第5話:最強ハッカーの部屋、JSの溜まり場と化す
午後四時。 それは小学生にとっての放課後であり、ニートにとっては「そろそろ起きないと社会的にマズい気がする」という漠然とした不安に襲われる時間帯だ。
俺、佐藤悟はPCの前でカップラーメンをすすりながら、平和を噛み締めていた。 昨晩の「ラビット」による襲撃以降、サイバー空間は静寂を取り戻している。 やはり『算数ドリル百問』の精神的ダメージは大きかったらしい。
「ふっ……子供が俺に挑もうなんざ、十年早いんだよ」
ズルズルと麺をすする音だけが、薄暗い部屋に響く。 だが、その静寂は唐突に破られた。
ピンポーン。 インターホンが鳴る。モニターを見るまでもない。
「サトルお兄ちゃん! 開けてー! お客さん連れてきたよ!」
結衣の声だ。 お客さん? 結衣の友達か? 俺は慌てて脱ぎ捨ててあったパンツを布団の下に隠し、ジャージの襟を正してドアを開けた。
「おう、おかえり結衣ちゃ……ん?」
ドアの向こうには、ニコニコ笑顔の結衣。 そしてその背後に、まるで親の仇を見るような目で俺を睨みつける、小柄なショートカットの少女が立っていた。 目の下のクマが凄い。どこかで見たような……いや、リアルで会うのは初めてのはずだ。
「紹介するね! クラスメイトの宇佐美未羽ちゃん!」 「……お邪魔します」
未羽と呼ばれた少女は、抑揚のない声でそう言うと、俺の許可も待たずにズカズカと部屋に入り込んできた。 そして、獲物を探す猛獣のように部屋中を見回し、PCデスクの前で足を止める。
「……トリプルモニター。独立電源のサーバーラック。そして、独自に改造された冷却システム」
未羽はボソボソと呟き、振り返って俺を指差した。 その指先は、怒りで震えている。
「やっぱり。あんたが『Unknown』ね」 「……はて? 何のことかな? お兄さんはただのゲーム好きだよ?」 「シラを切っても無駄。こっちは昨日、あんたのウイルスを解析して、署名の癖を特定したんだから」
未羽はランドセルをドン! と床に置くと、俺に詰め寄った。
「あんたのせいで! 昨日は深夜まで九九を唱えるハメになったんだからね! 『七六』って聞いただけで吐き気がする体になったらどうしてくれるの!?」
やっぱりコイツか! 俺は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。 昨日の『ラビット』の正体は、この目のクマが酷い小学生だったわけだ。
「えっと、未羽ちゃん? お兄ちゃんと知り合いなの?」
結衣がキョトンとして尋ねる。 俺は肩をすくめた。
「いや、ネットゲームでちょっとな。コテンパンにしてやった相手に似てる気がする」 「ゲームじゃない! これは戦争よ!」
未羽が噛みついた、その時だ。
バンッ! 玄関のドアが、ノックもなしに勢いよく開け放たれた。
「あら、随分と賑やかじゃない。私の許可なくパーティ?」
現れたのは、縦ロールの金髪に高級ブランド服を纏った大家、西園寺アリスだ。 背後にはいつもの黒服(SP)が控えているが、アリスは手で「下がってなさい」と合図し、優雅に入室してきた。
「げっ、西園寺さん……」 「『げっ』とは何よ、『げっ』とは。家賃滞納者に部屋を貸してあげている慈悲深いオーナーに対して」
アリスは当然のようにソファの中央(一番いい席)に座り、未羽をねめつけた。
「で? なんで根暗な宇佐美さんがここにいるのよ。ここは私の『出張オフィス』兼『休憩所』にする予定なんだけど」 「誰が根暗よ。あんたこそ、成金の匂いがプンプンして鼻が曲がりそう」
バチバチバチッ! 未羽とアリスの間で、見えない火花が散った。 天才ハッカー少女と、財閥令嬢。相性は最悪らしい。
そして、その真ん中でオロオロしているのが、世話焼きの結衣だ。
「も、もう! 二人とも喧嘩しないで! せっかくみんな集まったんだから、仲良くしようよ!」 「仲良く? 無理ね」 「同感」
二人は同時にそっぽを向いた。 ……カオスだ。 俺の安息の地である六畳一間が、JSたちの権力闘争の場になっている。
