第38話:高度一万メートルの電子戦。ニートはミサイルを「誤認識」させる
太平洋上空、高度一万メートル。 漆黒のビジネスジェットは、音速に近い速度で北を目指していた。
機内は快適そのものだった。高級な革張りのシートは体にフィットし、振動もほとんどない。 だが、俺、佐藤悟の心臓はバクバクと音を立てていた。
「……揺れる」
俺の視線の先。コックピットから飲み物を取りに出てきたパイロット、リオの胸元が、機体のわずかな揺れに合わせてたゆん、と揺れるのだ。 ジッパーの隙間から見える谷間は、まさに男のロマンの具現化。
「……サトル。視線管理がなってない。減点」 隣の席で、未羽が冷たい目でPCを操作しながら呟く。
「ち、違う! 俺は計器類を見ていたんだ! 高度とか速度とか!」 「嘘つき。お兄ちゃん、さっきから鼻の下伸びっぱなしだよ」 結衣がジト目で睨む。 「……マスター。あの女の胸、邪魔。脂肪の塊」 セツナが自分の平坦な胸と見比べて不満げに唸る。
居心地が悪い。非常に悪い。 俺が言い訳をしようとした、その時だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ! 機内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
「おっと。お熱い視線を感じると思ったら、別の『お客様』も来たみたいね」
リオがグラスを置いてコックピットに飛び込んだ。 俺たちも慌ててシートベルトを締める。
「なんだ!? 何が起きた!」 「レーダーに感あり! 後方から二機、急速接近中!」
リオの声がスピーカーから響く。
「機種は……F-16ファイティングファルコン。国籍不明の迷彩塗装。間違いなく賞金稼ぎ(バウンティハンター)ね!」 「戦闘機!? こっちは民間機だぞ! 勝てるわけねぇだろ!」
俺が叫ぶのと同時に、機体が大きく傾いた。 グォォォォン! 強烈なGがかかり、体がシートに押し付けられる。
「キャアアアッ!」 「うぷっ……気持ち悪い……」 結衣とアリスが悲鳴を上げる。
「掴まってな! 振り切るわよ!」 リオの操縦は荒っぽいが、的確だった。急上昇、急降下を繰り返し、敵のロックオンを外そうとする。 だが、相手は本職の戦闘機だ。じりじりと距離を詰められる。
『警告。ミサイルロックを検知。着弾まであと十秒』 無機質なアラートが死刑宣告のように響く。
「くそっ、しつこい! チャフ(欺瞞用金属片)もフレア(熱源おとり)も積んでないのよ、この機体!」 リオが舌打ちする。
万事休すか。 全員の顔に絶望が浮かんだ。
だが、俺は違った。 俺の脳内で、何かがカチリと切り替わった。
「……十秒あれば、十分だ」
俺はシートベルトを外し、這いつくばってコックピットへ向かった。
「ちょっとボウヤ! 何してるの! 座ってなさい!」 「リオさん! この機体の通信システム、外部ポートはあるか!?」 「え? あるけど、整備用よ!」 「それでいい! 繋げ!」
俺は持参したノートPCを機体のシステムに直結させた。
「未羽! 敵機のレーダー波の周波数を解析しろ! ジャミング(妨害電波)で目くらましだ!」 「りょ、了解! ……解析完了! 妨害電波、出すわよ!」
未羽がタブレットを操作する。 敵のパイロットは、突然レーダーがホワイトアウトして混乱しているはずだ。 だが、それだけじゃ足りない。すでに発射されたミサイルは止まらない。
「あと五秒! 来るわよ!」 リオが叫び、操縦桿を限界まで引く。
俺は画面に集中した。流れていく膨大なバイナリコード。 見えた。 接近してくる二発の空対空ミサイル。その誘導プログラムの信号が。
「……へっ。最近のミサイルは賢すぎて困るな。外部からの誘導信号を受け付けるようにできてる」
俺の指がキーボードの上を舞う。 これは、ネトゲの超高速バトルと同じだ。 敵の攻撃パターンを読み、コンマ一秒の隙にカウンターを叩き込む。
「喰らえ! ニート流・認識阻害攻撃(IFF・スプーフィング)!」
ッターン!!! 俺はエンターキーを叩き込んだ。
その瞬間。 窓の外、後方から迫っていた二つの光の点が、ありえない挙動を見せた。
「……え?」
ミサイルは、俺たちの機体の直前で急旋回し、あろうことか、それらを発射した母機――後方のF-16に向かって飛んでいったのだ。
『なっ、何!? ミサイルが戻ってくる!? 馬鹿な!』 『回避しろ! 間に合わな――』
ドォォォォォン!!! 後方の空で、二つの巨大な火球が上がった。 自らが放ったミサイルに撃墜された賞金稼ぎたち。彼らは何が起きたのか理解できないまま、海の藻屑となった。
「……うそでしょ?」 リオが呆然と呟いた。 「ミサイルの敵味方識別装置(IFF)をハッキングして、『発射した機体』を『敵』だと誤認識させたのね……?」
俺はPCを閉じて、深く息を吐いた。
「……まあな。ゲームじゃよくある手口だ。敵の攻撃を利用して自滅させるってのは」
機体は水平飛行に戻り、静寂が戻ってきた。 俺は汗だくだった。
「……サトル。あんた、やっぱり変態的にすごいのね」 アリスが青ざめた顔で、それでも感心したように言った。
「お兄ちゃん、かっこよかった!」 結衣が抱きついてくる。 「マスター。……強い。見直した」 セツナがサムズアップする。
そして、コックピットからリオが振り返った。 彼女はサングラスをずらし、俺に向かってウィンクした。
「やるじゃない、ボウヤ。……その腕前に免じて、さっきのアタシの胸へのガン見は許してあげるわ」
俺は顔を真っ赤にして、咳払いをした。
「ご、誤解だと言ってるだろ!」
機内には、久しぶりに明るい笑い声が響いた。 空の脅威は去った。 眼下には、ベーリング海の冷たい海が広がっている。
北極圏は、もう目の前だ。




