第23話:野生児の『魔改造』計画と、灰色のコートの男
問題だ。非常に問題だ。 俺、佐藤悟はリビングのソファで、目の前の光景に頭を抱えていた。
銀髪の少女、セツナ。 彼女は現在、俺のヨレヨレのTシャツ一枚(下着は辛うじて着用)という、いわゆる「彼シャツ」スタイルで部屋をうろついている。 本人は気にしていないようだが、Tシャツの裾から覗く白く華奢な太ももや、動くたびにチラ見えしそうな鎖骨が、二十八歳健全男子の精神衛生上よろしくない。
「……セツナ。服、着ないか?」 「着てる。マスターの匂いがするから、これがいい」
セツナはTシャツの襟元をクンクンと嗅ぎ、うっとりしている。 ダメだ、野生動物すぎる。
「許せないわ……!」 バンッ! とテーブルを叩いたのは、アリスだった。
「私のサトルの服を独占していることも許せないけど、何よりその貧乏くさい格好! 西園寺家の出入り業者(仮)として恥ずかしいわ!」 「ボクも同感。目に毒だよ。サトルが鼻の下伸ばしてるし」 「伸ばしてねぇよ!」
未羽の冷静なツッコミを否定するが、結衣も真剣な顔で頷いた。
「そうだね。女の子なんだもん、可愛いお洋服着なきゃダメだよ! それに、ちゃんとした服を着ないと、ただの『変態お兄ちゃんに監禁された子』に見えちゃうよ?」 「世間体が一番痛い!」
こうして、満場一致で**「セツナ人間化計画」**が決行されることになった。
***
やってきたのは、都内有数の巨大ショッピングモール『オメガ・シティ』。 当然、西園寺グループの所有物件である。
「さあ、覚悟なさい。あなたを立派なレディに改造してあげるわ」 アリスがブラックカードを煌めかせ、高級子供服ブランドのフロアへと進軍する。
そこからは、地獄のファッションショーだった。
「まずはこれ! フリル付きのワンピース!」 「動きにくい。……敵を蹴り飛ばせない」 「蹴らなくていいの! 次はこれ、森ガール風チュニック!」 「布が多い。……空気抵抗が増える」 「空力特性とかどうでもいいから!」
セツナは試着室に入れられるたびに「ウーッ」と唸り声を上げているが、結衣になだめられ、アリスに脅され、未羽に写真を撮られながら、次々と着替えさせられていく。
一時間後。 試着室のカーテンが、シャッ! と開けられた。
「お待たせお兄ちゃん! 完成だよ!」
そこに立っていたのは、別人のような美少女だった。 ボロボロだった銀髪は綺麗に梳かされ、白いベレー帽をかぶっている。 服は淡いブルーのオフショルダー・ブラウスに、動きやすそうなキュロットスカート。 そして首元には、あのバーコードを隠すための、可愛いリボンのチョーカーが巻かれていた。
「……どう? マスター」 セツナが不安そうに上目遣いで見てくる。
「……うん。似合ってるよ。すごく」 俺は素直に感想を漏らした。 素材が良いのは分かっていたが、こうして着飾ると、どこかの国の王女様のようだ。
「マスターが言うなら、着る」 セツナは嬉しそうに頬を染め、くるりと回ってみせた。 結衣たちが「可愛いー!」と盛り上がる。
平和だ。 俺たちは買い物を終え、フードコートで休憩することにした。 セツナにとっては初めてのアイスクリームだ。
「……冷たい。甘い。……溶ける」 セツナは目を丸くして、スプーンに乗ったバニラアイスを見つめている。 その横顔を見ながら、俺は少しだけ安堵していた。 これなら、普通の女の子として生きていけるかもしれない。
だが、その安息は唐突に破られた。
ピクリ。 アイスを食べていたセツナの手が止まった。 彼女の獣のような耳が、雑踏の中から「ある足音」を拾ったのだ。
「……来た」 「え?」
セツナの顔から血の気が引き、スプーンが床に落ちてカランと音を立てた。 ガタガタと震えだす体。 彼女の視線の先――フードコートの柱の陰に、一人の男が立っていた。
季節外れの灰色のトレンチコート。 目深に被った帽子。 その男は、周囲の親子連れに溶け込むように、しかし明確な殺気を持ってこちらを見ていた。
(……なんだ、あいつは)
俺の背筋に悪寒が走る。 ただのチンピラじゃない。立ち方が、プロだ。 男はゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
「……№007(セブン)。迎えに来たよ」
男の声は、優しげだが、底冷えするような響きを持っていた。 セツナが悲鳴を上げそうになり、口を押さえる。
「さあ、帰ろう。実験はまだ終わっていないんだ」 男が手を伸ばす。
その手がセツナに届く直前。 俺は立ち上がり、男の手首を掴んだ。
「……人違いじゃないですかね」 「おや?」 「ウチの子に、気安く触らないでくれませんか。不審者さん」
俺は笑顔で、しかし全力で握りしめた。 男は表情一つ変えない。 逆に、俺の手首を掴み返してくる。 ミシミシッ……! 万力のような力だ。俺の骨が軋む。
「一般人が介入するな。……指が折れるぞ」
痛い。激痛だ。 だが、俺の後ろではセツナが震えている。 ここで引いたら、男じゃない。
「……アリス!」 俺は叫んだ。
「分かってるわよ!」 アリスがスマホを取り出し、緊急ボタンを押した。
「モール内の全警備員、および西園寺セキュリティ部隊! フードコートへ集結せよ! 不審者一名を確保!」
ビーッ! ビーッ! 館内に警報音が鳴り響く。 一分もしないうちに、屈強な警備員たちが四方八方から駆け寄ってくる。
男は周囲を見回し、少しだけ残念そうに肩をすくめた。
「……西園寺財閥の令嬢か。今は分が悪いな」
男は俺の手を離した。 その瞬間、俺の手首に赤い痣が残る。
「№007。今日は引こう。だが、忘れるな」 男は帽子のつばを持ち上げ、セツナを見据えた。
「君は『兵器』だ。首輪のない猛獣は、いずれ飼い主を噛み殺す。……その時が楽しみだよ」
男は雑踏の中に紛れ込み、煙のように消え失せた。 警備員たちが取り押さえようとした時には、もう影も形もなかった。
「……はぁ、はぁ」 俺はへたり込んだ。 手首がズキズキと痛む。
「マスター……ごめんなさい……私のせいで……」 セツナが泣きそうな顔で俺の手首をさする。 俺は痛む手で、彼女の頭に被せたベレー帽をポンポンと叩いた。
「気にするな。……それより、アイスが溶けてるぞ」 「……え?」 「せっかく可愛い服を買ったんだ。今日は最後まで楽しむぞ。あんな幽霊野郎のせいで台無しにされてたまるか」
俺は強がって笑ってみせた。 結衣と未羽も、不安そうだが笑顔を作ってくれる。
だが、俺は確信していた。 今の男――『追跡者』。 奴は必ずまた来る。 そしてその背後には、ヨルムンガンドとはまた違う、より冷徹で強大な組織がいる。
(……やれやれ。俺のニート生活、ハードモードすぎないか?)
俺は溶けかけたアイスを口に運び、甘さと共に苦い予感を飲み込んだ。