「あのさぁ、お嬢様がた。俺の部屋で勝手に派閥争いするのはやめてくれない? あと、俺は今から昼寝を……」 「佐藤悟!」
未羽が俺の言葉を遮り、ビシッと宣言した。
「勝負よ。もう一度、ボクと戦いなさい。今度は算数ドリルなんて搦め手はナシ。純粋なハッキング勝負で!」 「やだ。面倒くさい」 「逃げるの!?」 「逃げるが勝ち、働いたら負け。俺は省エネで生きたいんだよ」
俺があくびをすると、未羽は悔しそうに唇を噛んだ。 すると、アリスが口を挟む。
「面白そうじゃない。やりなさいよ、佐藤」 「おいおい、他人事だと思って」 「もしあなたが勝ったら、家賃を一ヶ月分……いえ、三ヶ月分待ってあげてもよろしくてよ?」
俺の目がカッと見開かれた。 三ヶ月分の猶予。それは、俺にとってのエリクサーに等しい。
「……ルールは?」 「ハッキングは地味でつまらないから却下よ。もっと分かりやすいのがいいわね」
アリスが部屋を見渡し、テレビに繋がれたゲーム機を指差した。
「あれでいいわ。格闘ゲームで決着をつけなさい」 「はぁ!? なんでボクがそんな子供だましの……」 「あら、逃げるの? 天才ハッカー『ラビット』様ともあろうものが、たかがゲームで?」 「っ……! 上等よ! ボクの動体視力と指さばきを見せてやる!」
未羽が挑発に乗った。単純なやつだ。 こうして、世界最強のハッカーと、その座を狙う天才少女の戦いは、なぜか『大乱闘スマッシュファイターズ(仮)』で行われることになった。
十分後。
「あああああっ! 汚い! 大人が遠くから飛び道具ばっかり撃ってきて恥ずかしくないの!?」 「勝負に汚いも綺麗もあるか! 勝った方が正義なんだよ!」
画面の中では、俺の使うキャラが、未羽のキャラを画面端でハメ殺していた。 大人気ない? 知ったことか。俺は家賃のために戦っているんだ。
「そこだ! 必殺、待ちガイル戦法!」 「うわぁぁぁん! 動けない! ボクのキャラが動けないー!」
『GAME SET! WINNER、SATORU!』
俺はコントローラーを高々と掲げた。 未羽はその場に崩れ落ち、涙目で画面を見つめている。
「……嘘よ。ボクの計算では、あと三フレーム早く回避できたはずなのに……」 「甘いな。俺はこのゲームに人生の三千時間を費やしている。一朝一夕で超えられる壁じゃねぇんだよ」
俺がドヤ顔で言い放つと、キッチンから麦茶を持ってきた結衣が呆れたように言った。
「お兄ちゃん、小学生相手に本気出して威張らないの」 「うっ……」 「宇佐美ちゃんも、泣かないの。はい、麦茶。あとプリンもあるよ?」
結衣が差し出したプリン(スーパーの安売り)を見て、未羽のお腹がグゥ~と鳴った。 彼女は顔を真っ赤にして、ひったくるようにプリンを受け取った。
「……今回だけは、認めてあげる」
未羽はプリンをもぐもぐしながら、ボソッと言った。
「あんたの技術は本物よ。ゲームも、ハッキングも。……だから、ボクが追い抜くまでは、ここに通って技を盗ませてもらうから」 「は? 通うの? ここにか?」 「当然でしょ。敵を知り己を知れば百戦危うからず、よ」
未羽はニヤリと笑った。その表情は、先ほどまでの陰鬱なものではなく、年相応の子供らしいものだった。
「私も通うわよ。オーナーとしての視察が必要だもの」 「私もご飯作りに来るね!」
三人の少女が、俺の部屋でくつろぎ始めている。 アリスはスマホで株価をチェックし、未羽は俺のPC環境を勝手に調べ始め、結衣は夕飯の献立を考えている。
……どうやら、俺の静寂なニート生活は、完全に崩壊したらしい。 しかし、不思議と嫌な気分ではなかった。 西日に照らされた彼女たちの姿を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
「まあ、賑やかなのも悪くない……か」
だが、この時の俺たちはまだ気づいていなかった。 この奇妙な共同戦線が、数日後に迫る「東京サイバークライシス」の最後の希望になることを。




