第24話:獣のバーコードと、少女に刻まれた「賞味期限」
メゾン・ド・サトウ、203号室。 薄暗い部屋には、冷却ファンの駆動音と、キーボードを叩く乾いた音だけが響いていた。
「……動かないで。ピントが合わない」 「……うーっ。噛むぞ」 「噛んだら、あなたのデータをネット上の『面白動物動画』として拡散するわよ」
PCデスクの前では、未羽がペンライトのようなスキャナーを手に、セツナの首筋に迫っていた。 セツナは俺の膝の上に座り(定位置)、警戒心丸出しで唸っている。 俺はセツナの頭を撫でてなだめる係だ。
「我慢しろセツナ。未羽はお前のその『バーコード』を調べてくれてるんだ」 「……マスターが言うなら、我慢する」
セツナはしぶしぶ首を差し出した。 未羽がスキャナーを当てる。 『ピッ』という電子音。
「……読み取れたわ」 未羽がPC画面にデータを転送する。 表示されたのは、複雑怪奇な文字列と、遺伝子配列のようなバイナリデータ。
「暗号化されてる。しかも、軍用レベルの多重ロックよ」 「ふん、俺たちを誰だと思ってる」
俺は未羽の隣で、サブキーボードに手を置いた。 ハッカー師弟コンビの共同作業だ。
「未羽、上層のダミーコードを剥がせ。俺が深層のデータベースを特定して逆探知する」 「了解。……開始!」
二人の指が走る。 アリスと結衣は、後ろで固唾を呑んで見守っている。
数分後。 俺たちは、とある海外サーバーの深部にある、隠しデータベースへと侵入していた。 画面に表示された組織名は――『次世代生体工学研究所』。
「……ビンゴだ」
俺はフォルダの一つを開いた。 『Project: ZODIAC』。 そして、個体識別番号『007』のファイル。
そこに映し出されたのは、幼い頃のセツナの写真と、残酷な実験記録の数々だった。
『検体名:セツナ(コードネーム:フェンリル)』 『遺伝子操作による反射神経の強化、および痛覚の遮断に成功』 『戦闘技能の習得速度は想定の200%。しかし、感情制御に欠陥あり』
結衣が口元を押さえて青ざめる。 アリスが不快そうに顔を歪める。
「……ひどい。人間を、実験動物みたいに……」 「許せないわね。美しくないわ」
だが、問題はそこじゃなかった。 ファイルの最後にある『特記事項』。 そこに、赤字で警告文が記されていたのだ。
『欠陥報告:検体は「依存対象」を見つけると、脳内物質の過剰分泌により戦闘能力が極大化する。しかし、その反動として――』
俺は画面の文字を読み上げた。
「――『精神崩壊』を起こす」
部屋の空気が凍りついた。 精神崩壊。 それは、自我を失い、ただ破壊を撒き散らすだけのバケモノになるということだ。
「さらに、ここを見て」 未羽が震える指で画面を指差した。
『抑制剤の投与が必要。未投与期間が二週間を超えると、自律神経が暴走し、心停止に至る』
心停止。 つまり、死ぬ。
「……セツナ。お前、研究所を逃げ出したのはいつだ?」 俺は膝の上の少女に問いかけた。
セツナはキョトンとして、指折り数えた。
「……十日前。あの灰色の男が、薬を持ってくるのが嫌で、逃げた」 「十日……!」
リミットは二週間。 つまり、あと四日しかない。 四日以内に『薬』を打たなければ、セツナは死ぬか、暴走して俺たちを殺すか。どちらかだ。
「……だから、あいつは余裕だったのか」
俺は昨日のフードコートでの男の言葉を思い出した。 『首輪のない猛獣は、いずれ飼い主を噛み殺す』。 奴は無理に連れ戻さなくても、セツナが苦しんで戻ってくる(あるいは野垂れ死ぬ)のを待っているんだ。
「ど、どうするのお兄ちゃん! 薬がないとセツナちゃんが……!」 結衣が涙目で俺の服を掴む。
アリスが冷静に提案する。 「私のコネで、世界中の製薬会社から似た成分の薬を探させるわ。データさえあれば……」 「無理よ」 未羽が首を振った。 「この薬の成分表、真っ黒に塗りつぶされてる(マスキング)。研究所独自の調合よ。外部じゃ作れない」
詰み(チェックメイト)か? いや。
俺はセツナを見た。 彼女は自分の死期など理解していないのか、ただ「マスター、撫でて」と頭を擦り寄せてくる。 こんな小さな体で、バケモノ扱いされて、薬漬けにされて。 それでも、俺の背中に安らぎを見つけてくれた。
そんな彼女を、みすみす死なせる? あるいは、あの灰色の男の元へ返す?
「……ありえねぇな」
俺はニヤリと笑った。 俺は佐藤悟。 世界最強のニートで、バグ潰しの専門家だ。
「欠陥があるなら、直せばいい」 「直すって……どうやって? 遺伝子レベルの問題よ?」 未羽が問う。
「簡単なことだ。研究所のメインサーバーに侵入して、薬のレシピ(製造法)を盗み出す」 「えっ」 「そして、セツナの脳内リミッターを解除するプログラム(パッチ)を書き込んで、精神崩壊のプロセスそのものを無効化する」
未羽が絶句した。 「……本気? そんなことしたら、全世界の諜報機関を敵に回すことになるわよ?」
「今さらだろ。それに……」
俺はセツナの頭を抱き寄せた。
「ウチのペットの賞味期限を、勝手に決められてたまるか。俺が『無期限』に書き換えてやるよ」
セツナがハッとして俺を見上げた。 そのオッドアイが、潤んでいるように見えた。
「……マスター。私、壊れてる?」 「ああ、ポンコツだ。俺と同じくな」 「……直してくれる?」 「任せとけ。俺のキーボードさばきにかかれば、運命なんてただの文字列だ」
俺は立ち上がった。
「作戦開始だ。敵は『研究所』。目標はレシピの奪取と、組織の壊滅。……全員、付き合ってくれるな?」
俺の言葉に、三人の少女たちは力強く頷いた。
「当然よ! 西園寺家の医療チームを待機させておくわ!」 「ボクも手伝う! そのクソみたいなサーバー、炎上させてやる!」 「私は……夜食のおにぎり、いっっぱい作るね!」
チーム・Unknown、再始動。 今度の敵は、人の命を弄ぶマッドサイエンティストたちだ。
「待ってろよ、灰色のコート。……お前の作った最高傑作が、お前らを噛み殺すところを見せてやる」
俺の瞳に、久しぶりに本気の火が灯った。 タイムリミットまで、あと九十六時間。




