だと? ……勘違いするなよ、結衣」 俺は一歩ずつ、彼女に近づいた。
「俺が何のためにハッキング技術を磨いたと思ってる? 世界を救うためか? 人類の進歩のためか? ……違う!」
俺は叫んだ。
「『楽をするため』だ! 働きたくない、面倒なことはしたくない、家でダラダラしていたい! そのために俺は最強になったんだ!」
紳士が呆れたように眉をひそめる。 「何を言っているんだ君は。そんな低俗な動機で……」
「うるせぇ! 俺にとってはそれが全てだ!」
俺は結衣の目の前に立ち、彼女の肩を掴んだ。
「いいか、結衣。俺は天才かもしれない。だがな、生活能力はゼロだ! 洗濯機の使い方も怪しいし、栄養バランスなんて考えられないし、放っておけばカップ麺の容器に埋もれて死ぬ!」
「お、お兄ちゃん……?」
「未羽はプログラムしか書けない! セツナは破壊しかできない! アリスは金で解決しようとする! ……この部屋でな、『普通の生活』を維持できるスキルを持ってるのは、お前だけなんだよ!」
俺は一気にまくし立てた。
「お前がいなくなったら、誰が俺に『風呂入れ』って言うんだ! 誰が俺の偏食を叱ってくれるんだ! 誰が……冷え切った部屋を『家』にしてくれるんだよ!」
俺の目から、雨水ではない何かがこぼれそうになった。
「俺に必要なのは、高尚な議論ができる天才じゃない。……『おかえり』って言ってくれる、お前なんだよ」
結衣の目から、大粒の涙が溢れ出した。 彼女の手から、パスポートが滑り落ちる。
「……いいの? 私、ドジだよ? 何もできないよ?」 「それがいいんだ。お前がいてくれないと、俺は『人間』じゃなくなっちまう」
俺は結衣の手を強く握った。 温かい。 北極の寒さも、電子の海の孤独も、この温もりには敵わない。
「……帰ろう、結衣。カレーが待ってる」
結衣は泣きじゃくりながら、何度も頷いた。 「うん……っ、うん! 帰る! お兄ちゃんと一緒に!」
紳士がため息をつき、立ち上がった。 「……やれやれ。天才とは理解しがたい生き物だね。合理的判断よりも、情を選ぶとは」
その瞬間。 ドォン!! 紳士の横の壁に、セツナの拳がめり込んだ。
「……マスターを侮辱するな。次は、顔を狙う」 セツナが氷のような殺気を放つ。
「……いや、降参だよ。愛の力には勝てないね」 紳士は両手を挙げ、苦笑いしながら後退った。
***
帰り道。雨は小降りになっていた。 アリスの用意した車の中で、結衣は俺の服の袖を掴んで離さなかった。
「ごめんね、お兄ちゃん。心配かけて」 「ああ、本当に心配したぞ。寿命が縮んだ」 「ふふ……。今日の晩ごはん、お兄ちゃんの好きなもの何でも作るね」 「じゃあ、唐揚げ大盛りで」
未羽が呆れたように言う。 「まったく、サトルってば必死すぎ。あんな大声で愛の告白するなんて」 「なっ!? こ、告白じゃねぇよ! 生活の必要性を説いただけだ!」
アリスがにやにやと笑う。 「はいはい。そういうことにしておいてあげるわ。……でも、これで分かったでしょ? あなたの『聖域』がどこにあるのか」
俺は窓の外を見た。 街の明かりが流れていく。 世界最強のハッカーだろうが、100億ドルの賞金首だろうが、関係ない。 俺はただ、結衣の作る飯を食って、眠りたいだけなんだ。
アパートに到着する。 いつものボロアパート(要塞仕様)が、今日は輝いて見えた。
「ただいまー!」 結衣がドアを開け、明るい声で叫んだ。
「おう、おかえり」 俺は靴を脱ぎながら答えた。
キッチンから漂う、冷めてしまったカレーの匂い。 それを温め直す音が、俺たちの日常の再開を告げていた。
ヒロイン奪還、完了。 俺のニート生活(と、それを支える天使)は、今日も守られたのだ。




