第41話:凍てつくサーバー室と、過去を越える「遊び心(ゲームメイク)」
地下第二層。 扉が開いた瞬間、俺たちは思わず身を縮こませた。
「……寒い。さっきの外より寒いかも」 結衣がアリスの極暖スーツにしがみつく。
そこは、巨大な冷凍庫のような場所だった。 壁一面に並ぶサーバーラックが、唸りを上げて冷却されている。床も天井も霜で真っ白だ。吐く息が瞬時に凍りつく。
その部屋の中央に、一人の青年が立っていた。 年齢は二十歳前後。色素の薄い髪に、神経質そうな細い顔立ち。首筋には、ゴローと同じく何本ものケーブルが直結されている。
「……遅かったね、No.1(アイン)。待ちくたびれたよ」 青年は、氷のように冷たい視線を俺に向けた。
「……誰だ、お前」 俺は記憶の糸をたぐる。十年前の研究所。俺の後ろをいつもついて回っていた、影の薄い少年……。
「忘れたのか? ……そうだろうな。君にとって僕は、その他大勢の『有象無象』の一人でしかなかったんだから」 青年が歪んだ笑みを浮かべる。
「僕はNo.03(ドライ)。……施設では万年二位。何をしても君には勝てなかった、惨めな敗北者さ」
No.03。コードネームは『ロジック』。 理論構築は完璧だが、応用力に欠ける――当時の教官はそう評価していたはずだ。
「だが、今は違う!」 ドライが叫び、両手を広げた。 「ゼロと融合した僕は、無限の演算能力を手に入れた! もう君の影じゃない! 僕こそが最強のハッカーだ!」
ゴォォォォン! ドライの感情に呼応するように、周囲の冷却装置がフル稼働を始めた。 液体窒素の霧が噴き出し、室温が急激に下がる。マイナス五十度、六十度……。
「このフロアの環境制御は僕が握っている。君たちが凍死する前に、その脳味噌をハッキングして焼き切ってやるよ!」
「……面倒な奴だな。過去のコンプレックスを拗らせやがって」 俺はため息をつき、PCを開こうとした。
だが、その前に小さな影が俺の前に立った。 未羽だった。
「……サトル。手出し無用よ」 未羽はタブレットを構え、ドライを真っ直ぐに見据えた。
「この陰キャ野郎は、ボクがやる」 「おい未羽、相手はゼロのバックアップ付きだぞ。危険すぎる」 「関係ない。……サトルをバカにする奴は、ボクが許さない」
未羽の瞳に、静かな怒りの炎が宿っていた。 俺は少し驚いたが、すぐにPCを閉じた。
「……分かった。任せたぞ、一番弟子」 「ふん。師匠超えを見せてあげるわ」
電子戦の火蓋が切って落とされた。
ドライの攻撃は、苛烈を極めた。 「見ろ! これがゼロの力だ! 毎秒一億回の総当たり攻撃!」
未羽のタブレットの画面が、警告色で真っ赤に染まる。 目にも止まらぬ速度で展開されるファイアウォールが、次々と食い破られていく。
「くっ……! 重い……!」 未羽の額に脂汗が浮かぶ。 相手の演算能力が桁違いだ。理論も完璧。隙がない。
「ははは! どうした天才少女! 所詮は子供の遊びか! 君のロジックは穴だらけだ!」 ドライが勝ち誇る。 「アイン! 君もだ! 十年ブランクのあるニートに、この完璧な論理迷宮は解けない!」
俺は黙って見ていた。 確かに、ドライの攻撃は完璧だ。教科書通りの、美しいほどに無駄のない攻撃。 ……だが、それだけだ。
「……完璧? 笑わせないでよ」 防戦一方だった未羽が、不意にクスッと笑った。
「あなたのハッキング、つまんないのよ。教科書をそのまま読み上げてるみたいで」 「なんだと!?」
未羽の指の動きが変わった。 今までは防御に徹していた指が、鍵盤の上を跳ねるように、不規則なリズムを刻み始めた。
「サトルはね、教えてくれたの。『ゲームは計算式じゃない。心理戦だ』って」
ドライの完璧な論理の壁。そのわずかな綻び――「完璧すぎるが故の柔軟性のなさ」を、未羽は見逃さなかった。
「ボクの得意技は、バグ探し(デバッグ)よ!」
ッターン! 未羽が放ったのは、巨大な攻撃プログラムではなかった。 極小の、たった数行のウイルスコード。 それが、ドライの鉄壁の防御プログラムの「隙間」をすり抜けた。
「なっ……!? 馬鹿な! 僕の論理防壁に穴など……!」 「あるわよ。あなたが『絶対に安全だ』と過信している場所にね」
ウイルスが中枢に到達する。 それは、ドライのシステムに「偽の命令」を書き込んだ。 『冷却装置を停止せよ。全電力を照明に回せ』。
ブツンッ。 轟音を立てていた冷却ファンが停止した。 代わりに、天井の照明が爆発的な光を放ち、ショートして火花を散らした。
「ぐあぁぁぁっ!? 目が、僕のシステムがぁぁぁ!?」 ドライが目を押さえてのたうち回る。 逆流した電流が、彼の神経接続を焼き焦がしたのだ。
室温が戻り始める。 未羽は涼しい顔でタブレットを閉じた。
「……演算能力がいくら高くても、使い手がポンコツじゃ意味ないってこと」 未羽が髪を払い、俺の方を振り返った。 その顔は、少し得意げで、誇らしげだった。
「……どう? 師匠」 「ああ。満点だ。俺より性格が悪い攻撃だったぞ」
俺は未羽の頭をポンポンと撫でた。 かつて俺の影に怯えていたNo.03は、現代の天才児にあっけなく敗北した。 それは、俺の時代の終わりと、新しい世代の始まりを告げているようだった。
「……行くぞ。次が最後だ」
俺たちは気絶したドライを放置し、最後の扉へと向かった。 この先に、ゼロがいる。 そして、囚われた仲間たちがいる。
泣いても笑っても、これがラストバトルだ。




