第30話:夏の終わり、夕陽のオレンジ、そして深淵からの招待状
楽しい時間は、どうしてこうも短く感じるのだろう。 ニートの昼寝時間は永遠に感じるのに。
俺たちを乗せた西園寺家のクルーザーは、夕暮れに染まる東京湾を滑るように進んでいた。 水平線の向こうに、オレンジ色の太陽が沈んでいく。
「……もう、終わっちゃうんだね」
デッキの手すりに寄りかかり、結衣が寂しそうに呟いた。 潮風が彼女の髪を揺らしている。
「ああ。だが、いい夏休みだったろ?」 「うん! 一生の思い出だよ!」
結衣は笑顔を見せたが、その目は少し潤んでいた。 俺の隣では、遊び疲れたセツナが、俺の腕にしがみついたまま舟を漕いでいる(居眠りしている)。その手には、お土産に拾った「サメの牙」が握りしめられていた。
「……ふん。まあ、及第点ね」 アリスがサングラスを外し、遠ざかる島を一瞥した。 「来年は南の島じゃなくて、スイスの山荘にしてあげるわ。避暑地の方が、私の肌に合うもの」
「ボクは秋葉原の電気街ツアーがいいな。……あ、でも、みんなで行くならどこでもいいや」 未羽がタブレットを閉じ、照れくさそうに笑う。
俺は彼女たちの顔を見渡した。 世話焼きの隣人。 高飛車なお嬢様。 生意気な天才。 元兵器の野生児。
一年前の俺は、たった一人で部屋に引きこもり、モニターの光だけを見つめていた。 それが今では、こんなに騒がしくて、温かい場所にいる。
「……悪くねぇな」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、沈みゆく夕日に目を細めた。 夏が終わる。 だが、俺たちの日常は続いていく。
***
夜八時。 メゾン・ド・サトウ、203号室。
ガチャリ。 ドアを開けると、ムッとした熱気と、畳の匂いが俺たちを迎えた。
「ただいまー! あー、やっぱりウチが一番!」 結衣が靴を放り出してリビングへ飛び込む。 セツナも「……テリトリー、帰還」と言って、ソファの定位置に丸まった。
「ちょっと、クーラーつけなさいよ! 蒸し風呂じゃない!」 アリスが文句を言いながらも、いつもの座布団に座る。 未羽は慣れた手つきで冷蔵庫を開け、麦茶を取り出した。
狭い。汚い。ボロい。 あの豪華なヴィラとは比べ物にならない。 けれど、ここが俺たちの「城」だ。
「……さてと」
俺は荷物を置き、数日ぶりにPCデスクの前に座った。 電源を入れる。 ファンの回転音と共に、いつもの青い光が部屋を照らす。
『おかえりなさい、マスター。日焼けしましたね。皮が剥けるのが楽しみです』 「うるせぇよエヴァ。留守中に異常はなかったか?」
俺はキーボードを叩き、メールボックスを開いた。 スパムメール、ゲームのアップデート通知、ピザ屋のメルマガ。 いつもの平和なログが並んでいる。
――はずだった。
「……ん?」
俺の手が止まった。 受信トレイの一番上に、奇妙なメールが一通、届いていた。
差出人:『No Name』 件名:『招待状』
ただそれだけ。 スパムか? いや、俺のPCのフィルタをすり抜けて、メインフォルダに直行している。 並大抵の技術じゃない。
「おい、エヴァ。このメールの送信元は?」 『……解析不能。世界中のプロキシを経由しています。発信源は、おそらく北極圏……いえ、海上? 特定できません』
嫌な予感がした。 俺は恐る恐る、そのメールを開封した。
画面が真っ黒になり、たった一行の文字列が浮かび上がった。
『 Hello, World. "Original Seven". 』
ドクン。 心臓が跳ねた。
「……オリジナル、セブン……?」
その単語を見た瞬間、俺の脳裏に封印していた記憶がフラッシュバックした。 十年前。俺がまだ「神童」と呼ばれていた頃。 世界の裏側で、ある極秘プロジェクトに参加していた時の記憶。
『――見つけたよ、サトル』
画面から、音声合成された声が響いた。 部屋にいた全員が振り返る。
『ヨルムンガンドも、ジェネシスも、所詮は児戯だ。……そろそろ、本物の戦争を始めようか』
画面が切り替わる。 そこに映し出されたのは、世界地図。 そして、東京――つまり、このアパートを中心に描かれた、巨大な照準。
『世界中の犯罪組織に、君の首(賞金)を提示した。金額は100億ドル。……生き残れるかな? 最強のニート君』
プツン。 メールが消滅した。
静寂。 エアコンの音だけが、虚しく響く。
「……なに、今の」 アリスが震える声で尋ねる。
「……100億ドル……?」 未羽が顔を青ざめる。
「マスター……殺気、感じる。たくさん……来る」 セツナが立ち上がり、窓の外を睨みつけた。
俺は震える手でマウスを握りしめた。 冷や汗が背中を伝う。 終わった。 俺の平和な夏休みも、穏やかなニート生活も。
過去からの亡霊が、俺を引きずり出しに来たんだ。
「……上等だ」
俺は強がって笑った。 笑うしかなかった。
「結衣、アリス、未羽、セツナ。……悪いが、秋の行楽シーズンは中止だ」
俺は振り返り、最強の仲間たちに宣言した。
「これより、全世界を相手にした『鬼ごっこ』を開始する!」
窓の外。 東京の夜景のどこかで、不穏なサイレンが鳴り響き始めていた。




