第45話:さよなら世界危機、こんにちはハンバーグ
『崩壊まで、あと60秒』
無機質なアナウンスが、死へのカウントダウンを刻む。 氷の要塞は断末魔のように軋み、天井からは巨大な氷塊が雨のように降り注いでいた。
「走れ走れ走れェェェッ!」
俺、佐藤悟は肺がちぎれそうなほど息を切らして走っていた。 足が重い。体力ゲージはとっくにマイナスだ。 だが、止まるわけにはいかない。後ろには、助け出した仲間たちがいる。
「うわっ!?」 瓦礫につまずき、俺は無様に転倒した。
「サトル!」 「マスター!」
未羽とセツナが駆け寄ろうとする。 だが、頭上から巨大な鉄骨が落下してくる。
――ダメか。
そう思った瞬間。 ドォォォン!! 鉄骨が空中で爆散した。 ゴローだ。彼が残ったミサイルで迎撃してくれたのだ。
「立て、アイン! 君が止まったら、誰が僕らを導くんだ!」 「……へっ、違げぇねぇ!」
俺はヴィアとドライに腕を引かれ、無理やり立ち上がった。 かつて研究所で競い合ったライバルたちが、今は俺を支えている。
「出口だ! 光が見えたぞ!」
ゲートを潜り抜け、俺たちは極寒の外へと飛び出した。 だが。
「……嘘だろ」
目の前の滑走路は、地割れによってズタズタに寸断されていた。 これじゃあ着陸も、離陸もできない。
『崩壊まで、あと10秒』
足元の氷が崩れていく。 眼下には、冷たい北極海が口を開けて待っている。 ここまで来て、終わりなのか?
ゴォォォォォォォォォッ!!!
その時、轟音が頭上から降ってきた。 漆黒の機体が、煙を上げながら急降下してくる。
「タクシーをご所望かしら!?」
機体スピーカーから、リオの声が響く。 彼女は着陸脚を出さず、機体の腹を氷の上に擦り付けるようにして、無理やりスライド着陸させた。 火花を散らしながら、ジェット機が俺たちの目の前でドリフト停車する。
「乗って! 全員!」
ハッチが開く。 俺たちは転がるように機内へ飛び込んだ。
「全員乗ったな!? 出せリオ! フルスロットルだ!」 「舌噛んでも知らないわよ!」
キィィィィィン!! エンジンが悲鳴を上げ、機体が再加速する。 滑走路はもうない。機体はそのまま、氷の崖から海へとダイブした。
「落ちるぅぅぅぅッ!?」 全員の悲鳴がハモる。
だが、海面スレスレで機首が持ち上がった。 水しぶきを上げながら、黒い鳥は再び空へと舞い上がった。
その直後。 ドォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!
背後で、氷の要塞が大爆発を起こした。 白いキノコ雲が空を覆い、衝撃波が機体を揺らす。 ゼロの野望も、俺たちの呪われた過去も、すべてが氷の海へと沈んでいった。
「……ふぅ」
俺はシートに深々と体を預けた。 窓の外、爆煙の向こうに、微かに太陽の光が差し込んでいた。
「終わった……のか?」 「ええ。完全に消滅したわ」 アリスが紅茶(ポットごと持ち込んでいた)を震える手で注ぐ。
機内には、助け出されたOriginal Sevenのメンバーと、俺たちチーム・サトルの面々。総勢十名以上がひしめき合っている。 狭い。汗臭い。 でも、みんな生きて笑っている。
「……お疲れ様、お兄ちゃん」 隣で結衣が、俺の肩に頭を乗せて眠っていた。 その寝顔を見て、俺はようやく実感が湧いた。
俺たちは、日常へ帰れるんだ。
***
数週間後。 日本、とある街の一角。
テロリストに破壊され、その後100億ドルの賞金首騒ぎでボロボロになったアパート『メゾン・ド・サトウ』は、跡形もなく消えていた。
代わりに建っていたのは、外見は以前と全く同じボロアパート。 だが、その壁は対戦車ミサイルにも耐える特殊装甲、窓ガラスは防弾仕様、地下にはスーパーコンピューター室を完備した、要塞仕様の物件だった(アリスのポケットマネーで再建)。
203号室。 狭いリビングは、人口密度が限界突破していた。
「ほら、ヴィア! 唐揚げ取りすぎ! 私の分がないじゃない!」 「早い者勝ちでしょアリスー。文句あるなら課金して唐揚げ追加すれば?」 「くっ、この配信中毒者が!」
アリスとヴィアが箸でチャンバラをしている。
「……この煮物、計算通りの味付けだ。完璧な黄金比率……」 「でしょドライ君? でも、隠し味は『愛情』だから計算できないよ?」 「……非論理的だ。だが美味い」
ドライが未羽に料理の講釈を垂れている。
「……マスター。あーん」 「おいセツナ、自分で食え。俺は今、ゲームで忙しいんだ」 「やだ。マスターの手で食べたい」 「甘えるな! ……あー、もう、口開けろ!」
セツナが俺の膝の上(定位置)を占拠している。 ゴローは巨体を小さくして部屋の隅でニコニコとお茶を飲み、他のメンバーも思い思いに寛いでいる。
ゼロが消滅したことで、100億ドルの懸賞金システムもダウンした。 俺たちは再び、ただの一般市民(一部天才含む)に戻ったのだ。 Original Sevenの連中は、アリスのコネで新しい身分を手に入れ、それぞれ勝手に社会に溶け込んでいるらしいが、こうして飯時になると集まってくる。
まったく、騒がしいにも程がある。 俺の静かなニート生活はどこへ行ったんだ。
「はい、お待たせ!」
エプロン姿の結衣が、巨大な皿を持ってキッチンから現れた。 湯気を立てる、山盛りのハンバーグ。
「約束の特製ハンバーグだよ! みんなで食べよう!」
わぁっ! と歓声が上がる。 俺はコントローラーを置き、箸を手に取った。
「……いただきます」
ハンバーグを口に運ぶ。 肉汁が溢れ、デミグラスソースの濃厚な味が広がる。 世界を救った達成感なんかより、ずっと温かくて、確かな幸福の味。
「美味しい?」 結衣が不安そうに聞いてくる。
俺はニッと笑って答えた。
「ああ。……世界一だ」
窓の外、平和な日本の夕暮れが広がっている。 俺の名前は佐藤悟。 世界最強のハッカーであり、JSたちに養われるダメ人間であり、この騒がしい大家族の「お兄ちゃん」だ。
俺のニート生活は、まだまだ終わりそうにない。 まあ、それも悪くないか。




